磯田さん |
今朝起きたら、ひらいたかこさんからメールが入っていて、磯田和一さんが亡くなったことを知った。71歳だったそうです。亡くなったのは4日だかだったそうで、ニュースにもなっていたそうなのだけど…気がつかなかった。
ウチのロゴ! |
私がどうしてお二人と知り合ったかというと、これまた時間はキングレコード時代にさかのぼる。だからもう20年以上前のことです。某JAZZのCDのジャケットのイラストを依頼されたひらいさんが、キングレコードの事務所にやってきて、なぜだか私は担当じゃなかったんだけど、とっても仲良くなったのです。不思議なもんだよね。そのとき担当してたA&Rのおじさんはもう音楽業界をとっくに辞めちゃってるってのに。
名著! |
だいたいはお二人一緒だったけど、磯田さんが一人でお見えになることもあった。磯田さんは大きな目をキラキラさせて、ものすごく楽しそうに音楽を聴いてくれた。ヴェーセンも見てもらったことあった。文化放送のアイリッシュ音楽のセッションイベントにも来てくださった。ハラールとモーテンのコンサートにもいらしていただいたよな… そうそうハラールとモーテンについては、ひらいさんが公演チラシにイラストを描いてくれたんだ。あの時はハラールとモーテンをどうやったら有名に出来るかな、とか、そんなことまで相談にのってもらったように記憶している。
とにかくコンサートに来られる時のお二人のそのわくわく感が、いつも本当に私を力づけてくれていた。私はホントに嬉しかった。
旅心誘われる素敵なエッセイ |
そもそもウチの音楽を応援してくれた最初の著名人の方がお二人かもしれない。ひらいさんと磯田さんの事は、名前を出せば、ちょっと教養のある友達は知っていたので、私はお二人がウチの音楽を応援してくれていることが、たいそう自慢だった。
最近は年に1度、ひらいさんが送ってくださるカレンダーにお二人の近況が同封されていて、磯田さんが倒れた、でもまた生還した…みたいなスーパー武勇伝が、いつもの旅エッセイ本同様、イラストと手書きの文字でおもしろ可笑しく報告されていた。
ひらいさんのカレンダーに今年は毎日のランニングの記録を付けているので、お二人とはしばらく会ってないのに、私は本当にすごく近い気持ちでいた。ホントに、またお会いして磯田さん生還武勇伝を聞こうと思っていたのに!
爆笑! |
最後に磯田さんと交流があったのは確かメールで… 姪っコさんがスウェーデンだかどこだかに留学するので、それがとても心配だ…というお悩みメール(笑)をいただいたのが最後だったと思う。コンサートに来ていただいたのは…確か最後はアラマーイルマン・ヴァサラットがだったもしれない。
あのへんなバンドをお二人に「すごくいい、面白い」って、ものすごく褒めてもらったのを記憶している。
あのへんなバンドをお二人に「すごくいい、面白い」って、ものすごく褒めてもらったのを記憶している。
ひらいさんがどちらかというとメールやSNSが苦手で、そのせいかもしれないけど磯田さんは結構あれこれやられていたんだよね。Facebook始めたんだけど、なんかそれによって友達の皆さんにヘンな案内が行ってしまってすみません、みたいな事があって、そんなのSNSやってれば、このくらいのこと平気ですよ程度な事に、たいそう恐縮されていたのが思い出される。でもそんな風にずっと好奇心にあふれる方だったのだ。最近までホントに旅してらしたと聞いている。描き残した原稿とかあったのだろうか…
今朝来た、ひらいさんのメールに、書いてあったこと。自慢なんでちょっと紹介しちゃう。「磯田さん、野崎さんの生き方が本当に素敵だといつも思っていました。「あの子はかっこええなぁ」って」
そんなわけで、今日お通夜に行って、早めに行ったんだけどすでに長蛇の列ですごいことになってて、たぶん雑誌や出版社関係の方ばかりだったのだと思うんだけど、お線香をあげてとっとと退散。そういやお二人と共通の知り合いっていなかったなぁ…
そのまま帰るのがいやだったので、八重洲のおだいどこやなぎに寄ってきました。女将さんの料理がしみました。ありがとうございます。女将さんは私のくだらないブログやTwitterとかをちゃんとのぞいてくれているのです。そして今日のやなぎのカウンターでは、亭主なくして40年という、めちゃくちゃかっこいいおばあちゃんが、やはりハムカツを頼んでパクパク元気に食べてらした。かっこいいなぁ!
明日からも頑張ります。じゃないと磯田さんに申し訳ない。ひらいさん、落ち着かれたら、今度こそゆっくりご飯が食べたいです。磯田さんの武勇伝、聞かせてください。磯田さん、ありがとう!! 野崎、頑張ります!