信じられない。でもずっと闘病してたから、楽になってよかったかも…
ガンが見つかって5、6年たってたかな。DublinのWhelanで会ったとき、いきなり「オレ、ガンになったんだよ」なんて立ち話でさらっとされて「えっ? あなたが?」みたいな会話をしたのが最後だったかな。でもそのあとガン患者どうしMessengerで交信はしてた。ギャブは再発してステージ4だったから、厳しい状態ではあった。チャリティ公演をみんなでやって、私は行けなかったから100ユーロくらいだけど寄付した。
ギャブのお母さんはシェイマスやブレンダン・ベグリーのお姉さんだかで、つまりあの辺はみんな親戚だった。ギャブはWaterboysにも参加したりしてて、かつウチでコーディネイトした無印良品のBGM4にも参加してくれた。
私がたまたま自分の誕生日にダブリンにいて、たまたまその日の夜、ギャブに会う約束があったんだけど、その日が私のしかも40歳の誕生日だと知ったギャブは、私にえらい高いご飯を私にご馳走してくれた。というか、私が食べたくて入った店なので、私が払うつもりでいたのに、ギャブが「誕生日プレゼント」と言って払ってくれたのだ。あれは悪いことをした。でも年下の男性に奢られるなんて、幸せだよな… オレも… そして確か家まで送ってくれたように記憶してる。当時、私はドラマーのロッドの家に部屋を持っていてギャブの家とは完全に逆方向だったのに。そしてギャブは言ってた「バカだなぁ、洋子、幾つになっても誕生日は祝うもんだよ」とかなんとか…
ギャブは口が悪かった。でもそれがすごく愛嬌となって、私は大好きだった。ジョークがさえていて、いつも面白いことばっかり言ってた。日本にはデイヴ・マネリーと一緒に2回来日した。デイヴはあのころ、自分のキャリアについてものすごいフラステトレーションかかえてて私もヘーこらしてたんだけど、ギャブはそんなデイヴにうまく対応してくれていたし、私にも気を使ってくれていたと思う。あれは本当に助かったよなぁ。ギャブじゃなかったら、結構大変なツアーだったと思う。
他にも思い出はいっぱいある。コローナズのダニー(メアリー・ブラックの次男)について、すごく初期の段階から「うちのスタジオにデモを録りにきたんだよ。彼らは真面目にやってるから、絶対にブレイクするよ」なんて言ってた。
あともう前後の記憶がはっきりしないんだけど、ギャブの自宅スタジオに泊めてもらったこともある。カレー作ったっけ… 懐かしいなぁ。もう詳細覚えてないよ、ギャブ。
デイヴの日本ツアーの時、私がへんな帽子かぶってたら「ヨーコ、その帽子はひどいなぁ。オレがいいものを買ってやる」といって帽子をプレゼントしてくれた。正直そっちの帽子の方がへんだったと思うけど「今やオアシスでもなんでもこういう帽子をかぶるのがかっこいいんだ」とか騒いでいた(笑)
プライベートでは確か子連れの女性と結婚したんだと思う。そして自分の娘もいた。あいかわらずダブリン郊外の庭にスタジオがあるあの家に住んでたんだと思う。家族にはそういえば会ったことはなかったなぁ… きっと娘はギャブに似てクリンクリンの髪の毛なのかも。いずれにしても子供はたぶん10歳になるかならないかくらいだと思う。つらい、つらすぎる…
ありがとう。楽しい思い出を。でもほんとうに辛いわ。あなたがいなくなることはアイルランドの音楽業界の大きなロスだ。私よりうんと若かったと思う。(調べたら4つ年下だった…)とはいえ、闘病期間も長かったし、つらかっただろうから、とにかく今はゆっくりしてください。ギャブがこれ読んだら「うるせぇ! お前はお前で楽しくやれよ、オレは楽しかったんだからいいんだよ」とか大声で高笑いしそうだ。
本当にありがとね、ギャブ。安らかにね。
ちょっとまだ動揺してる。落ち着いたら、書き足していきたいと思います。
ギャブのチャリティ公演でのシャロン。
ルアン・パール、押してたよなぁ、ギャブ。
トム・ムーアの活動再開もすごい力いれてた。
ガンが見つかって5、6年たってたかな。DublinのWhelanで会ったとき、いきなり「オレ、ガンになったんだよ」なんて立ち話でさらっとされて「えっ? あなたが?」みたいな会話をしたのが最後だったかな。でもそのあとガン患者どうしMessengerで交信はしてた。ギャブは再発してステージ4だったから、厳しい状態ではあった。チャリティ公演をみんなでやって、私は行けなかったから100ユーロくらいだけど寄付した。
ギャブのお母さんはシェイマスやブレンダン・ベグリーのお姉さんだかで、つまりあの辺はみんな親戚だった。ギャブはWaterboysにも参加したりしてて、かつウチでコーディネイトした無印良品のBGM4にも参加してくれた。
私がたまたま自分の誕生日にダブリンにいて、たまたまその日の夜、ギャブに会う約束があったんだけど、その日が私のしかも40歳の誕生日だと知ったギャブは、私にえらい高いご飯を私にご馳走してくれた。というか、私が食べたくて入った店なので、私が払うつもりでいたのに、ギャブが「誕生日プレゼント」と言って払ってくれたのだ。あれは悪いことをした。でも年下の男性に奢られるなんて、幸せだよな… オレも… そして確か家まで送ってくれたように記憶してる。当時、私はドラマーのロッドの家に部屋を持っていてギャブの家とは完全に逆方向だったのに。そしてギャブは言ってた「バカだなぁ、洋子、幾つになっても誕生日は祝うもんだよ」とかなんとか…
ギャブは口が悪かった。でもそれがすごく愛嬌となって、私は大好きだった。ジョークがさえていて、いつも面白いことばっかり言ってた。日本にはデイヴ・マネリーと一緒に2回来日した。デイヴはあのころ、自分のキャリアについてものすごいフラステトレーションかかえてて私もヘーこらしてたんだけど、ギャブはそんなデイヴにうまく対応してくれていたし、私にも気を使ってくれていたと思う。あれは本当に助かったよなぁ。ギャブじゃなかったら、結構大変なツアーだったと思う。
他にも思い出はいっぱいある。コローナズのダニー(メアリー・ブラックの次男)について、すごく初期の段階から「うちのスタジオにデモを録りにきたんだよ。彼らは真面目にやってるから、絶対にブレイクするよ」なんて言ってた。
あともう前後の記憶がはっきりしないんだけど、ギャブの自宅スタジオに泊めてもらったこともある。カレー作ったっけ… 懐かしいなぁ。もう詳細覚えてないよ、ギャブ。
デイヴの日本ツアーの時、私がへんな帽子かぶってたら「ヨーコ、その帽子はひどいなぁ。オレがいいものを買ってやる」といって帽子をプレゼントしてくれた。正直そっちの帽子の方がへんだったと思うけど「今やオアシスでもなんでもこういう帽子をかぶるのがかっこいいんだ」とか騒いでいた(笑)
プライベートでは確か子連れの女性と結婚したんだと思う。そして自分の娘もいた。あいかわらずダブリン郊外の庭にスタジオがあるあの家に住んでたんだと思う。家族にはそういえば会ったことはなかったなぁ… きっと娘はギャブに似てクリンクリンの髪の毛なのかも。いずれにしても子供はたぶん10歳になるかならないかくらいだと思う。つらい、つらすぎる…
ありがとう。楽しい思い出を。でもほんとうに辛いわ。あなたがいなくなることはアイルランドの音楽業界の大きなロスだ。私よりうんと若かったと思う。(調べたら4つ年下だった…)とはいえ、闘病期間も長かったし、つらかっただろうから、とにかく今はゆっくりしてください。ギャブがこれ読んだら「うるせぇ! お前はお前で楽しくやれよ、オレは楽しかったんだからいいんだよ」とか大声で高笑いしそうだ。
本当にありがとね、ギャブ。安らかにね。
ちょっとまだ動揺してる。落ち着いたら、書き足していきたいと思います。
ギャブのチャリティ公演でのシャロン。
ルアン・パール、押してたよなぁ、ギャブ。
トム・ムーアの活動再開もすごい力いれてた。