手拍子についての考察


小肌。芸術作品。たまには美味しいものを食べなくちゃ。先日ニューイヤーコンサートというものに初めて行った。マチネ公演だったので、ホールにいく前に、いつものお寿司屋でランチ。贅沢な1日だった。気分はまるで若草物語のメグだ。「今日だけは許して、明日からまたつつましやかに暮らしますから」…そして、夜は納豆ご飯でした。本当に久しぶりに電車に乗ってどっかに行ったよ。楽しかった。

行ったコンサートのプログラッムは、いわゆる「新世界より」とかやっちゃうような新年のクラシック・コンサート。

「新世界」はともかくラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は、初めて生で聞いたかも。普段聞いているのよりもどっしりと、まるで灰色の水がどっしりと流れる運河を進んでいるような気分になった。

最後はウィーンにならって「ラデツキー行進曲」のアンコール。観客も手拍子する有名なアレだが、自分で初めて現場で体験して今さらながら、なかなか感動した。

これです、これ…


クラシックのホールは響きがいいから観客の拍手も手拍子もブラボーの声も会場全体によく響く。だから全員が思いっきり手拍子なんかしたらオーケストラが聞こえなくなる危険性はあるのだけど、ここだけは手拍子が許される唯一の場所だ。

今さら気づいたんだけど、手拍子を大きくしたり、小さくしたり、指揮者の人が観客も指揮するんだね。これは楽しい!

伝統音楽の公演でもよく言われる「手拍子あり・なし」問題。このブログにも何度か書いている問題だけど、ま、私がアドバイスできることは「音をよく聞いていれば分かる」ということかな。そしてホール、ライブハウス、会場という名のついた場所の空気を自分も作っているのだということを自覚する。とくに手拍子は音を大きく出すものなので、十分に考慮したい。ジャズのコンサートでも手拍子は滅多に起こらない。昔MUSIC LIFEが元気だった時はメディアとして「手拍子禁止運動」という啓蒙作業があったのだが、今やそんなことを読者に言えるメディアもいない。一方で日本のビックプロダクション系にいくと、観客は最初から最後まで手拍子をしているのであった…  悲しい曲も楽しい曲も。あれには驚愕した。

自分で判断できない人は周りの人の空気をよく読むこと。それにつきる。私だって歌舞伎に行けばシオらしくしているし、相撲は見たことないけど国技館に行ったら周りの人に従う。歌舞伎を見に行けば歌舞伎の、大相撲を見に行けば大相撲の、クラシックに行けばクラシックの、ロックのコンサートに行けばロックの流儀というものがある。