映画「ジェーン・エア」を見ました

やっと観れた…もう明日くらいには終わっちゃうらしい、ブロンテの大傑作を映画化したもの。本はだいぶ前に読んだので内容はほとんど忘れちゃってた。私は圧倒的に「嵐が丘」派なので、「ジェーン・エア」は学生時代に1度読んだきりだ。

で、映画観ながら思い出した。寄宿舎学校のベットに横たわりながら、親友が自分の腕の中で死んで行くところなどよく覚えている。

この映画。良かったですよ。まぁ、映画としてどうだったのかというと、主演の二人がすごく良かったけど、それもシーザーほど夢中になれず(まだ言っている/笑)、そうね…普通かな。普通。でもブロンテ好きにはこのヒースの丘を観るだけでも感動ものでしょう。

私も行ったよ、ブロンテの「嵐が丘」。懐かしいなー。

確か時期は1月とかだった。キングレコード勤務時代だったので、もう20年以上も前だ。学生時代にお世話になったケンブリッジのおばさんの家に泊まりながら「嵐が丘に行く」と言ったら「遭難するから止めなさい」と言われた(笑)。

実際、ブロンテの丘に行ってみれば、けっこうしっかりとした観光地で、ヒースの丘もそれなりに案内板が出ていて迷うことはなかった。もっともまったく自分の前後左右に誰も見えなくなったまま1時間以上経過した時はちょっとドキドキしたけどね。それほど寒くはなかった。牧師館からハイキングコースを歩いてブロンテの橋などをめぐり2時間半くらいのコースだった。

ブロンテ姉妹のお父さんの牧師館と墓地が今でもあって、牧師館はブロンテの博物館になっている。そこに展示されているシャーロットだかエミリーだかの着ていたというドレスがあまりに小さいのにびっくりしてしまった。私とおなじくらいの背しかなかったようだ。しかもめっちゃくちゃ細い。あんなに天気の悪い、湿気の多い不衛生な土地にずっといたら、身体も弱く、慢性肺炎持ちになるのは必須だし、病気で死ぬのは間違いない。二人とも若くして亡くなっている。

彼女たちの人生はまるでつまらなく家庭教師をしては家に戻され…とか、そういう生活だったらしい。当時の女性の不自由さたるや想像できない。きっとものすごくものすごく窮屈で理不尽な生活だったに違いない。博物館に展示された、彼女たちが作ったという手作りの小人のための絵本の展示を見ながら、なんてエキセントリックなんだろう…と思った。

実生活の彼女たちは監獄の囚人みたいだったんだろうけど、魂はひどく自由で、いろんな想像を巡らせ、ものすごい物語を生み出したわけだ。私の記憶が正しければ「ジェイン・エア」は発売後すぐヒット。「嵐が丘」は世に認められるまでかなり時間がかかったと言われている。そして、2作ともあんなに激しい愛の物語なのに、まったくセックス(もしくはそれを想像させる)シーンが出てこない。当時それを書くなんてトンでもなかったのかもしれないが、二人とも実は処女でそのまま死んでいったのではないかという説もあるらしい。

まぁ、それイコール不幸としてしまっては、彼女たちがあまりに可哀想だ。実際結婚がうまくいって外の世界にでたところで、当時の女性ができることなどたかがしれている。そういう意味で、かって牧師館に留まることで、彼女たちの魂はとても自由だった。

映画が終わったあと買ったパンフレットに「女性の自立」をフィーチャーした物語だ、という、どっかの先生のコメントがあった。なるほどね、と思った。映画の中でジェインの言う「I respect myself」っていい言葉だな、と思ったし…。

エミリーの書いた詩の一説にこんなのがある「欲しいものは自由 Give me liberty」。うーん、いいな、ブロンテ姉妹。あの詩が好きだと思っていたら、ドラマ「ハゲタカ」のエンディングテーマに使われていたんだよね。ちょっと違和感あったけど。

それにしても予告編みると…違和感ありあり。なんでこういうコピーになるんだろと思う。でも私の考えたコピーじゃきっと売れない。だから批判は出来ない(笑)

まぁ、文化的な仕事をしているんだし、どんなに忙しくても、せめて映画は週に1本は観たい…と思いつつ。