佐々木俊尚さんが今朝こんな記事を紹介してらしたが…
TV,ラジオ制作業界もそうだと思うけど、音楽業界なんて、もっと大変じゃないのか…と思ったよ。どんどん予算が削られ、スタッフを守ってくれるような気丈なクライアントさんはどんどん減って行く。
私も最近は「いいように使われてるよなー、おい」みたいな思いにかられることもしばしば。いや、仕事がもらえるのはありがたいんですよ、ありがたい。
ただ、まぁそれでも私は自分は気持ちの落としどころがあるのが救い。すべての仕事が自分のアーティスト、自分の好きなものをなんとかしたい、というところから発生しているからなんとかなるのだ。これがなければ、正直割りが悪くてやってられない…と思う仕事が多いのだよ。
が、ここで常見陽平さんの書いてたブログを思い出す。ドストエフスキーは、トルストイは割があう、と思って書いてないですよ、と。はい、すみません、確かにそうです(笑)
そうだ。仕事はそういう高尚な気持ちを持って当たらないと…仕事は規模の大小、社会的意味の大小に係らず…。はい。
が、周りを見回してみれば、音楽業界の多くの人たちが自分の好きな仕事をやれているわけではない。
先日もウォリス・バードの宣伝活動に、もうMAXにがんばりまくったのだが、「ウォリスいい!」と言って寄って来てくださるライターさんに限って、実際に「ではインタビューしてください」「〜に掲載してください」とか言うと「いいと思うんですけど、自分の自由になる媒体がないんです」と断られる。がっかし…みたいなオチに。
でも、まぁそれが現状だろう。ウォリスのことを好きだ、と言ってくれるだけでもありがたいとしないと…
そんな状況でも誰も文句は言えない…みたいな状況に陥っている。クライアントにとってみれば、下請けは誰でもいいのだから。そんなことは誰でも分かっている。もちろんみんな誰でもできるような仕事をしていては、生き残っていけないのは分かっている。そもそもクライアント仕事で自分のエゴを発揮したところでしょうがない、ってのはある程度大人になれば分かる事だし。クライアント仕事は、自分を発揮するよりも、クライアントさんがハッピーになれるように、とにかくお役にたてるように頑張るのが筋だからだ。
そういう意味ではクライアント仕事は、こちらが手を離した瞬間に終わりだ、とも思う。どんなに理不尽であったとしても、こちらが「や〜めた」と言ってしまったら、それイコール敗北なのかもしれない。先日も某有名音楽ライターの方が「フリーランスはボランティアではない」とキレたツイートをしてらしたが… フリーランスの人間を動かすことについて常識がないクライアントが多すぎるのも事実。それでも、この業界で生き残るためには、必死で頑張らないといけないのか…
特に音楽の仕事は… 多くの人が係りたいと思っている仕事なだけに、そこにみんなが甘えがちなのだ。無料でも係りたい人はいくらでもいる。それが本当のプロフェッショナルを育てる弊害になってもいるのではないか、とも思う。
また別の場所では「この仕事はなめられたら終わりですから」みたいなことを言っていた友人もいて、それも…なんかなぁ、とも思う。そこまで世知辛いのも違うよなぁ、とも思う。でもこの発言をした友達の意図もすごく分かる。すご〜く分かる。
そしてそれはそれとして、クライアント側も、そんな風に周りのフリーの人たちや外注のスタッフに無理を言って自分のプロジェクトを実行しているわけだから、クライアント本人が倒れたら、もう最悪だとしか言わざるを得ない。最近も某有名雑誌が廃刊になったらしいが、そこで食べてたフリーランスの人たちのことを考えると同情を禁じ得ない。いや、余計なお世話だ、とは思うが。
と、まぁ、あれこれ並べてみても、そんなのはすべて正論であっても、だからどうなの、という結論は出ない。いつも思うことだけど正論は人を幸せにしない。いったいこのすさまじい閉塞感の突破口はどこにあるんだろうか、と思う。
あれこれ考えるが、結局のところ解決策があるとすれば、一つ一つの袋小路にはまって小さなところでウダウダ悩むのではなく、自分だけは大きな気持ちを持って、自分の楽しいプロジェクトを世の中に力強く発信していく事でしか、抜け道はないんじゃないか、と思う。あれこれ足下や小さいことが気になるのは、自分の楽しいプロジェクトを持っていない証拠だ。ヒマな証拠だ。
全国のフリーで働く皆さん、自分のプロジェクトを持ちましょう。それは小さくてもいい。お金にならなくてもいい。そしてそれに対して声を大にして発信していきましょう。それ以外、この悪ぅ〜い空気を払拭する方法はないんじゃないかと思う。なんてことを偉そうに書いてみた。他に何かいい対策があるのだとしたら、私も知りたいよ…
辛いのはみんな一緒である。時々「野崎さんは元気でいいですね」とか言われるが、そう言う人こそ本当の私を知らない。ここに書いてることなんて、ホンの一部ですよ。そもそもブログやSNSでネガティブなことを書いて、何かいいことがあるんだろうか。私だって辛いことは山のようにある。でもそれをパブリックの場で言ったところで、それがなんの解決になると言うのだろう。そんなのは意味がないから、ここでは自分のプロジェクトの宣伝をひたすら続けているのだ。
ふふふ、実際私に会ったらここでは絶対に書けない愚痴を死ぬほど聞かせてあげますよぉ〜(笑)
でもって、そういう時こそ元気な音楽だよね。こういうのこそ正論はいらない、理屈はいらない、言葉はいらない。
元気でるわぁ〜 ヴェーセン、また来日しますよ。1年以上先だけどね。
109社のうち、39%が「独禁法違反にあたる行為を受けた」と回答。買い叩きや著作権の無償譲渡、不当な製作のやり直しなど。この構造がいつまで続くか。/「いまだに口頭で発注」「著作権に触れるのはタブー」公取委が放送局の下請実態調査 http://t.co/Xo4F57tXe5
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2015, 7月 30
TV,ラジオ制作業界もそうだと思うけど、音楽業界なんて、もっと大変じゃないのか…と思ったよ。どんどん予算が削られ、スタッフを守ってくれるような気丈なクライアントさんはどんどん減って行く。
私も最近は「いいように使われてるよなー、おい」みたいな思いにかられることもしばしば。いや、仕事がもらえるのはありがたいんですよ、ありがたい。
ただ、まぁそれでも私は自分は気持ちの落としどころがあるのが救い。すべての仕事が自分のアーティスト、自分の好きなものをなんとかしたい、というところから発生しているからなんとかなるのだ。これがなければ、正直割りが悪くてやってられない…と思う仕事が多いのだよ。
が、ここで常見陽平さんの書いてたブログを思い出す。ドストエフスキーは、トルストイは割があう、と思って書いてないですよ、と。はい、すみません、確かにそうです(笑)
そうだ。仕事はそういう高尚な気持ちを持って当たらないと…仕事は規模の大小、社会的意味の大小に係らず…。はい。
オリーブの実がなった! |
先日もウォリス・バードの宣伝活動に、もうMAXにがんばりまくったのだが、「ウォリスいい!」と言って寄って来てくださるライターさんに限って、実際に「ではインタビューしてください」「〜に掲載してください」とか言うと「いいと思うんですけど、自分の自由になる媒体がないんです」と断られる。がっかし…みたいなオチに。
でも、まぁそれが現状だろう。ウォリスのことを好きだ、と言ってくれるだけでもありがたいとしないと…
そんな状況でも誰も文句は言えない…みたいな状況に陥っている。クライアントにとってみれば、下請けは誰でもいいのだから。そんなことは誰でも分かっている。もちろんみんな誰でもできるような仕事をしていては、生き残っていけないのは分かっている。そもそもクライアント仕事で自分のエゴを発揮したところでしょうがない、ってのはある程度大人になれば分かる事だし。クライアント仕事は、自分を発揮するよりも、クライアントさんがハッピーになれるように、とにかくお役にたてるように頑張るのが筋だからだ。
そういう意味ではクライアント仕事は、こちらが手を離した瞬間に終わりだ、とも思う。どんなに理不尽であったとしても、こちらが「や〜めた」と言ってしまったら、それイコール敗北なのかもしれない。先日も某有名音楽ライターの方が「フリーランスはボランティアではない」とキレたツイートをしてらしたが… フリーランスの人間を動かすことについて常識がないクライアントが多すぎるのも事実。それでも、この業界で生き残るためには、必死で頑張らないといけないのか…
特に音楽の仕事は… 多くの人が係りたいと思っている仕事なだけに、そこにみんなが甘えがちなのだ。無料でも係りたい人はいくらでもいる。それが本当のプロフェッショナルを育てる弊害になってもいるのではないか、とも思う。
また別の場所では「この仕事はなめられたら終わりですから」みたいなことを言っていた友人もいて、それも…なんかなぁ、とも思う。そこまで世知辛いのも違うよなぁ、とも思う。でもこの発言をした友達の意図もすごく分かる。すご〜く分かる。
そしてそれはそれとして、クライアント側も、そんな風に周りのフリーの人たちや外注のスタッフに無理を言って自分のプロジェクトを実行しているわけだから、クライアント本人が倒れたら、もう最悪だとしか言わざるを得ない。最近も某有名雑誌が廃刊になったらしいが、そこで食べてたフリーランスの人たちのことを考えると同情を禁じ得ない。いや、余計なお世話だ、とは思うが。
と、まぁ、あれこれ並べてみても、そんなのはすべて正論であっても、だからどうなの、という結論は出ない。いつも思うことだけど正論は人を幸せにしない。いったいこのすさまじい閉塞感の突破口はどこにあるんだろうか、と思う。
あれこれ考えるが、結局のところ解決策があるとすれば、一つ一つの袋小路にはまって小さなところでウダウダ悩むのではなく、自分だけは大きな気持ちを持って、自分の楽しいプロジェクトを世の中に力強く発信していく事でしか、抜け道はないんじゃないか、と思う。あれこれ足下や小さいことが気になるのは、自分の楽しいプロジェクトを持っていない証拠だ。ヒマな証拠だ。
全国のフリーで働く皆さん、自分のプロジェクトを持ちましょう。それは小さくてもいい。お金にならなくてもいい。そしてそれに対して声を大にして発信していきましょう。それ以外、この悪ぅ〜い空気を払拭する方法はないんじゃないかと思う。なんてことを偉そうに書いてみた。他に何かいい対策があるのだとしたら、私も知りたいよ…
辛いのはみんな一緒である。時々「野崎さんは元気でいいですね」とか言われるが、そう言う人こそ本当の私を知らない。ここに書いてることなんて、ホンの一部ですよ。そもそもブログやSNSでネガティブなことを書いて、何かいいことがあるんだろうか。私だって辛いことは山のようにある。でもそれをパブリックの場で言ったところで、それがなんの解決になると言うのだろう。そんなのは意味がないから、ここでは自分のプロジェクトの宣伝をひたすら続けているのだ。
ふふふ、実際私に会ったらここでは絶対に書けない愚痴を死ぬほど聞かせてあげますよぉ〜(笑)
でもって、そういう時こそ元気な音楽だよね。こういうのこそ正論はいらない、理屈はいらない、言葉はいらない。
元気でるわぁ〜 ヴェーセン、また来日しますよ。1年以上先だけどね。