植村直己「青春を山に賭けて」を読みました。


これまた名著。植村さんの初期の活動をまとめたエッセイみたいな本だ。とにかく謙虚な姿勢がいいのだが、それでも時々見せる「それは違うと思う」みたいな反骨精神みたいなところが、キラリと光っていて良い。1冊目にしか書けないピュアな部分も山盛りで、とても良かった。植村さんの著作の中でこれを1番好きな一冊にあげる人が多いのも非常に理解できる。

しかしまぁ探検というのは、本人の身体能力以上に、許可を取るために相当無理をしたり、あちこちに迷惑をかけたり、意外なところから助けられたり…… 所持金がほとんどなく、お金のことも含め、とにかく大変なことの連続だ。本人に相当人間的魅力があり、周りを動かす能力がなければ絶対に無理だよな、と改めて思った。本人はそんな中で、すごく謙虚に周りに感謝し、実際本当にペコペコしているような人だったようだが、実際心の底ではどう思っていたんだろう、と想像するのは好きだ。絶対に心の中では「オレならできる。お前にできるか?!」「このバカっ、許可しろこのバカ」「金貸せ、この野郎!」とかと思ってたに違いないわけで、もし植村さんが匿名ツイッターとかやってたら本当に面白いのに、とか考えてしまった。前述した「それは違うと思う」みたいな部分を私が好きなのは、そういう理由からだ。

そして現地の娘との一夜とか、書いちゃうところがこれまたいい。本当に一夜限りなのだが、「一緒に暮らしたい」と言われ、それを未練がましく時々思い出しているところとか…いやいや本当にピュアなんです、植村さん(笑)

しかし植村さん、本当に、心から南極やりたかったんだろうなぁ!!  実際にこの本の「文庫本のための後書き」で本人もそう口にしている。植村さんはそれを焦りすぎた。そしてマッキンリーに消えていったのだろう。でも植村さんならおそらく南極も制覇できたと思う。植村さんは43歳で亡くなったのだが、とっくに植村さんの年齢を超えてしまった自分はこの偉大な世界的探検家に妙に自分を照らし合わせてしまうのだ。自分のレベルも考えず偉そうだよね、私も…。

自分でも呆れるが、読書の素晴らしいところはそういうところだ。「本の中に人は自分を発見するのだ。だから誤読していい」みたいなことを言ったのは角幡唯介さんだったっけ。探検家は探検をして真理を見出す。だからあれこれグルグル考えながら妙に哲学的になりがちな探検家さんたちの本が私は大好きだ。この本もあちこち共感し響きまくる。そして植村さん、そこ本心はどうなのよ、とか、いちいちツッコミを入れたくなる。