なるほど。死刑囚の尊厳だけではなく「殺す側」刑務官の人権、それを決める国民(私たち)の尊厳をも傷つけている。これは死刑廃止に向けてのすごい突破口かも!目鱗! https://t.co/eXjHZar0Nr
— 野崎洋子 (@mplantyoko) July 11, 2021
週末にこんな配信があって、久しぶりに真剣に死刑制度について考えた。このブログを書いたのがすでに9年前。あれからまったく世の中は進展していない。というか、死刑については、木村さんが動画の中でおっしゃっているように日本は「下りのエスカレーターを無理やり登っている」状態…
まず前にも何度も書いていることがだけど、私は人間はいい大人になったら何か社会的なことで意見をいうのは大切なことで、それが大人の社会的責任であると、常日頃から思っている。自分の生活がなんとかなっているからそれでいいと、発言をしなかったり、意見を聞かれても何もいえない、かつ選挙にいかないとかもっての他だ。ただどの社会問題もすごく複雑で、人に意見を言うには相当勉強しないといけない。だから発言するのは、とても「怖い」しリスクがある。
友人の中には、あっちの社会問題、こっちの社会問題とあれこれ手を出し、叫ぶようにSNSで拡散している人も多いけれど、私は一人の人間が自分の職業をかかえ生活をしっかりしつつも、きちんと発言できるレベルにまで「イシュー」を勉強するというのは、おそらく人生において二つくらいが限度なんじゃないかと考える。きちんと過去現在未来の動向を見守り、情報を集め、注視しながら意見を言うのは、頭がよくある必要はないのだけれど、大変な時間を取られる作業だ。
で、私にとっての社会イシューは「原発」と「死刑」だった。
「だった」と過去形なのは「原発」は311の震災でイシューが巨大化してしまい情報を追いきれなくなってしまったのが原因だ。311以前は、自分は原発に関するいろんなことについて知っている上位20%の中に入っていただろうという自負もあるし、またなんらかの意見を述べたり人に聞かれたら自信を持って自分の考えを答えることもできていた。今でも原発自体はともかく原発を地震や自然災害満載の小さな島国に作ることはもちろん大反対だが、今や自分より詳しい人がいくらでもいるのを感じる。でも、もちろんそれはいいことだ。多くの人が普通に原発のことを気に掛けるようになってきたってことだから。
そして「死刑制度」。こちらについては、なんのことはない、普段仕事上で接触するヨーロッパ人に「日本にはまだ死刑制度がある」と言うとみんなにびっくりされるからだ。そしてだいたいはこう聞かれる。「どうやって殺すんだ?」。そして「絞首刑だ」と答えなきゃいけない、そのいたたまれなさよ。 なんかそのたびに辛いんだよね。
おそらく一応民主主義といわれる国の中で日本と同様、死刑がいまだに執行されているアメリカもバイデン政権になったので、死刑はなくなるだろうことが予想だれる。バイデンは一応それを公約として大統領になっている。もちろん死刑は州ごとの決定だということもあるが、とにかく時代の流れはそっちなのだ。おそらく間違いなくアメリカでは近いうちに死刑はなくなる。
あと、なんというか、韓国みたいに一度しばらくの間だけでも、止めてしまうといいんだよな。そうすると久しぶりに死刑になった時に「あぁ、殺しちゃったのか」って世の中はなるから。そのくらい単純なことでもある。9年前のEUのシンポジウムで「死刑廃止は<慣れ>です、慣れ!」と言った人がいたけど、まさに。
また日本の死刑制度には問題も多い。絞首刑だというもの知られてないし、執行がその日の朝本人に告げられること、また刑務官が床が抜ける3つだったり5つだったりするボタンを複数の人数で同時に押すことなども。今でこそ執行されれば法務大臣が記者会見を受けるが、それも昔はままらなかった。一方で平安時代には200年死刑がなかった…という記録もあるらしい。
今回のシンポジウム、特に木村さんの言葉がすごくいい。木村さんのお話を聞いて、憲法の視点で死刑制度を冷静に考えていくことの重大さを改めて感じた。木村さんのたんたんとした、しかしながらするどい指摘と、青木さんの適度なつっこみと感情的なところにうったえるような(ご本人も言う)「文学的」な攻めとのバランスがめっちゃ良い。
今回一番響いたのは、死刑囚の尊厳だけではなく、それを国民の代表としてボタンを押すはめになる刑務官、そしてそれを良しとしている国民全員の尊厳も奪っている、ということ。普通の人が普通に持っている「人なんて殺したくない」という当たり前の感覚、人間としての尊厳をいちじるしく踏みにじっているということ。これは目鱗。今までまったく気づかなかったポイントだった。そうか、だから自分は死刑制度がいやなのか、と。そして、このポイントは今後の死刑廃止の突破口になる可能性があると強く感じた。国民に当事者意識を持たせるには最高の論法だ。
そして、例えば「腕を切り落としたり足を切り落としたりするのは残虐だとされて禁止されているのに、命をうばうのは許される。非常にこれはバランスが悪い」ということも。
木村さんが説明されていた「よく死刑廃止論で、この死刑確定囚は反省しているからとか、育った家庭環境がこうだったからみたいなことで語られることが多いんだけど、それでは、その人への同情をえることはできるけど、制度の改革にはいたらない」というのも非常に重く響いた。
しかし、そうなのだ、死刑制度というのは、私たちに人を殺させているのだ。私たちの人間としての尊厳はどうなる? それを傷つけられて黙っていていいのだろうか?
あぁ、本当に死刑制度がなくなる日が来るのかな。本当にそれは実現するのかな。
まぁ、でも難しいですよ。実際「死刑」も「原発」も私が生きている間はなくならないんだろうなと思ってきたが、もしかしたら「死刑制度」はなくなるんじゃないか…とも思えてきた。前向きになれるシンポジウムでした。関係者の皆さん、本当に貴重な機会をありがとうございました。
<今までの死刑制度について書いたブログ>
このブログを読んで死刑について興味を持った方はぜひ。たくさんあるし長いので読むの大変かもだけど、よかったらEUのやつだけでも読んでやってください。
田中ひかる『毒婦 和歌山カレー事件 20年目の真実』を読みました。