ポール・ブレイディ来日までの道のり34:Say What You Feel

このアルバムの発売とほぼ同時期に、ポールはびっくりしたことに、マネジメントをアメリカのコンパス・レコードに移した。ちょっと意外だったなー。もちろんコンパスは私にとっては旧知の仲だったので(ルナサやシャロン・シャノンをリリースしている会社です)、全然問題なかったし、コンパス側も私のやり方とか熟知していたから、おかげで物事は私に有利にスムーズに運ぶようになったのだけど。とはいえ、この二組のタッグはあまり長くは続かなかった。私にしてみれば、双方の良いところも悪いところもよく分かっているつもりなので、長く続かないことは最初から分かっていたけど…。そうやってマネジメントは変わる。でも私はずっと一緒に仕事が出来ているから、マネージャーが誰だろうが、あまり関係ない。ポールとコンパスの関係は終わっちゃったが、私とポール、私とコンパスは今でもとっても仲良しだ。自分でも微妙ながら良い位置にいるなとは思う…という自慢話はさておき(笑)。ポールとコンパスだって喧嘩したわけではないと思う。ただ『Hooba Dooba』がアメリカ発売になっていないのを見るとちょっと残念にも思う。もっとも今やリリースなんてすべてアーティストが自分でやればいいのだ。流通さえ確保しちゃえば、レコード会社なんていらない、と言ったところか。

そんなわけで、このアルバムがリリースされた頃、コンパスのファウンダーであり、グラミーも取ったことがあるバンジョー奏者アリソン・ブラウンの旦那の、ギャリー・ウェストがポールのマネジメントを担当していた。現在はポールのマネージャーは、アイルランド音楽業界の古株ジョン・マニスが担当している。ジョンはどちらかというとロードマネージャーだし、PAエンジニアだし、PA(パーソナルアシスタント)だし、私はこっそり何でもこなしてしまう優秀な「執事」って思っているんだけど… いわゆる戦略を考えたりするようなビジネスマネージャーではない。だから今はポールが自分で自分をマネジメントししつつ、ジョンがそれを手伝っている感じなんだと思う。

ジョンはもうプランクシティからデ・ダナンなども面倒みてた人で、家族ぐるみでポールの仲良しだ。息子のダラはコローナズのスタッフもしていて、その周辺も含め、とにかくみんなで業界内、ほんとうに仲が良い。ダラは若いだけあって、コンピューターのガジェットにも詳しく、ポールはいつもダラにいろんな質問をして、いろんな事を教えてもらっているみたいだ。自分の息子のカルムは割とそういう事にものんびりしているし、娘のサラは超キャリアウーマンだけどロンドン在住だしね…(それにしても、ポールといい、チーフタンズのパディといい、自分でFacebookとか何でも精力的に好奇心一杯でやったりして、ホントにえらいと思う。ウチらの世代もくたびれている場合ではないわ、ホント)

で、そんなジョンは本当に面白い人で、昔のドーナル・ラニーの寝坊話とか、いつももうお腹がねじれるほど笑わせてくれるのだけど、そのジョンが言うにはアイリッシュミュージックの流れの中で一番すごいライヴバンドはボシーだったんだって。ふーん、ボシーかぁ。まぁ、ボシーはミホールが亡くなっているから再結成は無理だろうし、したところで昔のマジックはないだろうけどね。

と、まぁ、話はずれた。でもポールはものすごく頭もいいしマネジメントのセンスもあるから、こういう形が一番良いように思う。

いずれにせよコンパスもポールも両方知っている私からすれば、当時のコンパスとのマッチングは違和感があった。ギャリーはいい奴だがジョークのセンスがなかった。それははっきり言ってアイリッシュと仕事をするとき致命的な欠点だと思う。一方のジョンはそりゃもう明るくて前向きでジョークのセンスも超抜群なのだ。

でもこのアルバムはコンパスレコードと、ポールの、そんな蜜月期間に実った果実のような作品だった。このアルバムをナッシュビルでレコーディングしようと言ったのは、もちろんギャリーであり、レコーディングもコンパスの事務所の裏のスタジオで行われた。2003年の10月、ポールはとあるアワードのためにナッシュビルに飛び、そこでそのまま数日間留まってレコーディングをしたが、それが、そのままこの作品になったらしい。

どちらかというとピアノトリオみたいな感じのバックで全編綴られた作品だ。(ダニー・トンプソンのベースと、ジョン・バーのピアノが最高!)

とにかく1曲目がいい。“Smile” あと好きなのはボーナストラックの“Finally It's a right time”かしら。しかし今聴いていても、このアルバムは他の作品とサウンドがまったく違うね。リラックスしているというか、全体に優しい空気に溢れている。まぁ、上手いミュージシャン揃えてるから当然なんだけど、なんかとっても余裕が感じられるんだわ。

それにしても、このアルバムは日本でもよく頑張ってプロモーションしたなー。この頃になるとポールの日本での応援団も増えて、あちこちの媒体に載った。だからきちんと新作アルバムとして紹介された最初の作品だと思う。朝日新聞から音楽雑誌以外のメジャーな雑誌から何から何まで…。私はこのアルバムのリリースのためにわざわざ新しいレーベルを立ち上げて、メジャーな配給まで準備した(笑)。でも見事に売れなかったねぇ(笑) ま、でもいいんです。このアルバムは本当に私にとっては宝物みたいな作品だ。何せ日本盤で、ボーナストラック付きで日本プレスで出せたしね。もう記憶があやふやだけど、確か数週間、日本先行発売じゃなかったかしら。まぁ、そういうことが出来たのも長年のつきあいのコンパスレコードが相手だったからこそ、というのはある。ホント感謝だよなぁ。

ポールが自分のホームページのアルバム解説でも書いているとおり、ヴォーカルがすごく落ち着いていているんだよね。ポールいわく高めに歌った方がメッセージがより強く伝わる、と思いがちだけど、必ずしもそうではない、という事にこのアルバムのレコーディング中に気づいた、と話しています。



か〜っっっ! ホントにいいよね。これ。

そしてポールはこのアルバムをひっさげて、ケルティック・クリスマスのために日本にもう一度やってきてくれる事になるわけだ。その話はすでに「来日までの道のり」の6とか7とかに書いたので、それを読んでいただければと思う。

それにしてもこのアルバムは本当に思い出深い。『SONGBOOK』あたりから、私はアメリカやイギリスにほぼ定期的にポールをおっかけて行くようになったのだけど、その頃の濃ゆいエピソードはたくさんある。

もう何年のことだか忘れたが、たぶんこのアルバムが出る前か、出た後か…私は1週間みっちりポールのおっかけをすべくアメリカに飛んだ。ニューヨークでの事だ。ポールは結構朝から機嫌が悪かった。コンサートがあって、公演はすごく良かったんだけど、ポール本人はオーディエンスからリクエストが飛んだことに辟易していた。この日のお客さん、ものすごいパワーで、楽屋に突進してきたり、楽屋とステージの脇を出入りしている私までもが捕まって、なんとかポールに会わせてくれないかとかみつかれたり…とにかくものすごかったのだ。私まで黒人のゴッツいセキュリティに守られたりしながら、いや〜な予感もしたが、でもパフォーマンスは本当に素晴らしく感動的なものだった。でも終演後ポールはすっかりへそをまげて楽屋にとじこもってしまった。

こういうのは何度か見たことがある。いつだったかサンフランシスコの小屋でも同じだった。ポールはライブの出来が本人が気に入らないと、もうすごく激しく落ちこんでしまうのだ。(でも出来が悪いことなんて、ホントないんですよ! ちょっと信じられないんだけど)

公演が終わるとマネージャーのジョンが私に「しばらくほおっておいた方がいい」とこっそり声をかけてくれたので、私はポールの楽屋には近寄らずスタッフ楽屋で本を読みながら時間をつぶしていた。ジョンは会場の人との精算や、後片付けなどで忙しくしていたが、そのうちこの小屋がいわゆる1日中開けてるタイプの小屋(アメリカでは1日5回まわしとかすごい小屋がある!)で、ポールはメインの素敵な楽屋にいたのだけど、そちらに次の回のアーティストが入るため、私がいるスタッフ楽屋の方へ追い出されてきた。スタッフ楽屋は割と広くて私は隅っこにいたのだけど、ポールはむっとしながら入ってきた。ポールがあまりに落ち込んでいるので「ポール、今日のコンサート素晴らしかった。お客さんも喜んでたじゃない」と声をかけたらポールは「お前に何が分かるっていうんだ。1000人のお客の前で歌ってみろ、お前にも分かるから」と怒った。私はなんてひどい事を言うんだろと思い、多いに傷ついたが、しかたない。

今思えば、あんな地下の楽屋に長くいたのも良くなかったね。でも外に出るとファンの人が殺到してきそうだったから、それがポールはイヤだったみたいだ。だから1時間、下手すれば2時間くらい、そこに居ただろうか…。もうジョンの用事も住んだし、次のバンドが来るからスタッフ楽屋にも居られなくなり、やっとホテルに戻ろうということになった。ジョンが表に走って行って誰もいないことを確認してきた。そんな感じでやっと外に出たら「空気が新鮮!」って気分だったし、ネオンがきれいで、それを見てポールはちょっとだけニコっとした。すこしホッ。タクシーを拾うのにしばらくかかったが、なんとかタクシー拾い、私はギター2台をかかえてジョンは即売のCDをかかえてタクシーに乗り込んだ。ポールは運ちゃんの隣に座った。タクシーの運ちゃんが「後ろの楽器はチェロか? どんな音楽をやっているんだ?」とポールに聞いた。そしたら、ポールは「ロックシュターなんだ」と言った。私は心の中で爆笑したが、まだまだ笑える空気ではなかったでお腹の中で笑うだけにしておいた。

ホテルに到着するとジョンが私に気遣ってくれたのか、もしくはこの気分のままベットに入るのもよくないと思ったのか、<ヨーコは今日で最後なんだし、気分を変えるのにパブで飲もう>と言ってくれた。でもポールはまだまだ不機嫌だったから、部屋でメールチェックしてからにする、とか言ってワガママ爺さんみたいにして部屋に戻っていった。ジョンが私に耳打ちして「パブに出ることになったら部屋に電話するから」と言ってくれた。

この日のホテルはニューヨークで普通に取ると500ドル以上の部屋だったが、ロックシュターレートで250ドルくらい。それでもかなり高い。部屋はかなり広くベットも大きかった。ベットに靴はいたまま寝転んで、まったくポールってほんとにひどい奴だと私はちょっと怒っていた。何もあんな言い方することないのに。なにも自分を私のレベルに落とさなくてもいいだろうよ、温厚な(笑)私もかなりムっとしていた。ジョンの電話はなかなかかかってこない。結構時間がかかったので、私はもう自分のフライトで明日日本に帰るし、いやな別れ方だけど、わざわざサヨナラ言うためだけにポールの部屋をノックするのもなぁ、もういいや、メールでも後から入れておけば…と思っていたら、ジョンから電話が来てバーに出るという。バーは本当にホテルから1ブロックみたいな場所で、ポールにとっては行きつけの場所らしかった。3人で窓際のテーブル&スツールに座って飲み初めると、ポールは自分のニューヨークでの思い出を語り始めた。ジョンストンズ時代うんぬんもそうだけど、『Trick or Treat』のプロモーションのときもこの街に結構長く滞在していたんだって。

そしてまぁかなり空気がなごみつつ3人で結構飲んで、ポールの機嫌もなおったみたいだった。良かった、良かった。

そして…極めつけが、ホテルに3人で歩いて戻る途中ポールがボソっと言った一言。「今日のコンサート…悪くなかったよな」だって!!! ジョンと私は深夜のニューヨークの路上でもう爆弾が落ちたみたいに大爆笑した。もう我慢が出来なかった。ジョンなんて道に倒れこんでいたかもしれない。ポールも大爆笑してた。

いいでしょ!? ポールってホントウにいいんです! なんか本当にいいんですよ。こういうところが。私だったら、まぁ最後まで気取って機嫌がなおったとしても、その日の夜は一応不機嫌なふりを通しちゃうかな。でもやっぱりジョンと私に悪かったな、って思ったんでしょうかね。私はこういうポールが、可愛くて可愛くて仕方が無い。ホントにポールって、そういうところがめちゃくちゃスイートでピュアだと思う。

というか、一般的に言って、人間はウソがないものが大好きなのだ。だからペットを飼う。だから子供は可愛いって、誰もが言うでしょう? 時々犬や子供は残酷にもなり、年がら年中いい子でスイートじゃない。でもその行動、感情表現には絶対にウソがない。だからみんな犬や子供が大好きだ。それと一緒。どんなにイヤな奴だったとしても。それが本当でピュアで、ウソがなかったら、やっぱり、その人は愛されるんです。ポールって本当にすごく魅力的な人だと思う。まぁ、もっとも、こういう性格じゃなかったら、あんなに人の心に寄り添うような曲は書けてないよね、きっと。

と、まぁ、私の視点からあの夜のことをレポートするとこんな感じになるわけだけど、実際ポールの気持ちたるや、どんな感じなのかな、と思う。結構タフな2週間くらいに及ぶ東海岸ツアー。田舎の公演が多かったから、ニューヨークでの公演は楽しみにしてたんだと思う。そこで自分が気に入る公演が出来なかった時の気持ち。そりゃあ落ち込むかもね。まぁ、でもそういうのはポールの言うとおり分からないわよね、私には(笑)。

ポールみたいな人をみていると、つくづく自分は凡人で特定の才能に恵まれていないことにホッとする。実際そんなポールに対して、あまり感情移入して同情したところで私にもポールにも何のメリットもないんだし、とにかくポールをサポートするにはどうしたら良いか具体的に考えてベストをつくすしかない、それだけなんだよね。スタッフとしてやれることは本当に限られている。ドライに…と言ってしまうと冷たいようだけど、一緒にメソメソしていたら身体がいくらあってももたないんだわ。

一方ものすごくスイートな思い出もある。書いていると、次々思い出すなー。もっとも本当にすごい事は、やっぱり自分の中にだけしまっておくか、友達と飲んだ時にグチるか、それこそポールが引退した後でしか公表できない。あまりにここに情報を載せる事で、お客さんがこれがすべてかと思ってしまうのも困る。もっとも、ちょっと想像力が働く人ならば、すぐ分かってもらえるとは思うのだけど。ここに書いているのは、割とソフトな、ホンノ一部です、と(笑)

この時のツアーの最初の合流地はアメリカのコネチカットのIron Horseという割とアコースティック音楽では有名なライブハウスだった。私はニューヨークだかシカゴだか経由でコネチカットの空港に降り立ち、そのまま速攻でホテルでシャワーを浴びると会場まですっ飛んで行った。そして公演が終わるまでポールに見つからないように後ろの方で見てた。もちろんジョンには私がツアーに合流することは伝え済み。私はジョンから必要な情報をもらい自分でポールと同じホテルなどをばっちり手配済みだ。ジョンはポールを驚かすのが楽しかったらしく私が到着すると、ポールの友達テーブルだという皆さんのところに連れて行ってくれた。そしてそのテーブルに来ては「お前が来ることは内緒にしているから、すごく喜ぶぞ」と何度も言ってくれた。ありがとう。ジョン。ま、でもジョンはツアマネからPAからドライバーから全部一人でこなし本当に大変なんだよね(そうそう、時々やるのだが、このツアーでは私はCDの即売をやった会場もあった。お客さんはなぜ東洋人がCDを売っているのか不思議に思っただろう)。なにせ男二人のツアーなんで、煮詰まることもたくさんあると思う。もちろんポールもバンドを連れて、スタッフも大勢つれてのツアーをすることもあるが、この時のツアーはたった二人だった。

で、その日の素晴らしい公演が終わって、私はポールがみんなにサインをしたりしてあげたりしているのを遠くで眺めていたが、それが一通り終わったころ、ジョンが私を連れて、じゃーん!とか言ってポールを私を見せると、ポールはもう飛び上がらんばかりにびっくりしてくれて「What!  What!  What!」とすごく喜んでくれた。そして、すっごく嬉しそうに、お友達みんなに私を紹介してくれたのだが、お友達たちはすでに私は交流済みだ。知らないのは俺だけか!と悔しそうに地団駄を踏むポール。あぁいうところ、ホントにチャーミングだと思う。

その日の深夜、一緒にいったバーのカウンターでは、ずっとローリングストーンズがかかっていて、ポールは「いいな〜」と言いながら私の隣で嬉しそうに聞いていた。私が「私はビートルズのファンで、ビートルズはほぼすべて聞いているけど、ストーンズは1枚も持ってないしたぶん数えても4曲くらいしか知らないと思う」とか言ったら、ポールはあきれて、本当の健全な音楽ファンなら両方同じくらい好きなのが当然だ、としっかり説教された。で、さんざん酔っぱらってご機嫌になったポールは、私の肩に自分の頭を乗せながら一緒にずっとBGMにあわせて歌い始めた。自分の肩を通じてポールの歌声が直接自分の内側に伝わってきて、その歌声を聞きながら、私はものすごく幸せだった。

このアルバムを聴くと、今でもあの極寒アメリカ東海岸ツアーを思い出す。雪がふって、きっと-20度くらいだったんじゃないかと思う。途中アルタンの連中とも2晩くらい一緒になり、マレートとダーモットの娘のニーアにも初めて会った。ニーアに雪だるまを作ってあげようとしたのだけど、雪がサラサラでまとまらなかったから、それは無理だった。