映画『マイ・ジェネレーション』『ノーザン・ソウル』『白い暴動』を観ました。英国映画三昧! #pbmff


ピーターさんの映画祭いかれるかた、このボロネーゼ専門店なかなかでしたよ。トマト感がまったくない肉肉しいボロネーゼ。ビックカメラの脇のガード下にあります。特に2本、3本続けて見る時は、出てくるのも割と早いし、立ち食いでしてパッと食べて映画祭に戻れます(笑)

そんなわけで、本日、またもやピーター・バラカンさんの音楽映画祭にて、映画のハシゴをしちゃいました。楽しかった。

1本目は『マイ・ジェネレーション』。ロンドンのいわゆる最高の60年代を紹介したまさにピーターさんのジェネレーション、ドンピシャのドキュメンタリー映画。俳優のマイケル・ケインが案内役を勤め、ビートルズにストーンズ、ツイギーにマリー・クアント…とにかくみんな若くて元気がいい。そして女の子たちがみんな特に可愛い!! そして彼らを批判する保守層のおじさんおばさんのコメントに、このスインギング・ロンドンがどんなに大きな社会的に意味があったのかを知る。そうか、これって、こういうムーブメントだったのか、と妙に納得。全然そういうことわかってなかった!

 

しかし時代の興奮というか、なんというか…  こういう時代の評価って、時間がたってみないとわからないけど、本当に今になって思うのは、あのムーブメントが、どんなにすごい転換期だったのかということなんだよね。このムーブメントの前の英国って、こんなに保守的だったのねと66年生まれの私なんぞは思うのであった。

ピーターさんの上映後のトークより(以下、ピーターさんや司会の小倉さんの発言は、私がメモったことを書いているので誤解があったらすみません。文責のざきでお願いします)

まず一言目には「映画館でみるとやっぱりいいですね」と。ピーターさんは51年生まれでまさにこの「マイ・ジェネレーション」世代。Swinging Londonの時、中学生〜高校生だった。なのでこの映画はめちゃくちゃ響くのだけど、初めてこのムーブメントを知る人には、あまりに情報が多すぎてついていけないところがあるかも?と。とにかく興味を持った人は何度でも見てほしい、とのことでした。何度でも見ると新しい発見がある、と。

まず言葉について話題から。イギリス人の場合、喋り方でとにかくすぐ「生まれ育ち」が瞬時にわかる。だからピーターさんが日本に来日したばかりの頃、日本人のビジネスマンたちが初対面で出会って、お互い「どこの大学出身か」とか探り合っているのを見るのがとても興味深かったそうです。というのもイギリス人の場合、そんなこと探る必要はなく、口をひらいたとたんすぐわかるから(笑)。

一方ビートルズなんかはリバプール訛りがすごくて、彼ら以降は地方出身のアクセントは「かっこいいもの」とされていったそうです。そして映画の中にでも出てきたように「私は自分の立場を知っています」「わきまえています」「でも労働者階級で何が悪い」というふうに価値観が変わっていった時代だった、とも。もう違うクラスの人に気を遣うのはやめた!そういうムーブメントだった、と。

ちなみにピーターさんでも昔のお上品なイギリスの映画(例えば『逢引き』1945年 Brief Encounter)などは言葉が上品すぎて何を言っているのかがよくわからないことがあるんだそうです(爆) 。 そのくらい違う。そしてこのムーブメントでイギリスの文化、社会が大きく変わってしまった、と。

トランジスタ・ラジオの出現(それまでは真空管だったからコンセントをさして1分くらいまたないとラジオの音がでなかったそうです)も大きかった。当時英国で流行っていた海賊ラジオはピーターさんは夢中になって聴いたそうです。BBCを聞かないで海賊ラジオばかり聞いていた。海賊ラジオでアメリカのソウルミュージックや新しいサウンドに出会ったそうで、イギリスで本当に本当に流行っていたんだとのこと。

そして、まぁ、映画は最終的には経済力を持っている人が社会を収める、ということで決着がつき、若者の天下は続かないとしていますが、それでも社会がこれだけ大きく変わったのは間違いない事実ということも描いていきます。

ちなみに海賊ラジオがなくなると、そこのDJたちはみんなBBCに行ったりして、結局体制側も変わらずを得なくなったんだって。そしてTVでもモンティ・パイソンが始まったりして(69年)BBCの価値観も大きく変わっていく。ほとんど違う国になった、と言ってもいいくらい…というお話でした。

うーん、なるほど!

ちょっと話はずれますが、アイリッシュ音楽ファンはチーフタンズもこのSwinging Londonの真っ只中にいたってご存知でしたか? あの「I read the news today oh  boy...」の車事故のニュースはチーフタンズ他、音楽業界の大スポンサーだったギネスの御曹司の話なのです。それについてはここ(チーフタンズ物語1)にも書いたので、興味ある人はリンク先を読んでみてください。


そして2本目は『ノーザン・ソウル』2014年、女性監督が制作した1970年の北イングランドが舞台の劇映画。今回ドキュメンタリーがほとんどなので、劇映画はちょっと新鮮。で、ここで紹介されるのは、当時北イングランドで流行った本流とはちょっと違うソウル・ミュージック。ここに良い紹介レビューがあるので、ぜひ読んでいただけたらと思うけど、本当に低予算で、しかしながら愛情たっぷりに制作されている素晴らしい作品でした。これも見逃していたので、ここで見れて本当に良かったです。

この映画で私が思ったのは「男の子の音楽を通して結ばれた友情」の結束の硬さというか、なんというか、そんなところです。主人公の子がジョン・カーニーの『シング・ストリート』の子にちょっと似ている感じもあって(映画のトーンは全然違うけど)なんか妙に惹きつけられた。あっちの映画も、ちょっと女には入っていけない兄弟の愛情を描いた作品だと思うけど、こんなふうに男の友情ってなんかすごい部分がある。そもそもレコードを漁るって男の子特有の遊びだよね…と思ったり。

ピーターさんの解説。またもや大きなスクリーンで見ると全然印象が変わる作品。この映画は超低予算のインディの制作だったので、作るのがとても大変だったそう。

役者は主人公の「ポエム」をみんなの前で読み上げてしまう意地悪な先生役としてスティーブ・クーガン(この映画にも出ている)が出ていた以外はほぼ全員無名!(ピーターさんがクレジットになんとか・クーガンっていう人が多かったからひょっとして家族で友情出演したのかも、と想像したそうです)公開当時、イギリスではそこそこのヒットになったのだけど、日本で公開するのには本当に時間がかかったそうです。

ピーターさんも実際の「ノーザン・ソウル」のシーンについてはよく知らず、当時からこういう世界があったというのは知っていたけど、自分はロンドンに住んでいてよくは知らなかったので、この映画をみていろいろ発見があったと話してらっしゃいました。

舞台になった北イングランドの町は「バーンズワース」とかいうのだけど、とにかくイングランドの北部の工業都市で70年代、楽しみはサッカーくらいしかないというイケてない町。工場で働いて人生の楽しみもない毎日を、ダンスで発散していた若者たちがいて、「ノーザン・ソウル」は北イングランドだけの現象だったらしい。ロンドンではあぁいうシーンはなかった、とのこと。

映画に出てくるCover Upのエピソードが面白いですね、と小倉さん。つまり北イングランドでは、そういうシーンだったから音楽は生のライブミュージックではなくDJが回すものだった、と。1時間くらい交代で人気のDJが担当していたそうで、DJ同士の競争もすごく激しかった。他の人がもっていないものを良しとする。すごいレコードが見つかったらレーベルの文字を全部削って自分だけのものにする。それがCover Up。あの見つけた時との興奮具合が面白いですよね、と小倉さん。確かにあのシーン、すごく笑えた。

実際映画のダンスシーンでかかっている曲たちは、今でも知られていない曲がほとんどで、ピーターさんによると、「ノーザン・ソウル」はこういう誰も知らないレコードを愛でる、というそういう文化だったのだ、と。誰も知らない曲、誰も知らない人。それこそが存在意義がある…みたいな。

音楽というとラジオでかかるタイプのものとクラブやダンスホールでかかるタイプのものといろいろあるけど、ピーターさんの考えではその二つはまったく違うものだと。例えばモータウンも多いんだけど、「モータウンもどき」がDJの方では多く、ポップなソウルで編曲も派手目な踊りやすいものが好まれたんだそうです。なるほど。

ラジオで聞くと言っちゃ悪いけどB級。というか、かかってもおそらくヒットはしなかっただろう曲たち。DJの感覚とラジオは別、みんなで踊るための音楽。いわゆるノーザンソウルだけのヒット曲とのいうのが当時いくつもあったそうです。

ところで面白かったのは主人公の男の子がブルース・リーに夢中になるところ。ピーターさんいわく『燃えよドラゴン』は大傑作、と大絶賛(笑)。ブルース・リーは世界的なヒットで、テレビでもカンフーが流行って、ドラマ・シリーズが放送されていたんだって。とにかく流行っていたそうで、あの薔薇や草木を蹴っ飛ばしてカンフーの真似事をする主人公たちが面白いですよね、と小倉さんも笑っていらっしゃいました。確かにあのシーン、良かった。2回くらい出てきてたよね… せっかく咲いてる綺麗な薔薇を散らしちゃって。

あと映画に出てきた「ユースクラブ」について。ピーターさんいわくユースクラブって、青少年が非行に走らないよう、健全な遊びを与える…みたいな区民センターの子供版、もしくは児童館の青少年版みたいな施設なんだそうです。。10代の若者を集め、ビリヤード場やダンスホールなどもあって、DJは大人のやっていたんだそうです。ピーターさんは行ったことがないそうだけど、確かにこの映画の主人公も最初は行きたがらない(笑)。とにかくそういう場所は「ダサい」というのが当時の若者の見解。他に行くところがない子が行く場所、くらいにみんな思っていた、とのこと。たとえば女性の担当者が出てきてクリフ・リチャードを出したりしてくるんだけど、それだって1961年のヒット曲で、映画の場面はもう70年代、ビートルズが出たあとの時点から見れば「いまさら?」みたいな世界ですよね、とピーターさん。

あと途中でてくるレコード屋さんのブースみたいなのが面白いですね、と小倉さんに話題を振られると、あぁいう視聴ブースは、でも日本にもあったんじゃないかなぁとピーターさんは話していました。日本でもイギリスであったように記憶しているそうです。店主がレコードをかけるとボックスの中にお客が入り、そのボックスの内側にスピーカーがついているから音が外に漏れることなく聞けるようになっているらしい。ちなみにロンドンにヴァージンメガストアが初めてできた時、視聴機にヘッドホンがついて、それは「最先端だ」とピーターさんはめっちゃ感動した記憶があるそうです。時間がたつのは早いね!!(笑)

とにかく昔のイギリスの素朴なところとか、すごくリアル。この女性監督は自分も北部の出身でこの時代に対する憧れの気持ちがあって、他の人にも伝えたいということでこの映画を制作したんだって。

あ、そうそう、ここですごいお知らせが。今年のLIVE MAGIC! オンラインで10/23に決まったそうです。オンラインは残念だけど、それでもLIVE MAGIC!が続けられるんだから素晴らしいですよね。この日は皆さんあけておいてくださいね、とのピーターさんからの告知でした。

今日見た3本目は『白い暴動 White Riot』。1970年代のイギリスで無視できないくらい大きくなっていたネオ・ナチ集団の「National Front 国民戦線」そしてそれに抵抗する「Rock Against Racism」の活動を描いたドキュメンタリー。いやー すばらしかった。



これで思ったのは、世の中って実は二人くらいで動かせちゃうんだ、ってこと。以前私がまだ20代のころ仲の良かったプロデューサーが言ってた。世の中って一人じゃ無理だけど、二人くらい仕事ができる人が組むと動くんだよ、って。それがなんとなく心に残っている。そして今でもそれは本当にそうだと思っている。そんなのを体現しちゃうような話。こんなことがあったんだ。私って本当に何も知らなすぎる。英国のことならだいたいのことは知っているつもりだったのに。いやー なんか今の日本の社会や政治を思うに、いろいろ考えました。

特に最後のコンサートのシーンとか圧巻で、なんと8万人(10万人という説もあり)集まったそうです。

ピーターさんの解説。ピーターさんはこの映画の字幕監修をしているので、何度もこの映画を見ているんだけど、やはり大きなスクリーンで見れて嬉しい、素晴らしい、とのこと。すごい情報量の映画で、よくこれだけのものが残っていたなぁ、と。

このムーブメントが起きた時、ピーターさんはもう日本に来て2年くらいたっていたのだそうです。クラッシュなど、デビューの時はあまり自分にはあまり響かなかったそうですが、London Callingあたりから好きになったそうで、クラッシュの来日公演には行ったんだって。その日はすごく寒くて雪が降っていて、雪の中、楽屋口で待っていたファンにジョー・ストラマーがサインをしてあげていたのを見て、本当にいい人だなぁと思ったそう。(ちなみにジョー・ストラマーの「Let's Rock Again」は是非皆さんにも見てもらいたい映画だそう。次回の映画祭の候補か?!)

ちなみに映画の中で紹介されるボウイのレイシスト的な発言は、まぁ微妙で前後をばっさり切り取られた感はあるけれど、クラプトンの発言はちょっと…「訳がわからない」とピーターさん。

誰よりも先にブルーズを世界に紹介したのに…お前がそれをいうか、みたいな。 ただクラプトンは当時は薬中だったりアル中だったりしたということはある、と。でもって2、3年休職して復活したライブアルバムでまたボブ・マーリーの曲を取り上げ、それがボブ・マーリーが広く知られるきっかけになったのも皮肉な話。まぁ、でもあとになって反省の言葉を言っていたり、発言を撤回したりしているそうだけれど、まぁ説得力ないよね、とピーターさん。でもあれがあったからRAR(Rock Against Racism)が生まれたということは事実だろう、と。

ちなみにトム・ロビンソンについては、大ファンではないものの結構聞いてたそうで、彼はゲイとしてカミングアウトした最初のミュージシャンの一人じゃないかな…とのこと。当時はエルトンもまだカミングアウトしていなかった。いずれにしてもNational Frontの力はすさまじく、そういった部分は最近のブレグジットといい、今の英国にも間違いなくまだ存在している、と。

ちなみに81年のブリクストンの暴動の時は、ピーターさんは高橋幸宏さんのレコーディングでロンドンにいて、Oxford Circusのスタジオのテレビで暴動の様子をみて本当にびっくりしたそうです。(地下鉄で4つくらいしか離れていない!)本当に戦争みたいだった、と。

それにしてもRARはたった二人で始めたことがどんどん広がっていったのがすごい。10万人のライブ、まぁ、誰も数えていないと思うのだけど… 本当に当日まで人が来るのかもわからない、そういうイベントだった。今みたいに携帯やSNSもない時代。本当にすごい、と。

それにしても最近公開になった『カセット・テープ・ダイヤリーズ』でも出てきたけど、「イギリス人って本当に嫌なやつだねー」とピーターさんは呆れたように言って会場の笑いを誘っていました。「今日みた3本でも、すぐ怒って、すぐ喧嘩して、ものすごく暴力的」と。2006年の映画「This is England」もそのうちかけて、英国映画祭もしたいなぁとピーターさんが言うと会場から拍手があがっていました。うーん、期待したい英国映画祭!! 「ローカルヒーロー」を巨大スクリーンで見たいよ!! 

いやー 楽しかった! 


さて今朝も銀座のホテルでパワーブレックファーストと決めたんですが、いまいちだったので場所は書きません。3,300円はリーズナブルなのかもしれないけど、フルーツとか出ても、なんかくたびれてるし、なんかこう研ぎ澄まされたものがまるでないと思ったよ…。はい。唯一感動したのは、このバター。どっちが美味しいですかとアンケートがついていた(笑)私はエシレより、このブルターニュのやつの方が好きです、と回答しておきました。

さて!!! ウチの映画『サウンド・オブ・レボリューション〜グリーンランドの夜明け』はピーター・バラカンさんの音楽映画祭で上映されます。7/14(水) 18:10より。上映後にピーターさんと野崎のトークもあります。どうぞよろしくお願いいたします。





チケットいよいよ予約開始になりましたー