(1)、(2)、(3)、(4)、(5)からの続きになります。
1970年代、クラダレコードはショーン・ポッツのおじにあたる伝説のフィドラー、トミー・ポッツの「The Liffy Banks」など名盤を次々とリリースするようになります。(名盤なんだ、これが…)
クラダで働いた7年でパディは合計45枚のアルバムをプロデュースしたことになります。
また1971年、パディはポール・マッカートニーからの電話で弟マイク・マクギアのアルバムに参加もしました。スタジオに訪れたリンダ・マッカートニーは夢中で楽器を持ったパディの写真を撮っていたそうです。この頃のパディはちなみにもみあげをお洒落に延ばし、フレアのズボンをはいて、多少は70年代特有のヒップなスタイルになっていたのでした。ふふふ、時代ですね。
一方チーフタンズは、8月には初めてのフランスの名門ロリアン・フェスティバルに参加します。郵便局に勤めるポッツとキーンは将来の年金に影響が出ない有給を取ったのだけど、それを可能にしたのは当時の最高裁長官で将来の大統領になるカロル・オ・ドーリとのコネをパディが行使した結果だったんだって。(8月に東京で行なわれたトークショウでメンバーの有給のために大統領にまでも電話した、って言ってたのはこの件だったんですね)
そして1974年、チーフタンズの4枚目のアルバムがついに発売になります。オ・リアダの追悼ということで「アイルランドの女」を収録。ライナーノーツは映画スターのピーター・セラーズが書きました。セラーズはチーフタンズのファンでしたが、ガレクはチーフタンズがセラーズの熱烈な推薦を得たのは、自分のプロモーション戦術の1つだったと主張しています。とにかくこの時もパブリシティの獲得にパディはものすごく頑張った。メロディー・メイカーなどが、こぞってこのアルバムを絶賛。ラジオでもたくさんかかったし,アメリカではカレッジ・チャートがこぞってプッシュしてくれたんだって。
そのアメリカでのツアーで、サンフランシスコではプロモーターがチーフタンズをグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアに紹介したんだそうです。チーフタンズの大ファンだったガルシアは彼のブルーグラス・バンドの前座としてチーフタンズを招き、当時いちばん有名だったラジオにもチーフタンズを出演させてくれました。そこでは、なんとジェリー・ガルシア自らがインタビューしてくれたんだそうです。すごい入れこみ方! またこのプロモーターはチーフタンズをジャクソン・ブラウンやイーグルスのドン・ヘンリーにも紹介したのだそうで…。ドン・ヘンリーのお母さんはちなみにアイリッシュ系だったんだそうなんですよ。そういう要素もチーフタンズへの興味を惹き付けたんでしょうけど、この頃からチーフアンズとアメリカの大スターと交流が始まっていたんですね。
ツアーはしかしチーフタンズにとって決して楽なものではありませんでした。そういやマットが、ホントにチーフタンズに参加していて楽になったと感じたのは「ロング・ブラック・ヴェイル」が出た頃だ、と話していたのですから、まだまだ先のことになります。例えば、4枚目のアルバムに参加して以来、デレクはチーフタンズと一緒にツアーをしていましたが、まだ楽器をケースに入れず毛布に包んで移動していたんだって。で、いっつも航空会社ともめてました。航空会社は「機内に持ち込むなら席をもう一席買ってください」と言う。当然ですよね… でもそんなお金はない、と言うとだいたいは無料で載せてくれたんだと…。うーん、いい時代だったんだよなぁ。今じゃフィドル1本でも文句言われて乗船拒否って事あるってのに…。そもそもいくらアイリッシュで小型とはいえハープがセキュリティのベルトを通過して行くなんて考えにくいです…。すごすぎる。
そしてこのツアーからダブリンに戻ったパディは、すぐショーン・ポッツとのアルバム「Tin Whistles」を作りはじめます。
下の映像はだいぶ後になってからのパディとショーン・ポッツ。映像では、パディはパイプですけど、すごいです。
こちらはまたさらに時間が後になってからなんですが、チーフタンズ21周年記念時の映像。冒頭はショーンのソロ。素晴らしいですね…
さてクラダの事務所で行なわれたこのデュオ作品のリリース・パーティの最中、あいかわらずプロモーションに熱心なパディは某アイルランドの音楽ジャーナリストからインタビューを受けていました。そこにパディを指名して電話がかかってきます。「すみません、スタンリー・キューブリックですけど、いま制作中の映画にあなたの音楽を使いたいんです」
しかしキューブリックが誰なのか認識しないパディはインタビューでたてこんでいたため、
「ありがとうございます、キューブリックさん。でも今はゆっくりお話しができないんですよ。月曜日にもう一度お電話いただけますか」と答えました。電話を切ったパディに音楽ジャーナリストはいいます。「おいおい、『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を撮ったキューブリックだぞ!」
この大監督が電話をかけなおしてきたのは、週があけた火曜日のことだったらしい。数日後パディはキューブリックのオフィスを訪ね、そこで映画のフラッシュをみて、必要とされるスコアについて話し合ったそうです。パディはホイッスルをポケットから取り出して(あいからわずですね/笑)頭に浮かんだ音楽を演奏してみせたのですが、キューブリックは関心をしめさなかった。監督は「なぁ、パディ。それって客がみんな酔っぱらっているアイルランドの土曜日の夜の音楽だろう? 私がほしいのは違うんだ」とパディの目をまっすぐみつめて言ったそうです。パディががっくり落胆していると、突然キューブリックは大きな声で笑い出し「冗談だよ、今の曲は実はすごく気に入った」と言ったそうで、最終的にチーフタンズに25分にもおよぶスコアを発注してくることになるのです。電話をすぐに取らなかった仕返しでしょうか(笑)。キューブリックもパディ相手に、なかなか、負けてないですなぁ。
うーん、すごいですよね。というわけで名作「バリー・リンドン」 の音楽が生まれました。チーフタンズの「愛のテーマ」はちょっとエッチなシーンで常に流れてましたね。この曲がかかるとあらっ❤…みたいな(笑)すごく印象に残るテーマ曲です。
しかしこの曲がもともとオ・リアダのレパートリーだったことを考えると… いろいろな思いが浮かびますね。
★
チーフタンズの公演チケットは10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなども盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ。
チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール
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(c)The Chieftains Facebook |
また1971年、パディはポール・マッカートニーからの電話で弟マイク・マクギアのアルバムに参加もしました。スタジオに訪れたリンダ・マッカートニーは夢中で楽器を持ったパディの写真を撮っていたそうです。この頃のパディはちなみにもみあげをお洒落に延ばし、フレアのズボンをはいて、多少は70年代特有のヒップなスタイルになっていたのでした。ふふふ、時代ですね。
一方チーフタンズは、8月には初めてのフランスの名門ロリアン・フェスティバルに参加します。郵便局に勤めるポッツとキーンは将来の年金に影響が出ない有給を取ったのだけど、それを可能にしたのは当時の最高裁長官で将来の大統領になるカロル・オ・ドーリとのコネをパディが行使した結果だったんだって。(8月に東京で行なわれたトークショウでメンバーの有給のために大統領にまでも電話した、って言ってたのはこの件だったんですね)
そして1974年、チーフタンズの4枚目のアルバムがついに発売になります。オ・リアダの追悼ということで「アイルランドの女」を収録。ライナーノーツは映画スターのピーター・セラーズが書きました。セラーズはチーフタンズのファンでしたが、ガレクはチーフタンズがセラーズの熱烈な推薦を得たのは、自分のプロモーション戦術の1つだったと主張しています。とにかくこの時もパブリシティの獲得にパディはものすごく頑張った。メロディー・メイカーなどが、こぞってこのアルバムを絶賛。ラジオでもたくさんかかったし,アメリカではカレッジ・チャートがこぞってプッシュしてくれたんだって。
そのアメリカでのツアーで、サンフランシスコではプロモーターがチーフタンズをグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアに紹介したんだそうです。チーフタンズの大ファンだったガルシアは彼のブルーグラス・バンドの前座としてチーフタンズを招き、当時いちばん有名だったラジオにもチーフタンズを出演させてくれました。そこでは、なんとジェリー・ガルシア自らがインタビューしてくれたんだそうです。すごい入れこみ方! またこのプロモーターはチーフタンズをジャクソン・ブラウンやイーグルスのドン・ヘンリーにも紹介したのだそうで…。ドン・ヘンリーのお母さんはちなみにアイリッシュ系だったんだそうなんですよ。そういう要素もチーフタンズへの興味を惹き付けたんでしょうけど、この頃からチーフアンズとアメリカの大スターと交流が始まっていたんですね。
ツアーはしかしチーフタンズにとって決して楽なものではありませんでした。そういやマットが、ホントにチーフタンズに参加していて楽になったと感じたのは「ロング・ブラック・ヴェイル」が出た頃だ、と話していたのですから、まだまだ先のことになります。例えば、4枚目のアルバムに参加して以来、デレクはチーフタンズと一緒にツアーをしていましたが、まだ楽器をケースに入れず毛布に包んで移動していたんだって。で、いっつも航空会社ともめてました。航空会社は「機内に持ち込むなら席をもう一席買ってください」と言う。当然ですよね… でもそんなお金はない、と言うとだいたいは無料で載せてくれたんだと…。うーん、いい時代だったんだよなぁ。今じゃフィドル1本でも文句言われて乗船拒否って事あるってのに…。そもそもいくらアイリッシュで小型とはいえハープがセキュリティのベルトを通過して行くなんて考えにくいです…。すごすぎる。
そしてこのツアーからダブリンに戻ったパディは、すぐショーン・ポッツとのアルバム「Tin Whistles」を作りはじめます。
下の映像はだいぶ後になってからのパディとショーン・ポッツ。映像では、パディはパイプですけど、すごいです。
こちらはまたさらに時間が後になってからなんですが、チーフタンズ21周年記念時の映像。冒頭はショーンのソロ。素晴らしいですね…
さてクラダの事務所で行なわれたこのデュオ作品のリリース・パーティの最中、あいかわらずプロモーションに熱心なパディは某アイルランドの音楽ジャーナリストからインタビューを受けていました。そこにパディを指名して電話がかかってきます。「すみません、スタンリー・キューブリックですけど、いま制作中の映画にあなたの音楽を使いたいんです」
しかしキューブリックが誰なのか認識しないパディはインタビューでたてこんでいたため、
「ありがとうございます、キューブリックさん。でも今はゆっくりお話しができないんですよ。月曜日にもう一度お電話いただけますか」と答えました。電話を切ったパディに音楽ジャーナリストはいいます。「おいおい、『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を撮ったキューブリックだぞ!」
この大監督が電話をかけなおしてきたのは、週があけた火曜日のことだったらしい。数日後パディはキューブリックのオフィスを訪ね、そこで映画のフラッシュをみて、必要とされるスコアについて話し合ったそうです。パディはホイッスルをポケットから取り出して(あいからわずですね/笑)頭に浮かんだ音楽を演奏してみせたのですが、キューブリックは関心をしめさなかった。監督は「なぁ、パディ。それって客がみんな酔っぱらっているアイルランドの土曜日の夜の音楽だろう? 私がほしいのは違うんだ」とパディの目をまっすぐみつめて言ったそうです。パディががっくり落胆していると、突然キューブリックは大きな声で笑い出し「冗談だよ、今の曲は実はすごく気に入った」と言ったそうで、最終的にチーフタンズに25分にもおよぶスコアを発注してくることになるのです。電話をすぐに取らなかった仕返しでしょうか(笑)。キューブリックもパディ相手に、なかなか、負けてないですなぁ。
うーん、すごいですよね。というわけで名作「バリー・リンドン」 の音楽が生まれました。チーフタンズの「愛のテーマ」はちょっとエッチなシーンで常に流れてましたね。この曲がかかるとあらっ❤…みたいな(笑)すごく印象に残るテーマ曲です。
しかしこの曲がもともとオ・リアダのレパートリーだったことを考えると… いろいろな思いが浮かびますね。
(7)に続く。
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チーフタンズの公演チケットは10月9日の「秋のケルト市」でも購入いただけますよ。アイルランドの音楽、文化、カルチャー、食が集合したイベントです。豊田耕三さんのホイッスル・ワークショップなども盛りだくさん。是非ご来場ください。詳細はここ。
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チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール