渋谷のデンマークビールの跡地に ノルウェービールが進出してた |
日本は初めてだという彼女の日本の印象を聞くのは面白い。なぜ寿司屋ではあんなにお店の人はシャウトしているのか、なんで道を歩いているとあちこちから音楽やアナウンスが聞こえてくるのか、お辞儀をしている日本人に握手をもとめるのは失礼なのか、等々。そりゃー、そうだよね、いろいろ不思議に思うわな。
彼女はなんとライターで、しかも小説のライターさん。本物の小説家さんって、ロビン・ヒッチコックでご一緒した絲山秋子さん以外、遭遇するのは初めてかも?! 角幡唯介さんの「ノンフィクションは事実(fact)を書き、小説は真実(truth)を書く」ってのを教えてあげたら、すっごい喜んでいた。英語これであってますかね?
彼女を紹介してくれたのはスコットランドのミュージシャンだけど、私との共通の一番仲良しの友人は、なんとヴェーセンのローゲルで、ヴェーセンがどうしたこうしたとか彼女と散々しゃべっていたら、私の自分の中のヴェーセン熱が再発してしまった。こういうパターン多いんだよね。企画とか立ち上げててもそうだけど,その企画を人にプレゼンしながら、結局話している自分が一番盛り上がっちゃうっていう(笑)
そう、私はヴェーセンが大好きだ。あのレベルでバンドと出会える事は、もうきっとないだろうな。音楽的にも最高で、一緒に仕事するのにも最高なヴェーセン。ヴェーセンと出会えただけで自分のワーキング人生は価値あるものだったと断言できる。
彼女との話は、ヴェーセンとはどう出会ったの?みたいな話から始まり、あれこれ聞かれるままに私もベラベラしゃべってしまった。
で、その「出会い」の話ですよ。もう何度もここに書いているから食傷気味の人も多いだろうけど、ヴェーセンとの出会いの経緯をまたここに書こうと思う。彼らが出演する11月の20周年コンサートの宣伝にもなるだろうし。
一番最初に彼らのことを知ったのは「ヴァルデンス・ヴェーセン」のCDを、当時ヴァルティナのマネージャーをしていたフィリップ・ペイジにもらったことがきっかけだったと思う。北欧の音楽といえば,当時はヴァルティナくらいしか日本に入ってきてなかった。「ヴァルデンス・ヴェーセン」はかっこいいCDだなとは思ったけど、そのバンドを自分がやることになるとは当時はとても思えなかった。
その後、ヴェーセンの音楽はなんとなく追いかけていたのだが、彼らに具体的に注目し始めたのは、2000年に入ってからだ。2002年にウチで北欧のレーベルをはじめることになりその第1弾がアンビョルグ・リーエン(from ノルウェー)のライブ盤だった。このライブ盤はホントに良く売れた! 今、聞いても確かにとってもかっこいい。まぁ、なんつーか、プログレだよね、これ。プログレ(笑)
そしてその北欧音楽レーベルでの第2弾リリースがヴェーセンのライブ盤だったのだ。(2001年の作品でアメリカでのカルテットでのライブを収録した作品)。ちなみにもっと言うと第3弾がヴァルティナのライヴ・アルバム、そして第4弾がハウゴー&ホイロップの「灯り」だった… 懐かしいなー(笑)
当時はNordic Notesさんっていう名古屋のレーベルさんがあって、そこが北欧のCDをよく出していた。ヴェーセンの「ヴァルデンス〜」や「グロント」も、そこからリリースされていたのだが、ウチで「ヴェーセンのライブ盤出していいですかね?」といったら、社長のH島さんは快く承諾してくれたのだ。
話を戻すと、アンビョルグは、このライヴ盤のプロモーションで日本にやってきて取材やら何やらこなし、大使館でイベントをしたりと忙しかったのだが、その時に何気ない彼女との会話で、私が私は背の高い男性が好きで過去のボーイフレンドはみんな驚くほど長身だった、という話をしたら、アンビョルグがそれを面白がり「デカい男の人が好きならヴェーセンが好きになるわよ。みんな2mくらいあるから」と言ったのだ。思えば、あれがヴェーセンと恋におちるきっかけだったと思う。
えっ、そんなこと?と驚かれるかもしれないが、そうやってバンドとの出会いはほんとにひょんなところから振って来る。もちろん音楽が素晴らしいというのは原則にある大事な要素だ。でも、そういう事じゃないの。音楽がいいとか、ルックスがいいとか、その事業をやる政治的背景が整ったとか、そういう事ではなく、「あ、これは私のバンドだ」って、自分で強く確信する瞬間。そういう瞬間があるんです。それを「バンドと恋におちる」と言う(笑)
私は、ヴェーセンにアンビョルグに続きプロモーションを兼ねて来日しないかと持ちかけた。当時は外国から3名も自分の制作で呼ぶ事にすら、かなりビビったが、やるっきゃないという気持ちが強かったと思う。そもそも東京の南青山マンダラで2日間いっぱいになるほど人が集められるかも自分にとっては疑問だった。でもとにかくオファーを出した。ところがメールを何度か送ってもヴェーセンからの返事はつれない。今思えば、バンドが非常に微妙な時期でパーカッションのアンドレがツアーから引退し、メンバーに子供が生まれたりして、ツアーをスローダウンさせていた時期だったのだ。今ならそれが分かる。そして私は、このままだと埒があかないと思い、エジンバラまで彼らの演奏を聴きに行くことを決意した。
と、ここで中断。1つアンビョルグのライブ盤で思い出したことがある。あのCDには非常に面白いトラックが入っている。アンビョルグとヴェーセンのローゲルの2人だけのトラックで伝統曲を演奏しているのだけど、なんと演奏中にローゲルが弦をブっち切ったというアクシデントもの。ローゲルがすごいのは、「オー、シット」とか何とか言いながら、フェイドアウトしつつも演奏を続け、切れた弦を取り除き、またフェイドインしながら、ものすごい勢いで演奏を復活させたことだ。おかげで、その様子をハラハラしながら見ていたお客さんは、復活したローゲルに大喝采! このライヴCDには、そのシーンのドキュメンタリーとも言うべき音が収められている。
そしたら、なんとその伝統曲をそっくりそのまま真似した日本のヴァイオリン奏者が出現した。伝統曲であるその曲。その人がアンビョルグのそのトラックの真似をしたと、はっきりと言える理由は、その人はこのローゲルの事故(フェイドアウトし、またフェイドインしていくところ)まで、曲の一部と勘違いし、再現しているからだ。もちろん、そのこと自体はまったく問題ない。そのトラックについてアンビョウルグとローゲルへの記述やクレジットがあるのであれば…だが! そう、なんとクレジットは一切無かったのである。ここまで明らかにパクっておきながら! 当時必死の思いでヴェーセンやアンビョルグなど、自分のCDをプロモートしていた私は、ホントに頭にきた。悔しかった。この人にはミュージシャンに対する尊敬の気持ちもへったくれもない。
しかもそのCDはメジャーで某レコード会社から発売された。思わずその会社にいる知り合いに連絡を取って文句をつけようかかと思った。が、ローゲルにそのことを話すと、ローゲルは非常にこれを面白がり「ノルウェー vs ジャパン」とかいう、そのヴァイオリニストと自分たちのトラックのミックス・トラックを遊びで作ってこっちに送ってきた。ノルウェーの音源、日本の音源が交互に流れるもので、それを聞くと、同じ構成の同じトラッド曲を演奏していても、どちらが腕がいいかクッキリと分かる。そして当のローゲルが「別に事をあらだてなくてもいいんじゃない?」みたいなことを言ってきたので、私も騒ぐのをやめた。でも、すごく頭にきたことだったので、ここに書いてネタにしまおう。ホントはそのレコード会社の前まで行って、正面玄関にウンコでもしてきたかったけど。私は10年以上ウンコしないで黙ってたんだから感謝してよね。ま、長くいろいろやってりゃ、そういうイヤな事もありますよ。
ヴェーセンとの出会いについては、長くなるので、また次回に続きます。
「ヴェルデンス・ヴェーセン」に入っている、この曲ホントに大好き。単純なメロディなんだけど、少しずつビルドアップしていく、この感じがホントにたまらない。
ヴェーセンも来日するTHE MUSIC PLANT20周年記念コンサートは、11月5日(土)、11月6日(日)duo MUSIC EXCHANGEにて。詳細はこちら。