Our dear wonderful Bill Rieflin flew from this world today. Much loved HUMAN and member of King Crimson. Family by his side. Forever in our hearts. #billrieflin pic.twitter.com/Z4FkM74X1X— Toyah Willcox (@toyahofficial) March 24, 2020
キング・クリムゾン、R.E.M.、ミニストリーなどでの活躍で知られるビル・リーフリン(Bill Rieflin)が死去。彼の訃報は、ロバート・フリップの妻であるトーヤ・ウィルコックスほか様々なミュージシャンが伝えています。59歳でした https://t.co/FnJb7RMe31— amass (@amass_jp) March 24, 2020
癌だったって、書いてありますな… https://t.co/EJt29xOvtJ— 野崎洋子 (@mplantyoko) March 25, 2020
2015年のブログ。ビルと忘年会してるし…
これもビルのことを書いたブログ → THE MUSIC PLANT Blog: 忘年会ウィーク続行中 https://t.co/o4CurWLJUv— 野崎洋子 (@mplantyoko) March 25, 2020
そういやこの時ビルとクリムゾン宿泊のたっかーいホテルのロビーで待ち合わせしたんだけど、ロビーに行ったらファンの人がたくさんいて「あっ、しまった」とおもった。ビルのグレイヘアーが目立つから、ロビーに降りてきたのがすごく目立っちゃう。でもビルはニコニコ降りてきて、でもサインはクリムゾンではバンドの規則だかなんだかで禁じられているらしく、ファンの人にサインをもとめられ丁寧に断っていた。
そうそう待っていたファンの中にはうちのお客さんも混じっており「なんだ、うちだけじゃなくて、すべての公演の追っかけやってるのか」とちょっとがっかりした(爆)。でもうまくホテルを抜け出したんだよね。懐かしいなぁ。
で、すでにICE STATIONのアイディアは出ていて、ピーターをいかに説得するのかとか、マイクがきたらすごい、とか話してたんだよね。ピーターのソロアルバムはすごい、Very Peterなんだよ、とも。もっともこの時、ビルはすでに病気だったから、どうなるのかなぁとは思っていたのだけど…でもICE STATIONに対してもやる気満々だった。あの時は、まだまだ元気そうだった。
こっちは生クリムゾン見た時の感想
過去のブログ → THE MUSIC PLANT Blog: キング・クリムゾン すごいな… https://t.co/irlXvVGsfR— 野崎洋子 (@mplantyoko) March 25, 2020
2018年にクリムゾンが再来日した時、またコンサートにこないか誘ってもらったけど、私は体調が悪く行けなかった。次また来日したら必ず行くね、って言ってたんだけど、「次」はなかったわけだ。もうクリムゾン来ても、誰も誘ってくれない。
2015年のあの時も、人ンチの楽屋に長居するのは嫌なので、私と友人はビルに挨拶だけすると、とっとと楽屋を出てきてしまった。一緒にいったH恵ちゃんが「まだ見送ってらっしゃいますよ」と言うので振り向いたら、ビルが向こうで手をふっているのが見えた。はぁ…
ビルの奥さん、フランキーが亡くなったとき…というか、亡くなったのが発表になった時書いたブログ。
ビルありがとう。こちらはフランキーが亡くなったことが公表された時に書いたブログ。https://t.co/IQR3Xnesn8— 野崎洋子 (@mplantyoko) March 25, 2020
しかし来日時の3人ドラム編成のクリムゾン。ビルがあまりドラムをたたかないでキーボードを弾いているのを批判してたファンの人がいて、私は心の中で「ちくしょー」と思い、悔しがっていた。まぁ、でもそれはしょうがないよね。ステージに立つ以上は…
でも本当にアメリカの医療事情のもと、ビルはツアーに連れていってもらえて、すごく御大に感謝していると思う。アメリカでは、しっかり稼がないと死ねと言ってるようなもんだから。フィリップ翁、バンドリーダーとして本当に素晴らしいよ。っていうか、クリムゾンは本当に「バンド」なんだよね。すごいよ、ほんと、そういう信頼関係がないとあんな音楽一緒に演奏できないと思うけど。
先日も来日したゴサード姉妹のアメリカ西海岸ツアーを訪ねてシアトルに突然行こうかなぁとか考えてて、ついでにフランキーのお墓まいりしてビルを訪ねようなんておもってたのだが… やっぱり行きたい時にすぐ行き、会いたい時に会わないとだめだね。「次」があるという保障はどこにもないわけだ。「次」はなかったわけだ。
ビル、ありがとう。あなたと仕事した時、初めてドラムのエンドースとやらを手配し、届いたピカピカのバスドラムのヘッドに一緒にホールをあけたのを思い出す。ビルがガムテを利用してぐるっと線を書き、私がカッターとハサミでチョキチョキ切ったっけ。Fabってライブハウスの床に二人ではいつくばり…(笑)っていうか、超偉いミュージシャンなんだから、アメリカじゃ坊やくんたちがやる作業なんだろうけど、日本では自分でやらないとダメだったから二人でやった。あの時の残った○は、今でも記念にうちの壁に貼ってある。
ビルって、そんな風に武道館からオーチャードから小さなライブハウスまで、全部楽しめる人だった。ミュージシャンって、あぁでなくちゃダメだと思う。
何度かここに書いていることだけど、ビルがロビンと演奏して、ステージ降りてきて「音楽の素晴らしさを思い出させてくれてありがとう」って目をキラキラさせてロビンに訴えてたのが忘れられない。なんか中学生みたいな笑顔だった。
そういやあの来日時にビルがくれたSLOW MUSICのCD。フリップ御大をはじめとしてすごいメンバーで、このバンド呼びたい〜なんてビルとメールをやりとりしたのを思い出す。実現してたらすごかったよね。でもエクトル・ザズーもあのあとすぐ亡くなっちゃったし、実現できなかったわけだけど。
ありがとう、ありがとう、ありがとうビル。突然逝っちゃったフランキーと違って、ビルは闘病期間もすごく長かったから、今はホッとしていると思う。メールボックス調べたら、最後のメールは2月だった。いつもすぐ返事が来るのに変だなぁ、とおもっていたので、ちょっと予感はしてたんだ。だからびっくりはしていない。ただビルと交わした会話やあの時間がもう2度と持てないんだ、と思うと、それがとても寂しい。
それにしても、ご家族の方もおつかれさまでした。ビル、今はフランキーと一緒にゆっくりしているのかな。ありがとう、ありがとう。それ以外、言葉が出ません。
PS
ロビンからメッセージが出た。
The great Bill Rieflin has changed hotel rooms for the last time - after a long battle with cancer he checked out and left us today. Musical genius and bleak perfectionist, Bill graced me with his drumming, harmonies and laser-sharp insight between 2005 and 2013. RIP dear boy.— Robyn Hitchcock (@RobynHitchcock) March 25, 2020
このあと何かメッセージが出たらここにも紹介していきます。
PPS
あ、もう一つビルのことで思い出したことが。マイナス5の来日の時、ビルがみんなのパスポートコピーとか集めて、ビザの申請とかシアトルの日本大使館で全部やってくれたんだった! スコットとかスコットとか、ピーターとかピーターとか頼りないから…(笑) 丁寧で紳士な人だった。