(のざきの思い入れたっぷり/笑)メアリー・ブラック物語 2

今でこそ会ったことのないアーティストをプロモーションするなんぞもってのほかなのだが、レコード会社勤務当時はそもそも音も聞かずにプロモーションやってた… ま、レコード会社のプロモーターなんてそんなもんですよ。実際ホントにつまんない、ヨーロッパで安く買い付けて来たユーロビートとかそんなんばっかリリースしてたんだもの。

メアリーにはそんなわけで会ったこともなかったし、コンサートを観たこともなかったんだけど… なぜか「ノー・フロンティアーズ」には入れこんだね。プロモーションした、した。もうなんの疑いもなく。CDは死ぬほど聞き倒し、会社がくれるプロモ用のカセットテープ(死語)が間に合わなくて、自分で会議室にこもってダビングしたり…おかげで「ノー・フロンティアーズ」は私のサウンドトラックみたいになっちゃった。

当時、宣伝所属の私の担当は電波媒体とFM誌担当だった。ちょうどFM局が音楽出版社を持ちはじめた時代で、正直プロモーションしたところで何ができる…という世界ではあったのだけどね。つまり出版権をふれば、その曲が放送局でかかる。かかって印税が入る、CDが売れれば放送局にもお金が入る…そうやって利益を循環させるというひどいビジネス。それでも…。それでも放送局には素敵なおじさんやお姉さんたちがたくさんいたね。皆さんに助けられ、メアリーけっこうかかりましたよ。J-WAVEのトップ100みたいなのにもチャートインしたし、ジェット・ストリ〜〜ムみたいな名門番組でもかかったりしてた。今でもあの頃から活躍されてるラジオのディレクターさんたちに会うと言われる。「野崎ぃ〜、メアリーはどうしてる?」って。そのくらい私はメアリーどっぷりだった。

そして自分の人生でも、ホントにターミングポイントになったのが、FMファンの表紙だ。当時はFM誌ってのがあったんだよね。全盛期は4誌くらいあったんじゃないのかな。小学館のFMパル、音友の週刊FM、ダイヤモンドだったけ?…のFMステーション、そして共同通信社のFMファン。結構みんな洋楽、そしてメインストリームじゃない洋楽も取り上げてていてくれていた。そして中でもFMファンの表紙はその週のアルバム1枚がドーーンと載るという装丁で、FM誌担当の各レコード会社プロモーターは、ここを取ることがプロモーション上の勲章だった。

で… 取れてしまったのだ。メアリーの「ノー・フロンティアーズ」私があんまり頑張るから、しょうがないな…と編集部の人たちが同情してくれたのだろう。ホントに申し訳なかったと思う。今思いかえせば、発売日とかからもちょっとずれてたかもしれない。広告すら入れてなかったかも。特に熱戦だったのが当時ポリドールから出てた、やはりヨーロッパ系の女性ヴォーカリスト…名前すでに忘れた。もういない人だと思う… そっちとの接戦だった。あっちはT橋M子ちゃんという、これまた女性プロモーターががんがんに押していた。(彼女は現在ミューニック在住) そして、その号の表紙は誰にするか、ということは、毎週行われる編集部の会議で投票制で決まる事になっていた。

結果がでる、というその日。偶然にも会社では例の長い長い会議が行われていた。会議中は電話がかかってきてもだいたい「会議中です」と言って折り返してもらうのだけど、デスクのAちゃんに「FMファンから私にかかってきたら絶対につないで」と伝言して私は会議に出た。…で、電話はかかってきた。だから合格発表は会議中に聞いた。電話で編集部内で一番私を応援してくれていた副編集長のKさんが、編集部にジャケット写真を送るよう支持してくれるのだがメモを取る手が震えたよ。手がふるえるほど興奮したり嬉しかったりしたのは,あの時だけじゃないかな。ペンでメモを取るのだが、まるで書けない。「ありがとうございました」そしてその場でメアリーがFMファンの表紙に決まったことを発表することができた。社長もいたんじゃなかったかな。すごいよな、私(笑)

当時を思えば私は反骨精神まるだしだった。会議が終わって発売日がすぎてしまうと、もう何もしないというレコード会社の体質が大嫌いだった。会議でおじさんたちはいつも旧譜率が何割以上じゃないと会社がやばい…それしか言ってなかった。つまり新譜を出して稼いでいるようじゃダメなんだ、と。内容がどうとか、音がいいとか、そういう事にはいっさい触れない。アーティストを育てるとか、そういう話は一つも出てこない。そういうのが大嫌いだった。

今、当時を振り返って会社の上層部の気持ちを想像すれば生意気な25くらいの女がギャンギャンさわいで自分勝手に会社の一押しでもないアーティストを勝手にプロモーションしている…くらいの状態だったろう。会社からすればトンでもないことだ。

でも、今だから分かるけど、会社のおじさんたちは割と私のことは自由にほおっておいてくれたんだよね。当時の部長がとある同僚に告白したそうだ。実は私は当時キングレコードのどの社員よりも交通費におけるタクシー代の請求が大きかった。というのもいつもサンプルを100枚くらいもって7社くらい回るのだから当然のことだ。実際会社の誰よりも動いて誰よりも頑張っているという自負はあったから、万が一そんなこと言われてもたぶん「けっ」って感じなのであるが、当時私の上司だったA部長は「野崎はあのときタクシー代を社内で一番つかっていたけど、俺は何も彼女に注意しなかった」と自慢げに語っていたのだそうだ!!? なんか…!! なんかっっ! ちょっと可愛いよね、部長。今ならちょっと分かるけど、でも当時の私ときたら、そりゃもう会社全部にたいしてプリプリいっつも怒っていたから…。誰も私の事を分かってくれない、私がこんなに頑張っているのにっ、って。いやはや…

でもそれを恥ずかしいとは思わないよ。そうやって頑張ったから今の自分があるのであって、当時会社にいた何人が今、この音楽業界に残っているだろう、って、そう思ったら、全然後悔してない。そしておじさんたちに「ありがとう」って言える余裕も、今の私ならあるのだ。

いいでしょ。これ。まだ取ってあるんだよね。私の人生はこのアルバムとともにある。
ありがとう、FMファンの皆さん。

この表紙がきっかけで、なんとメアリーに追加宣伝予算が投入されることが決まったのである。続きは次回!







































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4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。ふふふ、大丈夫。あっちのはちゃんとメアリーのバイオを中心にライナー然と書いてるから。ここに書いているのはあくまでも裏ライナー(笑)