写真はメアリー・ブラックのテレフォンカード2種。左は日本製。最初のレコード会社がBabes in the woodの時に作ったもの。Arigatoというのは当時のメアリーのアクセントにあわせてゲール語風に入れた…ちょっと内輪受けだよね(笑)しかしいい時代だったよねー 洋楽でもこういうノベルティは各社たくさん作っている時代だった。
左はアイルランド製。これ、90年代後半に流行った新規電話事業みたいなやつだと思う。アイルランドで作ったもの。裏のスクラッチを削って番号を入力し、国際電話が安くかけれる…みたいなやつ。結局記念に1枚もらっただけでつかってない。
私はホント普段物持ちが悪い…というか、どちらかというとすぐ捨てる人なんだが、なぜかメアリーグッズだけは結構取ってある…かな。
さてさて… 輸入盤をベースにしたレーベルをスタート…といっても、そもそも私はどうやって物を輸入したらいいのかも分からなかった。なので「輸入ビジネスの始め方」みたいな本を買って税関のことや貨物会社のことなどを勉強した。世の中便利なもんで、大抵のノウハウは本になって書店に売っている。
またレコード会社勤務経験があるとはいえ、宣伝部署でしか経験がなかったため、営業経験はほぼゼロだった。つまりレコード店にどうやってCDをおろしていいか、よく知らなかった。でもそれも人を紹介してもらって勉強した。
CDを輸入して、ライナーを入れて帯をかけ、そして当時在籍していたプロモーション会社の頭文字をもらってつけたレコード番号RUCD001、「ノー・フロンティアーズ」が発売になったのである。96年8月8日のことだ。まだTHE MUSIC PLANTという名前はない。この夏は某日本人アーティストのレコーディングのコーディネイトの仕事も受けたので、強烈に忙しかった。毎日夜2時くらいまで仕事をしてタクシーで帰宅し、朝は10時には出社してこれまた強烈に仕事をしていた。これがレーベル事業のスタートである。
CD輸入の経費は「Wonder Child」というスペシャル盤をメルダックからリリースする事で得た経費でまかなった。これは私とジョーが経費を捻出するために企画したものだ。もう細部は記憶にないが、このスペシャル盤のリリース時、すでにサーカスの契約の時に間に入った制作会社は姿を消していた。だから私が契約をすべて取りまとめた。割とマニアックな、日本で発表になっていない音源を集めたもので、自分でも気に入っているミニアルバムだ。その契約を取りまとめることで得たお金で、輸入の経費をまかない、ライナーの執筆料や歌詞対訳料、帯やライナーの印刷にあてた。何せ初期費用でその時に在籍しているプロモーション会社に迷惑をかけるわけにはいかなかったから。プロモーション会社では1事業として会社の通帳と分けて、つまり独立した経理でこの事業をやらせてくれた。
しかしここで問題…というか難関発生。日本の販売システムは何でもそうなんだけど、問屋が結構幅を利かせている。CDも同じで、直接レーベルがCD屋に商品を卸してはいけないことになっている。というか、それは不可能なのだ。なんでも問屋に一回おろす。CDの場合もディストリビューターと呼ばれる販売会社が間に入り、そこにCDをおろすのだ。最初契約したディストリビューターは偉そうなことを言う割には何も行動してくれないところで、初回のオーダーはたったの8枚だった。
新規事業とか、やってみればわかるけど、あれこれ偉そうに言うオヤジどもは多くても、実際に行動する人ってホントに少ない。誰もがしゃべる分だけ仕事すればこの世はホントにエキサイティングな場所になると思うのだが… でも逆にしゃべった事を確実に実現させているだけで、すぐにある程度のレベルまで成功を持っていけると思う。言ってることをやらない奴が多いんだ…この世界は!
メジャーと違って発売日を過ぎても努力を継続できるところがインディーのいいところである。発売前の会議の時だけ盛り上がるメジャーとは話が違うのだ。だから私はなんとかこの初回2,000枚のCDを売りきろうと頑張った。
いろんな人に助けられ、特にリスペクトレコードの高橋さんが紹介してくれたメタカンパニーさんに出会うことで、CDは順調に売れるようになっていった。そのあとに輸入したフランシス・ブラックの新作はタワー渋谷の1Fで展開され1店舗だけで何百枚という売り上げをあげた。そしてRUCD004のドロレス・ケーンのベストにいたってはかなりのヒットとなった。リリースを重ねることでレーベルとして機能していくようになると旧譜もよく動いた。
左はアイルランド製。これ、90年代後半に流行った新規電話事業みたいなやつだと思う。アイルランドで作ったもの。裏のスクラッチを削って番号を入力し、国際電話が安くかけれる…みたいなやつ。結局記念に1枚もらっただけでつかってない。
私はホント普段物持ちが悪い…というか、どちらかというとすぐ捨てる人なんだが、なぜかメアリーグッズだけは結構取ってある…かな。
さてさて… 輸入盤をベースにしたレーベルをスタート…といっても、そもそも私はどうやって物を輸入したらいいのかも分からなかった。なので「輸入ビジネスの始め方」みたいな本を買って税関のことや貨物会社のことなどを勉強した。世の中便利なもんで、大抵のノウハウは本になって書店に売っている。
またレコード会社勤務経験があるとはいえ、宣伝部署でしか経験がなかったため、営業経験はほぼゼロだった。つまりレコード店にどうやってCDをおろしていいか、よく知らなかった。でもそれも人を紹介してもらって勉強した。
CDを輸入して、ライナーを入れて帯をかけ、そして当時在籍していたプロモーション会社の頭文字をもらってつけたレコード番号RUCD001、「ノー・フロンティアーズ」が発売になったのである。96年8月8日のことだ。まだTHE MUSIC PLANTという名前はない。この夏は某日本人アーティストのレコーディングのコーディネイトの仕事も受けたので、強烈に忙しかった。毎日夜2時くらいまで仕事をしてタクシーで帰宅し、朝は10時には出社してこれまた強烈に仕事をしていた。これがレーベル事業のスタートである。
CD輸入の経費は「Wonder Child」というスペシャル盤をメルダックからリリースする事で得た経費でまかなった。これは私とジョーが経費を捻出するために企画したものだ。もう細部は記憶にないが、このスペシャル盤のリリース時、すでにサーカスの契約の時に間に入った制作会社は姿を消していた。だから私が契約をすべて取りまとめた。割とマニアックな、日本で発表になっていない音源を集めたもので、自分でも気に入っているミニアルバムだ。その契約を取りまとめることで得たお金で、輸入の経費をまかない、ライナーの執筆料や歌詞対訳料、帯やライナーの印刷にあてた。何せ初期費用でその時に在籍しているプロモーション会社に迷惑をかけるわけにはいかなかったから。プロモーション会社では1事業として会社の通帳と分けて、つまり独立した経理でこの事業をやらせてくれた。
しかしここで問題…というか難関発生。日本の販売システムは何でもそうなんだけど、問屋が結構幅を利かせている。CDも同じで、直接レーベルがCD屋に商品を卸してはいけないことになっている。というか、それは不可能なのだ。なんでも問屋に一回おろす。CDの場合もディストリビューターと呼ばれる販売会社が間に入り、そこにCDをおろすのだ。最初契約したディストリビューターは偉そうなことを言う割には何も行動してくれないところで、初回のオーダーはたったの8枚だった。
新規事業とか、やってみればわかるけど、あれこれ偉そうに言うオヤジどもは多くても、実際に行動する人ってホントに少ない。誰もがしゃべる分だけ仕事すればこの世はホントにエキサイティングな場所になると思うのだが… でも逆にしゃべった事を確実に実現させているだけで、すぐにある程度のレベルまで成功を持っていけると思う。言ってることをやらない奴が多いんだ…この世界は!
メジャーと違って発売日を過ぎても努力を継続できるところがインディーのいいところである。発売前の会議の時だけ盛り上がるメジャーとは話が違うのだ。だから私はなんとかこの初回2,000枚のCDを売りきろうと頑張った。
いろんな人に助けられ、特にリスペクトレコードの高橋さんが紹介してくれたメタカンパニーさんに出会うことで、CDは順調に売れるようになっていった。そのあとに輸入したフランシス・ブラックの新作はタワー渋谷の1Fで展開され1店舗だけで何百枚という売り上げをあげた。そしてRUCD004のドロレス・ケーンのベストにいたってはかなりのヒットとなった。リリースを重ねることでレーベルとして機能していくようになると旧譜もよく動いた。
そうして最初のリリースから、半年後「お金が払える」とアイルランドに電話したら、電話の向こうでジョーは「ヨーコが支払うって! Yupeeee!!! シャンペーンもってこーい!」と叫んでいた。実際、この成果は彼らの期待よりもうんと早かったと思う。それはすごく嬉しい瞬間だった。そんなわけで私はジョーとメアリーには今でも足を向けて寝られないのだ。
メアリー・ブラック再来日決定。5月19、20日。コットンクラブにて。詳細はこちら。4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。
メアリー・ブラック再来日決定。5月19、20日。コットンクラブにて。詳細はこちら。4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。