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2018年6月10日日曜日

ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン 言語本能を超える文化と世界観』を読みました。すごい!


高野さんと清水先生の対談本でも選ばれていた『ピダハン』。読もう読もうと何度も手にとったものの、なかなか着手できなかった本をついに読んだ。この本が出た時は、すごい話題になったから、とっくに読んだよという人が多いと思う。が、あえて紹介しよう。いや〜、すごい話だよ、これ…。

正直、この本の多くをしめる言語の説明については、読みつつもなかなか自分の中に入ってこなかったので、よく理解できなかった。しかし70年代後半におけるアマゾンでの白人家族の暮らし(小さな子供まで同行させている)の大変さ(実際、家族が病気で死にかけている)、そして何より著者がピダハンに惹かれ、論文を発表して学界に波紋を与えることとか、ついには信仰に迷いがでてきたりする下りなど、まったく目が離せない。

著者は基本的にキリスト教の伝道師で研究者で、この本もポップにエンタティメント性を持って書こうという意図がなかったのであろうから、そういう意味では、この本はポップな本ではない。でも、それだけに真摯に彼の気持ちがビシバシと伝わってくる。 そしてピダハンの事を知れば知るほど、果たして私たちが普段得ようと努力している「幸せ」とはいったい何かとか、いろんな疑問が立ち上がってくるのだ。私がたちが今、毎日体験している明日のための準備とか用意とか我慢とか、はたまた過去の後悔とか、社会のあれこれとか、科学のテクノロジーとか、いったいなんなんだろうと思うようになるのだ。私たちは幸せを得ようとして不幸せになっていないか、とか。

著者は70年代、ブラジル、アマゾンの奥地のピダハンにキリスト教を布教するために派遣された伝道師だ。面白いね… グリーンランドとかでもそうだったんだけどさ、キリスト教によって世界は一方的に「発見」されてきた。(本当は高野秀行さんとかがよく言うように、そこにも人間はずっといたわけだから、「発見される」ってのがおかしいのだが)伝道師達はその発見された地域の言語を学び、その地にアルファベットを与えて書き言葉を教え、そこから聖書を現地言語に翻訳するというのが一連の仕事なのだ。400名近くが住むピダハンのエリアに引っ越してきた白人の一家。確かに普通の生活すらも大変で、我慢しなければならないことも多く、信仰の強さが無ければ耐えられなかったことがたくさんあるだろう。

お互い通じない、知らない言葉(そしてまったく違う文化)を介しながら、それでも著者は言葉を習得していく。そして著者はピダハンの「今を生きる」笑顔に引き込まれて行くのだ。そして彼は、ピダハンの文化を学びながら、言語学者としての、彼の考え方、この50年ずっとそれが重要だと信じられてきたチョムスキーの理論の根幹をゆすぶる事実に出会う。それは当然のことながら、学界に大きな波紋を投げ掛けてしまう。

ピダハンの言葉を学ぶうちに著者はピダハンには数の概念がないことに気づく。彼らには右と左という概念もない。そして色の名前もない。当然神様もいない。自分が見て体験したこと以外は信じない。そして常にあまりにも幸せそうなのだ。

そんなピダハンの世界において、余計な恐怖を与え,不安を与え、そしてそれらを払拭するための神様を信じよと言うキリスト教に、なんの意味があるのだろうか。

アマゾンの奥地にはいろんな先住民族がいるわけで、それこそNHKでやったイゾラドとか外の世界とまったく接触をもたない人たちもいるわけだけど、 ピダハンは外部(ブラジル)との接触もありながら、しかしピダハンでいることを自ら選び、生きているように思える。ひたすら現在に生き、迷いがない。過去も未来もない。そもそもそんな概念もない。

とはいえ、それもこの本が出た時から、またしばらく時間がたち、だいぶ状況が変わって来ているようだ(下に貼ったドキュメンタリーも参照)。

本来クリスチャンの伝道のためにピダハンの世界に入っていったはずの著者が、そんなピダハンの生き方に接し、本の終わりでは、ついには信仰も家族も捨ててしまうと下りには、本当に引き込まれた。著者はピダハンが大好きだ。ピダハンがいつまでも彼らの自分の幸せを自分で選択出来る状況であれと願う。

というか、おそらく著者はピダハンの言葉をしゃべっているうちに、考え方もピダハンになってしまったのだろうな、とも言える。言語が概念を作る。私も自分でも日本語をしゃべる自分と英語をしゃべる自分は性格が違うと感じる。いつぞやの映画『メッセージ』にも、ちょっと通じるかも。言葉こそ世界であり、言葉こそ文化。さらに言えば新しい言葉を学ぶことで、私たちは今自分のいる場所にいながらも新しい世界を垣間みる事ができる。

すごいな… 



本はみすず書房だからちょっと高いし、私にとってはすいすい読めたとは言えないけれど、このすべてに対する著者の真摯な態度に心を動かされない人はいないだろう。これは本当に読む価値あり。