そろそろ夢から卒業しないと…「ルポ虐待」を読んで 続き

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「ルポ虐待」がかなりショックで、まったくもってイライラした書評を自分のブログに書いたのだが、そのムラムラを友人のツイートが吹っ飛ばしてくれた。

左がそれをキャプチャしたもの。

今の世の中は「自分で何ができるか」ってのを考えさせる。それだけ考えて、絶望させてしまう社会。それができあがりつつある、ということ。

こういう言葉をくれる友達はありがたいよね! まったくもってこれは正しい。そうなんだよね。私も、そろそろ「オレが世界を良い方向に変えてみせる!!」みたいな中2病から脱しないと…と思ったりしたのでした。

そうなんだよね。結局言えるのは、社会は自分では変えられない。変えられるのは自分だけだ。だから自分の現場で頑張ることなんだと思う。それを思うと、やっぱり東さんや津田さんや開沼さんがやっているプロジェクトはすごいと思うわ。だって、これはあの3人にしか出来ない事だもの!

いつだったか、たぶん糸井重里だったと思うけど、震災直後、「もうこれからは誰もがバケツリレーをしなきゃいけない」みたいなツイートをしていたことがあって… それを見たとき、私はすっごく絶望した。あの時の絶望の感じ…まだリアルに覚えている。バケツリレー… それは私がもっとも不得意とするもの。まぁ、だから荒川土手を走って身体鍛えているけどね… 言いたいこと分るでしょ。

今、音楽なんかよりも大きな問題が日本にはたくさんある。この世は悲しいことばっかりだ。でも、結局自分の出来ることは、自分の現場で頑張ることだけなんだ、と。となると、私はどんな戦場にほおりこまれても、今のこの仕事を続けている、ということなんだと思う。

例えばボノなんか偉いよね。あれだけのセレブでお金も持っているからチャリティなんて再現なく出来るんだろうけど、貧困問題にフォーカスして頑張っている。つまりボノの力を持ってしてでも、そうなんだ、って事。それだけだって大変な話だ。何か出来ることを、自分の力を集中させて、一番効率の良い形で社会に貢献するしかない。で、自分の力の無さを実感する。でもめげずにやる。そして、その繰り返しでしか、小さな自信を手にいれることはできない。

ところで昨日ブログで「人にお金貸したことない」って自慢したけど、それはウソでした。あとから思い出した。実は1回だけ、人に結構な金額を貸したことがある。とあるプロジェクトを一緒に進めていた人がトンズラしてしまい、とあるライブハウスに多大な迷惑をかけた。その人が小屋のキャンセル料を払わないでトンズらしてしまったので、私がその分、数十万をたてかえたんだよね。もう10年以上前の話だよ。

私もイジワルだったのは、その彼は私のことをすごく認めてくれて、一緒にプロジェクトをやろうと熱心に進めてくれていた人だった。だから私が迷惑を被ることは彼にとっては相当不本意でイタいことだっただろう。心の優しい人だった、とも言える。でも心が優しくても残念ながら、お金を返さない人はいる。だからといって、ちゃんとした成人が小屋を押さえた条件を無視して踏み倒していいという理由にならない。しかもその小屋は私が紹介したという経緯もある。

そして、この彼も現実逃避というか、問題が目の前に来るとそれとディールできない、そういう弱い人だった。幸いに奥さんという人がまともな職業の人だったので、良かったのだけど、奥さんに綺麗な念書までもらったりして…少しずつ返します、みたいな内容だった。私はお金は返ってこなくても、もうイイヤとも思った。貧乏mplantには痛い金額だったが、これも社会勉強か。でも確かお金は一回滞ったと思うが、それでもちゃんと戻って来たよ。でもその家族が私に全額を返す前に、家族で海外旅行に行ったらしい事は、知らないふりをしておく(笑) そしてその事実をここに書いてしまう私も相当意地悪だよね。

だから善意/悪意、それぞれ100%ってのはないんだよね。結局分かるのはそういうことだ。何も分からないということだけだ。そしてそれについて自分が出来ることなんて、たかがしれている、ということだ。

でも自分で世の中を変えたい、何か出来ることはないか、とか、ついつい思っちゃうんだよね。

ゲバラの言葉。


もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば
できもしないことを考えているといわれるならば
何千回でも答えよう
「その通りだ」と。