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2016年9月10日土曜日

角幡唯介さん「漂流」出版記念トークイベント「はじめての海洋ノンフィクションを、僕はこう書きました」に行ってきました!

角幡唯介さんの「漂流」。2度目の読みに突入しましたが、2度目の方が圧倒的に面白い! やっぱり1度目は「早くどんな話なのか、全体像を知りたい」って、焦って飛ばしすぎたのかも。ただでさえ私は読むのがとても早い。角幡文学は、もっとじっくり味わうように細部までじっくり読まなくちゃ駄目なのだ。うむ。

もう持ってるけど
イベントの主催者さんに敬意を評して
ってなわけで2度目を読みつつ(今、3章まで行った)、それに感動しつつ、行ってきました。神楽坂の高いもんしか置いてない(笑)新潮社の「La Kagu」で行われたトークイベント。「はじめての海洋ノンフィクションを、僕はこう書きました」。今回は聴き手が毎日新聞社編集委員の藤原章生さん。藤原さんの突っ込み方が良くって、角幡ファンの方から預かってきたという質問をしたり、角幡さんも「まな板のコイ」と覚悟を決めてらしただけあって、藤原さんに言われるがまま、立ったり、座ったり、また立って背中見せたり、叫んでみたり、めっちゃ面白かった。プライベートな事も、藤原さんの誘導で結構話してらしたし…(笑)

以下は私がお話を聞きながらメモったことで、もしかしたらちゃんと理解してない部分もあるかもなんですが、やはりいろいろ感動したので自分用にメモっておく。だから他の人が読む時は、あくまでそういう条件で読んでください。いろいろ誤解してたらすみません。でも新刊「漂流」のガイドとしてお役にたてれば嬉しいです。

まずは角幡ファンからの質問:家族が出来てどう変わったか、みたいな質問には、角幡さん「死ぬのが恐くなった」って答えてらした。もう自分の人生は、先が見えていて、これからどうなるんだろうという面白味みたいなものがないんだけど、子供がこれからどうなるんだろうというのは是非見てみたい。そのことによって、死のリアリティが出て来てしまった、と。

藤原さんが紹介してたけど、お嬢さんとの話を書いた「おちんちん」というブログは最高に面白い。角幡さんらしいし、文章の完成度も高いから是非読んでみて! これについてつっこまれると、角幡さん「子供は本当におもしろい」と。「人間ってこうやって物事を認識していくんだ」という事が分かる。そして何もわからないなりに何かすでにタブーに触れているんではないかということを生まれながらに感じ取っている、そんなところがすごい、とも。

東京に住んでいて、旅への衝動に駆られる時はどんな時ですか?という質問:例えば「空白の5マイル」で書かれたような1人でいた時と比べて、現在の自分にはヒリヒリ感がうすれている。自分の人生に対して前はもっと切迫感があった。焦りもあったのか、とにかく生きるってどういうことなのかを突き止めたかった。今は家族が出来て、そのヒリヒリ感が前ほどない。ヒリヒリ感がないと、もう言葉が生み出せなくなるんじゃないかと恐れていた。子供にふれて日常の小さな幸せを感じる時こそ、旅への衝動にかられるのも事実。

ダニとか蚊にやられまくり、何日もお風呂に入れないなど…不快さが続く探検について:ダニにあったりヒルにあったりしても、ひたすら我慢するしかない。あまり前もってトラブルを想定しない。たまたま行ったらやられてしまった、というだけ。ダニが一番嫌い。チベットやニューギニアの山の中で、ちょっと油断してるとすぐに全身やられる。目的の途中で、たまたまやられるだけであって、これはもうしょうがない、とのこと。(←結構行き当たりばったりな角幡さん)

で,いよいよ新刊の「漂流」について:海の世界への憧れ。海の世界そのものに対する驚き。僕たち陸のものの考え方と違う世界。まさにすべてがビックリポン(笑)だとのこと。まずは取材をしていて漁船ってこんなにもたくさんいなくなってしまうものなんだ、という驚き。自分と全然違う世界を発見したかった。

彼らと比較すると自分がやっていることが小さくみえる。自分がやっている探検っていうのは、普通の人がやらない活動。でも結局のところ「遊び」にすぎない。もちろんいい加減な気持ちではやっていないし、真剣にやっているのだけど、しかしながら、そこにはいつもゴールがある。この日から初めて、ここにゴールがあるという設定がある。でも彼らにはゴールがない。生業として、暮らしの中でやっている。そこがすごい。

(彼らの自由は)自由なんだけど苦しい自由。本来人間は社会生活の中でちょっと管理してもらった方が、生きるのが楽。普通の人はそういう考え方。その点、登山は苦しいけれど自由。ところがそれも期間を区切った遊びにすぎない。終わりが決まっている活動。一方で漁師の彼らの自由には終わりがない。本当に自由だった人の追体験を自分はしてみたいと思っているのかも? 原始の人たち、狩猟民の人たちなど。(イヌイットも!/笑)

自分もそうなりたいというわけではないし、憧れるっていうのとはまた違うかもしれないけれど、畏敬の気持ちを抱いている。カツオよりマグロ漁師の方が人間的にも接触しずらくて、ものすごく個人主義的。すごく自由。同じ漁師でも(今回の「漂流」の舞台となった)佐良浜の人たちは、三陸の人、沖縄の人とはまたく違う。

漁師の取材の難しさについて:特に現役の人たちに取材することはほぼ不可能。何も語ってくれない。一方でOBの人は、それこそ亡くなる直前だったりして残したい,という気持ちがあったのか、多少は語ってくれた。語らないというのは、おそらく彼らには「面倒くさい」という気持ちがあるからだと思う。外から来た人に系統だてて自分の話をしゃべれる人が少ない。彼らはそれを考えたくもない。面倒だという気持ち。女の人も含めて、全体的な言葉の少なさがある。

そもそも本村実の漂流は自分にとっては失敗で、その失敗を語りたくないという事もある。本村実という人は、本にはあまり書けなかったけれど、とてもいい加減な人でもあった。取材していくにあたり「あの人のことが本になるなんて無理」みたいなことを言う人がたくさんいた。実は過去には映画にしようと試みた人もいたらしい。彼はいろんな違反もたくさんしている。ただ市井の人として、本や映画になるからには英雄として良い人間として書かないと辛いという事もある。映画のチームは諦めて手を引いたらしい。彼はすごくずさんではあるんだけど、それも含めて海における1つの世界だ、と。でも美談は嫌いだし、美談にはしたくない。

3列目に陣取りました…(笑)
これ藤原さんの発言だったと思う:山においては「狼は帰らず」の森田勝とか。諦めたり、挫折の人生。すごくずさん。でもその方が実は人間的に面白い。(↑ これ、めっちゃ分かる! 音楽業界でもいるもの、そういう人)

例えば漁師の人たちは女遊びもすごい。とても書けない/言えない事が多かった。女遊びだけではなく、現地で結婚して、しかも家族作っちゃったりする。世間的にはよろしくないこと。いわゆるその土地の恥部でもある。奥さんたちも含めて、そういう世界。

最初沖縄取材に行ったとき、角幡さんは自分の奥さんを連れてったのだけれど、その時飲み会があって、漁師の人が「いや〜向こうで親戚の結婚式があってー」とかポロっと言ってしまい,その人の奥さんも「何? 向こうに親戚がいる?!今初めて聞いた!」とか言っちゃって、あわてて漁師の人はごまかしていたけど、本来なら修羅場になってもおかしくないような会話が平然となされていた。角幡さんも角幡さんの奥さんも目が点…(笑)

再び藤原さんの話:南アフリカとか、マグロの漁師が行くような外国の港には、女の人が入れ墨で日本人の漁師の名前を下手くそに掘ったりしてたり、すごい世界がある。

角幡さんいわく漁師の人たちは、グアムのパブとかで、ものすごく下品に遊ぶ。(どう下品かは、何度か藤原さんにつっこまれても話してくれなかった。とても言えないそう)お金がないんだけど行く。その規範意識の無さがすごい。陸の人間からするとまったく異質な生活。

これも藤原さんの発言かな:鉱山とかの人もそう。稼ぐ金が一時はものすごかった。でもあっても使っちゃう。そして無くても使っちゃう。

再び「空白の五マイル」の話:「山を歩いている時に歌うって書いてありましたけど、何を歌うんですか?」という藤原さんの質問に対して「えっ、そんな事書いてありましたっけ?」と角幡さん。「森の熊さん」じゃないですかね…だって(爆) でも熊対策で、大きな声を出して歩くことはあるそうです。(そこで冒頭にも書いた大きな声を出すデモンストレーション/笑)

そういえば、CMに出るって妄想がありましたが、あれについては?という藤原さんの質問に、大きな代理店の子会社からオファーがあったこともあったけど、面倒だから断った、とのこと。賢明ですね、と藤原さん。

角幡さん、今はグリーンランドの極夜行にそなえ体重を増やしているところ。普段75kgくらいなんだけど、79kgくらいにしないといけない。ご飯を夕飯に2合くらい食べているそうです(す、すごい!)。

再び「漂流」について。漂流した本村実が再び海に行ったということについて。佐良浜では、漁師はもうそういう生き方しか出来ない。兄弟もみな漁師。そしてみんな爆死したり壮絶な海での死を迎えている。ものすごくキツい世界。30日間くらい猟に出る。そして3日くらい陸に戻る。そんな生活が、生き方そのものになってしまっている。海での「生」のあり方が、本村実を作り上げたと言える。

角幡さんも20年間探検をやって来て、そんな彼らの生き方を自分に重ねているんですか、という藤原さんの質問に、角幡さんはすぐイエスとは言わず… 

子供が出来てから、山に行くも実はつらい。単純に子供と離れたくないと思う。明日出発かと思うとイヤになる。10/30にグリーンランドに行くのだけど(そう、ウチのナヌークが来日中、角幡さんはいないのだー。本当に残念!)行ったら行ったで向こうの日常になり家族からは解放されると思う、とのこと。

「漂流」でフィリピン人の船乗りたちに船長が食べられちゃいそうになるエピソードがありますが、角幡さんが船長だったらどうですか?という質問に対して:「本村さんより、よりスムーズに食べられていたと思う」

冒険している時のつらさ、というのはいつでもある。執筆はつらくはない。でも行動中はやはりつらい。極地は寒いし家に帰りたいといつも思う。「空白の5マイル」の頃は、行動/探検をしていても、心の中で常に実況中継をしていた。きっとこの探検を絶対に作品にするぞ、という意志が強かったのだと思う。(今はそういうことはない、とのこと)

執筆中は実はメモを見ないで、自分の記憶でろ過されたものを書いている。というのもメモを見始めると、ものすごい量になってしまうから。自分の作品は長いようにみえて、実はとても短い。メモはほとんど見ないで参照のみにして、自分の記憶で書いている。

自分は今まで海に対して漠然とした憧れがあったと思う。藤原さんと峠さんと一緒にニューギニアに行った時も、ヨットでニューニギニアに行くということに、とても魅力を感じた。(今、追求している)極地の探検も、どちらかというと陸よりも海に近い。(確かに。果てしない感じ、人里離れた感じ、食べ物飲み物がなく、絶望的な感じとか、すべて陸より海に似ている)そんな自分たちとは違う海の世界を書いてみたかった。

漁師の彼らは正直何を言っているのかがまったく分からない。系統だてて説明してくれる人がいない。海の世界ってこういうことなんだかな、と分かりやすく説明できない。だからノンフィクション化されていない、という事も書き手としては魅力であった。


なるほどー いやー面白かった!! 今再び読んでいる「漂流」がますます面白くなりそうです。そんなわけで角幡さんブームまだまだ続行中。そして書籍をイベントに行くたびに購入していたら、けっこうたまったってしまった。アグルーカはもとからプレゼント用に買いだめていたもの。そろそろ放出しますか… 来週あたりチケットや何かを買ってくれた方に「勝手に応援『漂流』刊行記念、角幡本プレゼントキャンペーン」やりまーす。お楽しみに。


とか、書いてたら、ナヌークの新しいアーティスト写真が届いた。これ、グリーンランドっぽくって、すごくかっこいい!(是非拡大して見てね)

ホントに彼らが来日する時、角幡さんがいないのが残念。でも探検,頑張ってきてください!


角幡さんが写真を提供してくれた「辺境の歌コンサート」チケット、まだありますよ〜残り僅か! 詳細はここ。





PS
角幡さんのイベントこっちでもあるよ!