6月の第1週の水曜日恒例、ICU-HIGHこと国際基督教大学高校にお邪魔してきました。「音楽や好きな事を仕事にする」というテーマで毎年行なっているこの講義ですが、今年はアルテスパブリッシングの鈴木茂さんにおつきあいいただきました。鈴木さん、お忙しいところ、ありがとうございました!
とっても面白い内容だったので、ここに簡単に紹介しておきたいと思います。なお今日はメモも取れなかったし、録音もしてないので、鈴木さんがお話しした内容をご紹介するこのレポートには、私の間違った理解があるかもしれません。その場合は野崎の責任によります。
ちなみに今、私が読んでるこのルネ・マルタン本もアルテスさんからのリリースです。読み終わったらここに感想を書きますね。
鈴木さんは私はもう20年近く存知あげているのですが、鈴木さんが今からだいぶ前(12年前くらい?)に、それまで20年以上勤めた音楽之友社を辞められた時はホントにびっくりしました。当時鈴木さん45歳。勇気ある決断だったと思います。私みたいにフリーになる前は3年ごとに会社変えてた転職野郎ならともかく、鈴木さんは学校を卒業して、ずっと1つの会社に勤めていたわけですから、これは非常に大きな転機。
そして鈴木さんが、相方の木村さんと10年前にアルテスパブリッシングを立ち上げた時もびっくりしました。この世界、出版社辞めてフリーになる人は結構多いんだけど、フリーの編集とか、フリーのライターがほとんどで、会社組織にするにしてもせいぜい編集プロダクション止まり。本を作って実際在庫/販売に責任が及ぶ出版社を立ち上げてしまうっていう人は、私は聞いたことがなかったからです。
今やアルテスさん、社員もたくさんいて、年に13〜17冊くらいリリースがあるそうで,本当にお忙しそう。(そういやいつぞや鈴木さんがおっしゃっていた事に「人を雇うことが最大の社会貢献」っていうのがありましたが、ホントにそうです!)
この業界、2、3人でやってるような出版社さんがほとんどらしいので「これでも人数はいる方なんですよ」ということらしい。しかもアルテスさんのスタンスは、楽譜や楽器の広告がらみ、もしくはミュージシャンがらみのMOOKばかりを出している出版社とはまったく違う、正直あまり売れなさそうな(失礼!)独自の音楽本の道を歩んでいるわけですからね。うん、アルテスさん、やっぱりすごいです。
それにしても鈴木さんのことはすごくよく知っているつもりでしたが、今日初めて知った事もたくさんあった。今日はアルテスが創業するまでの鈴木さんのお話や、創業してからのお話、そして本が出来るまでの話などなど、いろいろうかがったわけですが、講演が始まる前に配られた「本の雑誌」に掲載されたアルテスの会社立ち上げ手記を読んでびっくり。鈴木さん、実は仕事の相方である木村さんと出版社を立ち上げる事は、音友社を辞めてから決めたんだって。いや、びっくりしました。私はてっきり2人はもう一緒に出版社をやる前提で会社を辞めたのだとばかり思ってた。また何故立ち上げたのが編プロではなく出版社だったかというと「人の決断を待たなくちゃいけないのが嫌だった」ということで、これって、めっちゃ納得感ありました。確かに編プロだろうが、フリーの編集だろうが、フリーのライターだろうが、結局は出版社が「出す」と言ってくれなければ、何もできないわけです。だから出版社を立ち上げた、と。
そして、確かに後から思えば,これって自分で事業を創りだし ている人、全員に言えることかな…と思いました。私も人の決定を待つのが大嫌い。もちろんあちこちにプレゼンしてる企画はあるけれど、それを一生待ったりするつもりはない。実際、人の返事なんか待ってたら自分のやりたいことなんて1つも出来やしないんです! だから、分かる、その気持ち!
またアルテスが立ち上がって第1弾のリリースだった「村上春樹にご用心」ですが、これを書かれた内田樹さんとは講演会とかで知り合いになったそうで、新しい出版社を立ち上げる、と張り切っていた鈴木さんに内田さんが共感し応援する気持ちで了承してくれたから出せたんだ…というお話。それにも、びっくりしました。もうそれこそ出版社を立ち上げる前からの旧知のお知り合いだったのかと思っていたから。うん、いや、すごい!!!
そして本が1冊出来るまでのプロセスも興味深かった。もちろん編集として本文と整えたり、本がより良い内容になるようにたくさん手を入れるわけですが、それが終ったからといって本が出来るわけではないんです、と鈴木さん。まずはタイトルを決めること。これがかなり重要。そして帯キャッチを準備したり…、本の大きさを決めたり…A5か、B5か… 標準の大きさのことを何て呼んでたかな…鈴木さん。忘れてしもた… あとは紙の質を決めたり(白い紙、黄色い紙、赤い紙とあるそうなんです。知らなかった!)、全体の外観は何色にするか、など決めて行きます。ハードカバーであるか/ないか等々、デザイナーさんとの打ち合わせが続くわけですが、デザインを発注する時は表紙に写真があるかないかでだいぶ違うんだそうで、イラストを使う場合も時々あるんだけれど、やはり文字だけのデザインは相当難しいのだそうです。確かにこれなんて文字だけだわ…。
いやぁ、1冊の本が出来るのにこんなに手がかかっているんだ!と感動でした。そして鈴木さんも1册だけではなく、常に10本くらいの企画と原稿を走らせているそうですから、すごい。
あと面白かったのは世の中の仕事は大きく分けると、以下に分かれると鈴木さんは説明していたこと。忘れないように私もここにメモ。
「利益を出さなくちゃいけない仕事」/「利益を出さなくていい仕事」
「人に雇われる」/「人を雇う」/「雇いも雇われもしない」
「生きるために必要不可欠なもの(こと)に携わる仕事」/「なくても困らないもの(こと)に携わる仕事」
「自分の喜びのための仕事」/「人の喜びのための仕事」
「モノを作ったり売ったりする仕事」/「形のないものを売り買いする仕事」
…という風に分けられる、ということ。確かにこの考え方は、どんな職業においても基本中の基本かもしれません。将来自分の職業を選ぶ時、自分はどうしたいのか。モノを売りたいのか、形のないものを売りたいのか。自分が喜びたいのか、人を喜ばせたいのか。そんな風に考えると道は自ずと開けるかもしれません。
そして自分に向いている仕事というのは、鈴木さんは「ありません」と考える(笑)。鈴木さんいわく、今でも自分が編集に向いているのかなと考えると、そうでもないように思うそうです。でも人に恵まれ、チャンスに恵まれ、ここまで来た。うーん、なるほどね。でもホントにそうかもしれません。そして、また話題は音楽を言葉で語ることの難しさなどにも及び、私もあれこれ考えました。
あ、そうそう、面白かったのは、仕事は私たちがあまりに「儲らない」とか「お金が目的と思うと続かない」「もうNPOとかにしちゃおうかと思ってて」とかばかり言っていたので「お金持ちになりたい場合は出版社に入らない方がいいのでしょうか」みたいな質問が生徒さんから来たこと(笑) いやいや、まぁ、新聞社や講談社、小学館、集英社あたりに勤められれば、みんなウン千万プレイヤーたちの世界ですからね。全然可能性はありますよ。
一方で、私が一番心に残ったのは,実は共通の知り合いである某氏が小さなお子さんが2人いるにもかかわらず(というか、お子さんがいらっしゃるからだろうけれど)「今、一日5時間しか働いてない」という話。しかも、そちらの会社、いつも凄いヒットを出してらっしゃるんですよ。文化的に内容もすごくいいし! いや〜、羨ましい。うーん、私ももういい加減、こういう延々仕事してますっていうライフスタイルは辞めた方がいいかもしれません。数を少なくして力を集中させヒットを作る。そういう体勢にならないと続かないかも… っていうか、もう流行らないよね、こんな風にエンドレスで働くのは。
あとそうだ、鈴木さんが一番最初に好きになった音楽は吉田拓郎ってのも初耳でした(でも高校生で拓郎さんを知っている人がいなかったのはホントに残念)。そこからボブ・ディランに入っていったのだそうです。しかも若いころは北中正和さんが書いた英米のロックのガイド本をそれこそなめるように読みながら音楽を聞いていたんだそうです。当時おそらく北中さんも20代。いや〜、すごい…そんな話も、なんだか楽しく伺ったのでした。もう鈴木さんとは何度も飲み会ご一緒してるし、ご飯も行ってると思うけど、知らなかったよ、それ!
それにしても私にとっても、今日はとても有意義な機会で、ホントにいろいろ考えました。高校生の皆さん、未来は大変かもしれないけど… うん、頑張りましょう!
とっても面白い内容だったので、ここに簡単に紹介しておきたいと思います。なお今日はメモも取れなかったし、録音もしてないので、鈴木さんがお話しした内容をご紹介するこのレポートには、私の間違った理解があるかもしれません。その場合は野崎の責任によります。
ちなみに今、私が読んでるこのルネ・マルタン本もアルテスさんからのリリースです。読み終わったらここに感想を書きますね。
鈴木さんは私はもう20年近く存知あげているのですが、鈴木さんが今からだいぶ前(12年前くらい?)に、それまで20年以上勤めた音楽之友社を辞められた時はホントにびっくりしました。当時鈴木さん45歳。勇気ある決断だったと思います。私みたいにフリーになる前は3年ごとに会社変えてた転職野郎ならともかく、鈴木さんは学校を卒業して、ずっと1つの会社に勤めていたわけですから、これは非常に大きな転機。
そして鈴木さんが、相方の木村さんと10年前にアルテスパブリッシングを立ち上げた時もびっくりしました。この世界、出版社辞めてフリーになる人は結構多いんだけど、フリーの編集とか、フリーのライターがほとんどで、会社組織にするにしてもせいぜい編集プロダクション止まり。本を作って実際在庫/販売に責任が及ぶ出版社を立ち上げてしまうっていう人は、私は聞いたことがなかったからです。
今やアルテスさん、社員もたくさんいて、年に13〜17冊くらいリリースがあるそうで,本当にお忙しそう。(そういやいつぞや鈴木さんがおっしゃっていた事に「人を雇うことが最大の社会貢献」っていうのがありましたが、ホントにそうです!)
この業界、2、3人でやってるような出版社さんがほとんどらしいので「これでも人数はいる方なんですよ」ということらしい。しかもアルテスさんのスタンスは、楽譜や楽器の広告がらみ、もしくはミュージシャンがらみのMOOKばかりを出している出版社とはまったく違う、正直あまり売れなさそうな(失礼!)独自の音楽本の道を歩んでいるわけですからね。うん、アルテスさん、やっぱりすごいです。
それにしても鈴木さんのことはすごくよく知っているつもりでしたが、今日初めて知った事もたくさんあった。今日はアルテスが創業するまでの鈴木さんのお話や、創業してからのお話、そして本が出来るまでの話などなど、いろいろうかがったわけですが、講演が始まる前に配られた「本の雑誌」に掲載されたアルテスの会社立ち上げ手記を読んでびっくり。鈴木さん、実は仕事の相方である木村さんと出版社を立ち上げる事は、音友社を辞めてから決めたんだって。いや、びっくりしました。私はてっきり2人はもう一緒に出版社をやる前提で会社を辞めたのだとばかり思ってた。また何故立ち上げたのが編プロではなく出版社だったかというと「人の決断を待たなくちゃいけないのが嫌だった」ということで、これって、めっちゃ納得感ありました。確かに編プロだろうが、フリーの編集だろうが、フリーのライターだろうが、結局は出版社が「出す」と言ってくれなければ、何もできないわけです。だから出版社を立ち上げた、と。
そして、確かに後から思えば,これって自分で事業を創りだし ている人、全員に言えることかな…と思いました。私も人の決定を待つのが大嫌い。もちろんあちこちにプレゼンしてる企画はあるけれど、それを一生待ったりするつもりはない。実際、人の返事なんか待ってたら自分のやりたいことなんて1つも出来やしないんです! だから、分かる、その気持ち!
またアルテスが立ち上がって第1弾のリリースだった「村上春樹にご用心」ですが、これを書かれた内田樹さんとは講演会とかで知り合いになったそうで、新しい出版社を立ち上げる、と張り切っていた鈴木さんに内田さんが共感し応援する気持ちで了承してくれたから出せたんだ…というお話。それにも、びっくりしました。もうそれこそ出版社を立ち上げる前からの旧知のお知り合いだったのかと思っていたから。うん、いや、すごい!!!
そして本が1冊出来るまでのプロセスも興味深かった。もちろん編集として本文と整えたり、本がより良い内容になるようにたくさん手を入れるわけですが、それが終ったからといって本が出来るわけではないんです、と鈴木さん。まずはタイトルを決めること。これがかなり重要。そして帯キャッチを準備したり…、本の大きさを決めたり…A5か、B5か… 標準の大きさのことを何て呼んでたかな…鈴木さん。忘れてしもた… あとは紙の質を決めたり(白い紙、黄色い紙、赤い紙とあるそうなんです。知らなかった!)、全体の外観は何色にするか、など決めて行きます。ハードカバーであるか/ないか等々、デザイナーさんとの打ち合わせが続くわけですが、デザインを発注する時は表紙に写真があるかないかでだいぶ違うんだそうで、イラストを使う場合も時々あるんだけれど、やはり文字だけのデザインは相当難しいのだそうです。確かにこれなんて文字だけだわ…。
いやぁ、1冊の本が出来るのにこんなに手がかかっているんだ!と感動でした。そして鈴木さんも1册だけではなく、常に10本くらいの企画と原稿を走らせているそうですから、すごい。
あと面白かったのは世の中の仕事は大きく分けると、以下に分かれると鈴木さんは説明していたこと。忘れないように私もここにメモ。
「利益を出さなくちゃいけない仕事」/「利益を出さなくていい仕事」
「人に雇われる」/「人を雇う」/「雇いも雇われもしない」
「生きるために必要不可欠なもの(こと)に携わる仕事」/「なくても困らないもの(こと)に携わる仕事」
「自分の喜びのための仕事」/「人の喜びのための仕事」
「モノを作ったり売ったりする仕事」/「形のないものを売り買いする仕事」
…という風に分けられる、ということ。確かにこの考え方は、どんな職業においても基本中の基本かもしれません。将来自分の職業を選ぶ時、自分はどうしたいのか。モノを売りたいのか、形のないものを売りたいのか。自分が喜びたいのか、人を喜ばせたいのか。そんな風に考えると道は自ずと開けるかもしれません。
そして自分に向いている仕事というのは、鈴木さんは「ありません」と考える(笑)。鈴木さんいわく、今でも自分が編集に向いているのかなと考えると、そうでもないように思うそうです。でも人に恵まれ、チャンスに恵まれ、ここまで来た。うーん、なるほどね。でもホントにそうかもしれません。そして、また話題は音楽を言葉で語ることの難しさなどにも及び、私もあれこれ考えました。
あ、そうそう、面白かったのは、仕事は私たちがあまりに「儲らない」とか「お金が目的と思うと続かない」「もうNPOとかにしちゃおうかと思ってて」とかばかり言っていたので「お金持ちになりたい場合は出版社に入らない方がいいのでしょうか」みたいな質問が生徒さんから来たこと(笑) いやいや、まぁ、新聞社や講談社、小学館、集英社あたりに勤められれば、みんなウン千万プレイヤーたちの世界ですからね。全然可能性はありますよ。
一方で、私が一番心に残ったのは,実は共通の知り合いである某氏が小さなお子さんが2人いるにもかかわらず(というか、お子さんがいらっしゃるからだろうけれど)「今、一日5時間しか働いてない」という話。しかも、そちらの会社、いつも凄いヒットを出してらっしゃるんですよ。文化的に内容もすごくいいし! いや〜、羨ましい。うーん、私ももういい加減、こういう延々仕事してますっていうライフスタイルは辞めた方がいいかもしれません。数を少なくして力を集中させヒットを作る。そういう体勢にならないと続かないかも… っていうか、もう流行らないよね、こんな風にエンドレスで働くのは。
あとそうだ、鈴木さんが一番最初に好きになった音楽は吉田拓郎ってのも初耳でした(でも高校生で拓郎さんを知っている人がいなかったのはホントに残念)。そこからボブ・ディランに入っていったのだそうです。しかも若いころは北中正和さんが書いた英米のロックのガイド本をそれこそなめるように読みながら音楽を聞いていたんだそうです。当時おそらく北中さんも20代。いや〜、すごい…そんな話も、なんだか楽しく伺ったのでした。もう鈴木さんとは何度も飲み会ご一緒してるし、ご飯も行ってると思うけど、知らなかったよ、それ!
それにしても私にとっても、今日はとても有意義な機会で、ホントにいろいろ考えました。高校生の皆さん、未来は大変かもしれないけど… うん、頑張りましょう!