ロビン・ヒッチコック、シド・バレットを語る

今日はこの映像を紹介します。ロビンがシド・バレットについて語っているところ。シド・バレットは皆さんご存知ですか? 私はロビンと仕事する前は名前くらいしか知らなかったんだけど、ロビンをきっかけにあれこれ勉強しはじめ伝記も読みました。いや〜壮絶!!

有名なロック・バンド、ピンク・フロイドは、バンドスタート時、このシド・バレットのワンマンバンドだった。シドは彼らのデビュー作『夜明けの笛吹き(Piper of the gates of dawn)』の中心的存在として活躍し、曲のほとんどを書いていた。当時のフロイドはサイケデリック・ロック・バンドだったんですよねー。でもシドはLSDで頭がおかしくなってバンドを脱退。フロイドはシドが抜けたあと、デイヴ・ギルモアが加入し…というか、フェイド・イン、フェイド・アウトみたいな感じではあるのですが… プログレ・バンドになって、皆さんご存知のとおりの、さらに桁違いの大成功を収めるわけです。

一方のシドはバンドを脱退後、アルバムを出すもののシーンからは完全に脱退。なおピンク・フロイドの有名な「Crazy Daiamond」「Wish you were here」は、シドのことを唄った歌だと言われています。

そんなシド・バレットのドキュメンタリーが制作された時、ロビン・ヒッチコックも出演しているんですよね。ロビン talks about シド・バレット。完成されたドキュメンタリーには収録されていない部分もYou Tubeに上がっていたので、ここで紹介していきたいと思います。(あのドキュメンタリー、確かDVDを買ったはずなんだが、出てこない。誰かに貸したかな…)

ロビンってインタビュー、乗るとすごい良い事言うんだよね。乗らないと「魚!」とか「カニ!」とか言い始めて、へんな絵を描き出したりもするんだけど…(笑) 



♪It is Obvious

「18歳から19歳くらいの時だ。僕の人生はそこまでは割と順調だった。学校でも出来が良かったし、周りとも上手くやってた。でも突然いろんな理由で上手くいかなくなったんだ。自分がとても惨めに感じられた。71年とか72年くらい。何が悪いというわけではない。時代の空気かもしれない。前の世代は第二次大戦があって、僕らにはドラッグがあったし、ウッドストックがあったのだが…。自分に対してなぜかとても惨めに感じていた。そんな時、バレットの2枚目を買って…こいつは僕が感じているすべてを言ってくれている、と思ったんだ。内側が破裂しているケンブリッジのミドルクラス(イギリスでは金持ちのことです)のマザコンの男が、同じく内側で破裂しているミドルクラスのウインチェスター校(これもぼっちゃん寄宿舎校です)にいるちっぽけなマザコンの僕に語りかけてきた」

「僕は音楽をやり始めていた時期で、ディランに傾倒していたのだが、ディランはミネソタからやってきたユダヤ系のチビのカーリーヘアの奴で、地元にいるぺったりした茶色の僕にとっては、あまりにも遠い灯りみたいな存在だった。僕はディランになりたかったのに、自分と彼との間の溝を埋められないでいたのさ。そしてシド・バレットに出会った。バレットが僕にとってはディランとのミッシング・リンクだった」

「60年代、メロディ・メーカーとかに載っていたことを思い出して欲しい。当時の英国は英国のボブ・ディランを求めていた。ロイ・ハーパー、デヴィット・ボーイ、いろんな人たちがいた。僕にとっては英国のディランはバレットだった。同じ激しさ、そしてルックスの良さ、シドはあっという間に破滅してしまったけど…」

「ボブ・ディランは僕がなりたかったもので、バレットはどうしたらそうなれるのか教えてくれたものだと思う。僕のように育った環境を持つものにとって、シドは道筋だった。バレットを経由してそういう世界に入っていったのさ」

「セカンドに針を落とし『Baby Lemonade』が始った瞬間、そして今、プロの音楽家として30年やってきた後に聞いてみると、この作品はいろんな意味で荒削りな部分があったと思う。『帽子が笑う』にしてもそうだけど……。この作品って聞く側の音楽家を2つに分けるよね。何人かの人は「これはひどい」って言う。ビートは外してるし「なんでこんなことやってんだろう?」って。でも他の連中は「これこそ地獄の才能の杯を飲んだ者だ」と評価しピュアなものだと分かるんだ。僕にとっては、このレコードのすべては… すべては本当に正しいように思えた」

インタビュアーが「興味深いね。バレットとの出会いは『夜明けの笛吹き』じゃないんだね」と振ると…

「そうだ。『夜明けの口笛吹き』が出た時は良く覚えているよ。僕は14歳だった。『Arnold Layne』『See Emily Play』とか好きだったけど、でもあの作品において、バレットは何か取り繕っているように僕には見えた。子供の時ってなんでも自由に本能のままだよね。あの時は僕はバレットは単に自分を喜ばせたいだけなんじゃないかって思って… うーん、分からない。とにかく『バレット』が出るまでは、僕にとってすべては現実的ではなかった、ということだ」

「バレットは、ピンクフロイドと素晴らしいアルバムを1枚作り、結局その可能性を駄目にしてしまった。もちろん「もしそのままフロイドにいたら」みたいな議論はあるけど、それでは本当に重要な点を見失ってしまうと思うんだ。彼が彼のように生きなかったら、彼にはなりえなかった。悪いところもあわせ抱かないと、良いところは得られないんだよ」

「シドの2枚のアルバムは気楽に聞けるものではない。『夜明けの口笛吹き』みたいにきちんとプロデュースされてはいない。プロダクションは立派だが『口笛吹き』で得られるものはサウンドであって歌ではないんだ。『バレット』や『帽子が笑う』は、もっとパーソナルな作品だ。『帽子が笑う』の方が、もっと間抜けな感じかも? ソロでアコースティックな曲が多いし… でもあれは、彼が人生に問題をかかえているんだということを、燃やした作品なのさ。子守唄のようなレコードと言って良いのかも…『バレット』はとても暗く、そしてとても真面目なレコードだ。今,聞くとのはとても辛い。ジョン・レノンの『Plastic Ono band』と並ぶ激しさを持っている。全然違う分野のものだけどね。何故か分からないけど、それが僕を捕らえたんだと思う。世間の評判は一番良くないみたいだけどね…。でもあの作品を理解できることは素晴らしいよ」

「雨が降りそうだから、この曲がぴったりだ…」
♪Domino

「彼は何を音にすべきではないか良く分かっていた。僕が歌を作り始める前に、良く詩を書いていたんだが、子供のころからそれを歌にするつもりはないままに書いていたんだ。そしていざ歌を作ろうとしたとき、コードを詩の下に書いていくようになった。そしてそれは多くの場合、コードが1つか、1つ半しかなかった。それと同じようにシドは、必要とあらば歌をそのままシンプルにしておくのを恐れなかった。言葉はとても濃く、ねっとりしたものだったから。単純に言葉がそこにあって、そこには何も基本的な計画などない。無意識のものだ。それにフィルターをかけることをしなかった。それが僕がシドに習った素晴らしいことの1つだ。他にも何人かそういうソングライターはいる。ディランが最高潮な時、そんなこともある。カメラを心の中に回し続けて、すべてを収録する。それが意味をなさなかったとしても」

♪Gigolo Aunt


ってなわけで、ロビン・ヒッチコックは10月15日、南青山マンダラにて公演を行います。今回の来日ではシド・バレットは歌ってくれるかな? ¥5,000+ドリンク代。詳細はこちらへ。チケット、私が持っている良い番号のやつは、もうあと20枚くらいしかない。お早めに〜

<ロビン・ヒッチコック>
ソフト・ボーイズのデビューから数えるとすでに40年のキャリアを持つ、ポストパンクの時代にデビューした自称「60年代最後の偉大なアーティスト」。

そのシュールでサイケデリックな世界はR.E.M.、ヨ・ラ・テンゴ、ソニック・ユース、ポウジーズを始め、多くのアーティストに強い影響を与えてきた。アメリカのカレッジ・チャートを中心にカルト的な人気を誇り、ジョン・レノンとシド・バレットの中間に位置するようなサウンドは日本でも熱狂的な支持者が多い。
父親は有名な奇想作家・画家で、幼少の頃のロビンはボブ・ディランの音楽に出会うまでタイムマシーンの制作に取りつかれていたなど、その奇行伝説は数限りない。
音楽ばかりでなく、絵画や短篇小説も手がけるマルチ・アーティスト。「羊たちの沈黙」で知られるジョナサン・デミ監督によるドキュメンタリー映画もある。


<シド・バレットについて興味深い記事へのリンク>
カメラマンの久保憲司さんの記事「いま改めて考える、シド・バレットの<狂気>と願い
シド・バレットを消してしまったのは何なのか?誰なのか?才能って何だろう?