フランキー・ケネディが亡くなって25年





アルタンのフランキー・ケネディが亡くなって25年。今でもアルタンの最高傑作といったら私はこのアルバムをあげます。アイルランド音楽ベスト10を作っても絶対に入るかな。これを作った時、フランキーは自分の先があまり長くないことを知っていた。まだ38歳だった。北アイルランド出身でフルートは演奏していたもののアイルランド音楽の「あ」の字も知らなかったフランキーはマレードと恋に落ち、そこからアイルランド音楽を巨匠たちから習いはじめた。病気で倒れてからも、フランキーはマレードにツアーに出るよう、バンドを続けるよう励ましたと言う。



収録されている「人魚の歌」。お母さんが人間の子供を残して海に帰っていく物語。



数日前に私よりも10歳も年下の仕事仲間が小さい子供たちを残して亡くなった。2年半の闘病生活だった。癌であることを彼も公表していた。彼の癌はステージ4で転移もあったしいわゆる切れない癌だったから、彼も家族の人たちも覚悟はあったと思うが、それでも辛くて言葉もない。強くて優しい人だった。私の病気も心配してくれて、アーティスト来日時にスタッフを貸してくれた。ありがとう、●●さん。本当にお世話になりました。

どうして逝ってはならない人が逝ってしまうんだろう。what if議論をしてもしょうがないけれど、フランキーが生きてたら、どうだったのかなぁ、と時々思う。私は実際本人に会ったことはない。が、話はたくさんいろんな人たちから聞いている。アイルランド人は亡くなった人のことも、まるで生きているみたいに話すのね、とプランクトンの川島さんが言った。

フランキーが亡くなったあとアルタンはドーナル・ラニーの元「最初の10年」というベスト盤をリリース。その後、メジャーレーベルであるヴァージンと契約し、日本にもやってくることになった。



生きてるもんはしっかり生きろよ、と先に逝った人たちは教えてくれる。