音楽が運ぶメッセージ:音楽は社会を変えられるのか?

言語習得のために歌を覚えるのはナイスなやり方だ。たとえばこれ。スウェーデン語を勉強していたわたしは、この曲を必死で覚えた。

今でもスウェーデン語はまるでダメだが、「エンケル、ヴァッケル、エン」とか、ちょっとだけ今でも歌える。30周年記念の時に来日したヴェーセンに歌ってあげるつもりだったんだけど、その時はまだ完全に歌詞を覚えていなかったために、また病気で最悪に具合が悪かったため挫折した。本当は打ち上げのテーブルで歌ってあげる予定だったんだよなぁ。いや、単に彼らに対する愛情表現だけなんだけどさ、あなたたちにウケるために私は必死でスウェーデン語勉強してますよ、的な。そうこうしているうちに、今やもう遅し。ローゲルが抜けちゃって、ヴェーセンのデュオは果たして来日できるんだろうか。そうやって時間はどんどん過ぎていく。

でもこの曲、いいんだよなぁ。ブロンドの北欧美女をあがめる商業音楽にありがちな感覚はこの時から始まったのだろうか。それは置いておいても、このスウェーデン語の韻の踏み方がとっても綺麗で、とても好きな歌詞だ。エンケル、ヴァケル、えーん♪

言葉を覚えるためには、歌にして覚えた方が格段覚えやすい。英語のバラッドなんかはその良い例で、物語、噂話、スキャンダルから歴史まで、すべて印刷物がない時代、歌がそれらの情報を運んだ。歌になることで物語は人から人へと伝えられた。文献で書き残していないことを(そもそも紙もペンもとてもじゃないけど高額で手に入らない)覚えておくのに、歌は最適の媒体なのだ。

よく映画をプロモーションしている人たちと話をする時に私は「映画をプロモーションしているなんて、うらやましいわー。どうしたって映画の方が音楽より伝えるメッセージがより具体的だし、しっかり伝わるから」と羨ましがることがあるのだけど、その言葉はわたしの中では半分本当で半分嘘だ。嘘をついている方のわたしの気持ちとしては、実は歌の方がもしかしたら物語をきちんと運ぶことができているのではないか、と信じてたりする。

ま、わからないけどね。

歌において、歌(メロディ、音楽)の方が大事、とロビン・ヒッチコックがいつだったかのインタビューで話していた。メロディは、曲の気持ちを伝えるんだ、とロビンは言っていた。歌においてはまずメロディ(音楽の方)が大事だ、とロビンは言っていた。それは歌の「気持ち」「感情」「センチメント」を運ぶのが音楽だからだ、と。そして、そのあとに歌詞が続くのだ、と言っていた。なるほど。

そんなことを、あれこれ考えている。

スミの音楽をグリーンランドの人たちが声を合わせて歌う時、私はどうしてもぐっと来てしまうんだ。自分の言葉で歌える歌がある、ってなんて幸せなことなんだろう! 日本みたいに人口が多いところに住んでいれば、そういう幸運さはいつでも十分に享受できる。無意識のうちに。

そういえば、今回の映画祭では英語で歌われる音楽が多い。ピーターさんのトークで、その話題にふれてみようか。ピーターさんは英国人だから、日本語ネイティブの私たちよりグリーンランドの人たちから遠いところにいるのかもしれない。でもあれだけほぼ完璧に日本語を習得された方だから、また別の思いがあるのかもしれない。そのくらい、私たちは普段は忘れているが、ピーターさんの日本語は完璧だ。ちなみに普段、ピーターさんとのメールのやりとりも当然日本語なのです。いつだったか「左様でございます」とピーターさんが書いてきた時には、なんか楽しかった(笑)。

映画『サウンド・オブ・レボリューション〜グリーンランドの夜明け』はピーター・バラカンさんの音楽映画祭で上映されることが決まりました。詳細はこちらをちぇきら! 7/14(水) 18:10からの回では、上映後にピーターさんと野崎のトークもあります。