昨日は朝5時に起きて7km走って、仕事を6時間集中してやって、夜からの飲み会の前に映画を2本みた。オイラは今日は出来る女!? いわゆる1日を2倍使うというパターンだぜ!…と言いたいところだけど7kmはやっぱりやりすぎだね。実際のところ、終日眠かったし、映画も結構途中で寝てしまったわい。今日はもう少しスローにやろう。
まず1本目は映画「クロワッサンを朝食に」。パリに住むエストニア女性の話ということなんだが… うーん。でもこういう地味でパンチのないストーリーはエストニアゆえか…と私は思ったのだが、でも実はこの映画、老年おばさんの映画ということで銀座のマダムに大受け。大ヒットしているらしい。シネスイッチは久々に行った。1Fのチケット売り場で「混んでます、混んでます」とやたら強調していたが、確かに平日の昼間でこれはすごいかも。それにしてもおばちゃんたちはチケットを買うのに時間がかかる。映画の窓口はもう少し要領よくお客をさばけないものかとも思いつつも、上映前に人をいきなり犯罪者扱いするあの下品な映画泥棒のフィルムがかからないところは好感度UPかな。
主従関係における友情ということで、宣伝文句に大ヒットしたフランス映画「最強の二人」を持ち出したり、元タイトルの「パリのエストニア女」をストーリーの中の1つの重要アイテムでもある「クロワッサン」に変えてくるところなど、さすが。これがヒットのゆえんか、と思う。そもそも老年おばちゃんたちはブログやTwitterに感想書かないし、見る前にネットで感想とか確認したりはしないから騙すには最高のカモかもしれん…と意地悪く思ってみる。
パリが舞台だけど、この感じはやっぱりエストニア映画だからだね。時々挿入されるパリの景色に、この地に憧れる視線が感じられる。パリに住み始めてから、どんどんあか抜けて行くアンヌ役の女優さんが、その象徴だ。
それにしても、どこに書かれたレビューを読んでも書いてあるけど、確かに大女優ジャンヌ・モローの元気さは良かった。嫌味をいいつつもチャーミングで、最高のキャラ、フリーダ。お洒落なシャネルのスーツは自前だそうで、元ボーイフレンドだというカフェのオーナーと、女性二人の間の微妙な空気もいい。彼女のファンは観に行ったらいいと思うよ。まぁ、悪くない映画なのかもしれないけど…。ま、特におすすめもしない、って感じ。
次に新宿に移動してみた「25年目の弦楽四重奏」。A Late Quartet。英語タイトルいいね! 人生の後半にさしかかった、このバンドの次なる歴史…この先どのくらい続くか分らないけど…でも終わりへの静かなステップを踏み出した…という空気が読んで取れる。うん。
ものすごく良い映画だった。いや〜、いい。カルテット/バンドを運営していくのは、うん、こういう感じだよね。みんなが犠牲をはらって、このカルテットを維持している。それは喜びでもあるけど、その犠牲は、それぞれにとってやはりとても大きい。
厳格で真面目で人生のすべてを音楽に捧げているといった雰囲気の第1ヴァイオリン。温厚で優しそうな…でも第2では嫌だと思っている、人のいい第2ヴァイオリン、ヴィオラは女性で第2ヴァイオリンの妻だが、実は密かにだい1ヴァイオリンのことを思っていた時期もあった。すべてを支えるみんなよりも高齢のチェロは彼女、そしてみんなにとって父親的存在だ。物語はチェロがパーキンソン病におかされている、と告白するところから始まる。
チェロが引退を宣言。そうして微妙だったバンド/カルテット内のバランスが、少しずつくずれはじめる。それでもみんな音楽が、このカルテットが好きなんだよね。
まぁ、どうも自分がかかわっているが故に音楽の場を他の職業より素敵に捕らえるバイアスがあるからナンだけど、こんな微妙なバランスの上になりたっているのは、音楽バンドだけじゃないかもしれない。人の人生、職業、いろんなプロジェクト…なんでもそうかもしれない、とも思う。
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの微妙な関係は、映画内にも出てくるが、彼らの会話はすべて興味深かったね。いわゆるソロプレイヤー、フロントというのは、いろんな意味でのストイックさんと「俺が一番」みたいな感覚も要求される。上手い、下手…ではなく、どちらかというと、これは性格と適正の問題だとも思う。そんな二人が最後の最後にチェロの引退にともなって、お互い少しずつゆずりあいながら前進していくその感じがとっても素敵だった。これは書いてしまっても、映画の感動に水はささないと思うので、あえて書くが、最後の最後にあんなに譜面に厳格だった第1ヴァイオリンが譜面を閉じるシーンにそこが集約されている。バンドは今、新しいステップを踏み出したのだ、と。
またバンド内に女性がいて、その女性がバンド内の誰とつきあっているか…というのも、
よくある話だ。私は個人的にはそういう関係をバンド内に持ち込むべきではない、と思っているが、実際はよく起こる話で、バンド内の男全員と寝ました…みたいな女性メンバーは、あのバンドにもいるし、このバンドにもいる(笑)
誰もがある意味、人間として当たり前にある人間性みたいなところを犠牲にしながら、このカルテットに自分を捧げている。
ここでも言われる…音楽は崇高なもので、その前ではすべてが小さい…みたいな事。でもそれを得るために、それに係るために、やはりどこかものすごく大事なものを、音楽を仕事にしている私たちはどこか失っている。悪魔に魂を売り渡した? いや、それは神かもしれない。音楽は人間が動物とは違うことを証明するために必要なものなのか、それとも逆に動物的な感覚を取り戻すために必要なのか…いや、いずれにしても、そもそも本当に本当に必要なものなんだろうか…みたいな。
チェロが自分の生徒たちにパブロ・カザルスのエピソードを話すところは素敵だった。若いころ憧れのカザルスの前で演奏する機会を得たチェロは、緊張のあまりボロボロだった自分の演奏にひどく傷ついてしまう。が、名匠カザルスは未熟者の彼をすごく褒めてくれた。自分の不出来が分かっているだけに正直チェロは心の中でがっかりする。で、何年かたってカザルスと同等の立場で演奏するようになった彼は「どうしてあの時、褒めてくれたんだ」と巨匠に尋ねる。カザルスはなんと当時の彼の演奏を完璧に再現してみせて「本当に素晴らしい音楽を聴かせてくれてありがとう」と言ったのだった。
終演後、パンフレットを買ったら音楽ジャーナリストの林田直樹さんが文章を寄せられていて、そこにも書いてあったのだけど、このシーンは素敵であるばかりではなく、まさに「映画全体が再び秩序を取り戻す方向へと動き始める転換点ともなっている」とされていた。まさにその通り。
また林田さんがパンフレット内の文章で紹介しているベートヴェンの人生と、今回の映画のストーリーの中心を担っているともいえる作品「弦楽四重奏曲第14」についての話は、私のようにクラシックのことをよく知らない人間にも、この映画をさらに深く味わうための手助けとなっている。なのでパンフもぜひゲットするように!
これは必見。もう終わっちゃうと思うので、急いだ方がいい。
まず1本目は映画「クロワッサンを朝食に」。パリに住むエストニア女性の話ということなんだが… うーん。でもこういう地味でパンチのないストーリーはエストニアゆえか…と私は思ったのだが、でも実はこの映画、老年おばさんの映画ということで銀座のマダムに大受け。大ヒットしているらしい。シネスイッチは久々に行った。1Fのチケット売り場で「混んでます、混んでます」とやたら強調していたが、確かに平日の昼間でこれはすごいかも。それにしてもおばちゃんたちはチケットを買うのに時間がかかる。映画の窓口はもう少し要領よくお客をさばけないものかとも思いつつも、上映前に人をいきなり犯罪者扱いするあの下品な映画泥棒のフィルムがかからないところは好感度UPかな。
主従関係における友情ということで、宣伝文句に大ヒットしたフランス映画「最強の二人」を持ち出したり、元タイトルの「パリのエストニア女」をストーリーの中の1つの重要アイテムでもある「クロワッサン」に変えてくるところなど、さすが。これがヒットのゆえんか、と思う。そもそも老年おばちゃんたちはブログやTwitterに感想書かないし、見る前にネットで感想とか確認したりはしないから騙すには最高のカモかもしれん…と意地悪く思ってみる。
パリが舞台だけど、この感じはやっぱりエストニア映画だからだね。時々挿入されるパリの景色に、この地に憧れる視線が感じられる。パリに住み始めてから、どんどんあか抜けて行くアンヌ役の女優さんが、その象徴だ。
それにしても、どこに書かれたレビューを読んでも書いてあるけど、確かに大女優ジャンヌ・モローの元気さは良かった。嫌味をいいつつもチャーミングで、最高のキャラ、フリーダ。お洒落なシャネルのスーツは自前だそうで、元ボーイフレンドだというカフェのオーナーと、女性二人の間の微妙な空気もいい。彼女のファンは観に行ったらいいと思うよ。まぁ、悪くない映画なのかもしれないけど…。ま、特におすすめもしない、って感じ。
次に新宿に移動してみた「25年目の弦楽四重奏」。A Late Quartet。英語タイトルいいね! 人生の後半にさしかかった、このバンドの次なる歴史…この先どのくらい続くか分らないけど…でも終わりへの静かなステップを踏み出した…という空気が読んで取れる。うん。
ものすごく良い映画だった。いや〜、いい。カルテット/バンドを運営していくのは、うん、こういう感じだよね。みんなが犠牲をはらって、このカルテットを維持している。それは喜びでもあるけど、その犠牲は、それぞれにとってやはりとても大きい。
厳格で真面目で人生のすべてを音楽に捧げているといった雰囲気の第1ヴァイオリン。温厚で優しそうな…でも第2では嫌だと思っている、人のいい第2ヴァイオリン、ヴィオラは女性で第2ヴァイオリンの妻だが、実は密かにだい1ヴァイオリンのことを思っていた時期もあった。すべてを支えるみんなよりも高齢のチェロは彼女、そしてみんなにとって父親的存在だ。物語はチェロがパーキンソン病におかされている、と告白するところから始まる。
チェロが引退を宣言。そうして微妙だったバンド/カルテット内のバランスが、少しずつくずれはじめる。それでもみんな音楽が、このカルテットが好きなんだよね。
まぁ、どうも自分がかかわっているが故に音楽の場を他の職業より素敵に捕らえるバイアスがあるからナンだけど、こんな微妙なバランスの上になりたっているのは、音楽バンドだけじゃないかもしれない。人の人生、職業、いろんなプロジェクト…なんでもそうかもしれない、とも思う。
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの微妙な関係は、映画内にも出てくるが、彼らの会話はすべて興味深かったね。いわゆるソロプレイヤー、フロントというのは、いろんな意味でのストイックさんと「俺が一番」みたいな感覚も要求される。上手い、下手…ではなく、どちらかというと、これは性格と適正の問題だとも思う。そんな二人が最後の最後にチェロの引退にともなって、お互い少しずつゆずりあいながら前進していくその感じがとっても素敵だった。これは書いてしまっても、映画の感動に水はささないと思うので、あえて書くが、最後の最後にあんなに譜面に厳格だった第1ヴァイオリンが譜面を閉じるシーンにそこが集約されている。バンドは今、新しいステップを踏み出したのだ、と。
またバンド内に女性がいて、その女性がバンド内の誰とつきあっているか…というのも、
よくある話だ。私は個人的にはそういう関係をバンド内に持ち込むべきではない、と思っているが、実際はよく起こる話で、バンド内の男全員と寝ました…みたいな女性メンバーは、あのバンドにもいるし、このバンドにもいる(笑)
誰もがある意味、人間として当たり前にある人間性みたいなところを犠牲にしながら、このカルテットに自分を捧げている。
ここでも言われる…音楽は崇高なもので、その前ではすべてが小さい…みたいな事。でもそれを得るために、それに係るために、やはりどこかものすごく大事なものを、音楽を仕事にしている私たちはどこか失っている。悪魔に魂を売り渡した? いや、それは神かもしれない。音楽は人間が動物とは違うことを証明するために必要なものなのか、それとも逆に動物的な感覚を取り戻すために必要なのか…いや、いずれにしても、そもそも本当に本当に必要なものなんだろうか…みたいな。
チェロが自分の生徒たちにパブロ・カザルスのエピソードを話すところは素敵だった。若いころ憧れのカザルスの前で演奏する機会を得たチェロは、緊張のあまりボロボロだった自分の演奏にひどく傷ついてしまう。が、名匠カザルスは未熟者の彼をすごく褒めてくれた。自分の不出来が分かっているだけに正直チェロは心の中でがっかりする。で、何年かたってカザルスと同等の立場で演奏するようになった彼は「どうしてあの時、褒めてくれたんだ」と巨匠に尋ねる。カザルスはなんと当時の彼の演奏を完璧に再現してみせて「本当に素晴らしい音楽を聴かせてくれてありがとう」と言ったのだった。
終演後、パンフレットを買ったら音楽ジャーナリストの林田直樹さんが文章を寄せられていて、そこにも書いてあったのだけど、このシーンは素敵であるばかりではなく、まさに「映画全体が再び秩序を取り戻す方向へと動き始める転換点ともなっている」とされていた。まさにその通り。
また林田さんがパンフレット内の文章で紹介しているベートヴェンの人生と、今回の映画のストーリーの中心を担っているともいえる作品「弦楽四重奏曲第14」についての話は、私のようにクラシックのことをよく知らない人間にも、この映画をさらに深く味わうための手助けとなっている。なのでパンフもぜひゲットするように!
これは必見。もう終わっちゃうと思うので、急いだ方がいい。