どうしたら筋トレが続くか… 自分の身体は大自然である

今日は会場の下見でえっちらおっちらと出かけてきた。しょっちゅう使わせていただいている会場だが、結局のところちゃんと企画を頭に入れた状態で会場をみないと、主催者としては、うまくイベントを想像できないのだ。会場は下見はすればするほど新しい発見がある。今日も意外なところに手すりを発見したり、段差を発見したり… 下見おそるべし。下見はやっぱり企画が決まったら、どんな使い慣れている会場でもするべきだわな。(あ、また「べき」とか言っちゃった…)次のツアーまで、あと2週間ある。もう一生ツアーがなくてもいいなくらいに思っているのだが、そうもいかないので、企画、企画。

昨日は昨日で飲み会で筋トレの素晴らしさを熱く語ってしまった。もうこうなると辞めるわけにはいかない筋トレ。しかも多くの友人が「痩せた」「身体がしまった」「元気そう」とか私のことをよいこら持ち上げてくれるわけだから、もう私としては乗せられてノリノリなわけである。木に登った猿状態。ふふふ、いいですよ、筋トレ〜っっとみんなに自慢するわけである。

でもね、実際は全然痩せてないし、体型も言うほど変わってないのよ。私になんか変わったということがあるとするならば、毎日運動しているという自信を得たことかな。だからそれが表情とか態度に出てるんだと思う。あとは、まぁ、私のブログとかFBを見た人たちが、「野崎,鍛えてんだ」と思って、お世辞で声をかけてくれているにすぎない。とはいえ、私がどう見えているかはともかく「どうしたらそれが続くんだろう」と疑問に思っている人は多い、というのは非常に感じる。ホント筋トレなんて誰にでも出来る。ただやはり続かない…というのは多くの人の悩みだ。

ある日のディナー 吉野家のこれ美味いよね〜
私の思うポイントはこうだ。まず大前提として自分の身体は自分ではどうにもならないことをはっきり自覚することだ。自分の身体は自分のものだが、自分ではコントロールが効かない。それはもう大自然と一緒。食べたくなくてもお腹がへり、食べればそれはウ●コになって排出される。そしてその過程において、いろんな複雑な作業が働き、そこから栄養になったり脂肪になったり筋肉になったりする。もちろん自分が望まないのに調子悪くなったり病気になったりもする。でも筋トレの喜びは、その「大自然」を、ほんの一部だけだけど自分の意のままにすることだと私は思うんだよね。この感覚! この大自然をなんとかしちゃってる、この感覚ですよ!
 
そりゃあ、私はまだお腹が割れているわけでもないし、下腹部なんてまだまだタプタプだ。でも、それでも少しずつ変わるのだ、筋トレをしていると。これってすごいと思わない? cmとか計ったりするのがおっくうなので、計りもしてないが、少しでも変われば、もう自分でもわかる。このあまりにクリエイティブで複雑で、かつ非常に有機的な作業をロマンと言わずして何と言おう。この感動は大きいよ。

ある日のランチ。豪華!
しかも最近はグリーンランドとか極地系の事ばかり調べているので、その影響も大だな。人間には生と死がある。死をもっとも感じさせてくれるのが大自然であり、生をもっとも感じさせてくれるのも大自然。このヘンは角幡唯介さんの本に詳しいので、とにかく読んでみて。とにかく、ものすごいな、と思うのは、そんな大自然を一人一人の人間が自分の内側にかかえこんでいる、ということ。そして、お天気や地震や台風みたいな天災と同じように、病気になったりする自分の身体の内側の、そのコントロールの効かなさにみんな無力感を感じている、ということなのだ。

走るのがいやだ、筋トレは辛いという人は、走ったら走ったで終わりではないということを知らなくてはいけない。走っても走っても走った距離はどこかへ行ってしまうが、走りをこなした身体はなんらかの形で有機的に変化していく。この感覚がないと走ったり筋トレしたりする事は続かないと思う。

なーんてね、私もたった2、3年やっただけで偉そうに… あとはとにかく周りに言ってまわって有言実行することかな。そして自分の周りに高エネルギー生命体を置くこと。私の場合はスポーツしてる友達。山口洋さん、ナオコガイドさん、畔柳ユキさん…スポーツしている人はみんなかっこいい!