メアリー・ブラック物語 11 いよいよTHE MUSIC PLANT設立へ

「サーカス」はメアリーにとっても大きな変化をもたらしたアルバムだった。大きなことはこのアルバムのリリースと同時に13年間一緒にやってきたデクラン・シノットとのコンビは解消される。メアリーの「サーカス」リリース時の来日は、そういうわけでギタリストはとっても若いビル・シャンリーがやってきた。ビルはデクランのシャープでエッジィなギターと違ってビルは主張しないプレイヤーだから、私はちょっと不満だった。ごめんね、ビル。

当時のバンドの様子が、なんとYou Tubeにあがってます。これ、来日時に撮影したTV番組だよね。当時は新星堂がスポンサーをし、こうやって音楽番組を持っていた。これはプランクトンさんが取ってきてくれた仕事だったんだよ、確か。

しかし、まぁ、こういうのを録画しておいて、それをアップする人がいるってのがすごいよなぁ…(笑)95年とかの話である。まだハードディスクレコーディングとかなかっただろうし…



で、こっちはそのデクランとのコンビ解消のアナウンス直後のTVショウより。



デクランは当時、地元コーク出身のアーティストであるシネイド・ローハンというアーティストを発掘し、彼女に相当力を注いでいた。だからそっちに力を入れたかったのかもね。まぁ、13年もやってきて一区切りついた、ということなんだと思う。とはいえローハンの方は確かデクランとのコラボはたった1枚で、あとはなんかビックプロダクションの方向へ流れていき(そこに前述のGrapevineも絡み)、結局はよくあるパターンなのだけど契約の切れ目が音楽活動の切れ目みたいになっちゃったと思う。

デクランはそのあと旧友のクリスティ・ムーアと活動をともにし、あいかわらずシャープな音楽を聞かせてくれている。最近はなんとソロ活動も活発だ。詳しくはここ

デクランのギターとプロダクションは、ともするとユルくなりがちなフォークの世界にエッジィなものを加えてくれていたと思う。今でもそうだが、メアリーはホントにバンドがいい。バンドが一流で、まったくもって最高だからこそ、彼女のコンサートは素晴らしい。

そんなわけでNew Startを切ったメアリーと彼女のJapanese Team(笑)だったわけが、当然のことながら新譜「サーカス」をプッシュしながらもメルダックは旧譜の権利も獲得したがった。つまりメアリーを移籍させ長期的にプロモーションしていくなら、全カタログ自分で持っていたいと思ったわけだ。それは当然の考えだ。

でも…日本のレコード会社って権利を取っても、興味をしめすのはリリースからせいぜい2、3ケ月で、あとは在庫を切らし、実行されない契約書だけが存在する…みたいなオチになることはメアリー側も私も分かっていたんだよね。特に新譜ではなく旧譜ともなればなおさらだ。そしてカタログは市場から消滅してしまうことになる。

そんなんじゃまったく意味がない。こんなに一所懸命やっているのだから、なんとかこれをビジネスレベルに持って行きたい。メアリーのアイルランドのマネジメントはメアリーの旦那のジョーが社長をやっていて、かつレコード会社も運営していた。そして、私たちは話しあいをした結果、ジョーから旧譜についてはメルダックに渡さず自分たちでやってみないかと提案された。CDを送るからお前が売ってみろ。支払いは後でいいから…。

そういってジョーは「ノー・フロンティアーズ」と「暗くなる前に」のアルバムを1,000枚ずつ、どーんと私に送ってきた。これが今のTHE MUSIC PLANTの始まりである。


メアリー・ブラック再来日決定。5月19、20日。コットンクラブにて。詳細はこちら。4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。