村井理子『家族』を読みました


なるほど、パワフルな本でした。あっという間に読めちゃう。実際2日で読み終わってしまった。どこにでもいる家族の本。でも何かボタンの掛け違えみたいなことで、崩壊していく。最終的に生き残ったのは著者一人。

この本、今、どの本屋に行っても平積み。特設サイトまでできて「売れてる本」な感じをかもしだしている。人々はこう言う本を求めているんだろうか。すごいな。

なんというか、こういうエキセントリックで破滅型の家族のメンバーとは距離を置くにかぎるよな。それにつきる。

外野が「お母さんなんでしょう、面倒みなさい」とか言える状況じゃない。自分の幸せを死守するためにも、絶対に距離は置くべきだし、距離を置いて自分の幸せや安定を優先させていい。だから著者が取った行動は正しい。

たとえば、こんなニュースも世間にはある。ここまで来ると明らかに「犯罪者」なのだが。

話題を本に戻すと、なるほどすごい読書体験だし、実際にこれに似たような家庭で育った人には「私の人生もこれに似てる。この本に救われた!」とかあるのかもしれない。

親たちは、まぁ寿命だったといえるだろうが、お兄さんは死ぬ必要はまるでなかった。でもこのお兄さんみたいに、病気になっても真剣に治療もせず、そのまま自滅してしまう人もたくさんいるんだろうな、と思う。

私の友人にも一人、そういう人がいて、彼女は若くして死んでしまった。彼女は常に自分の人生に満足しておらず文句ばかり言っている人だった。

人との距離感がうまくとれず、こちらが仕事している時間帯に急に電話かけてきたりして、私ははっきりと「仕事してる時間なんだからさぁ…」と文句を言った。フリーランスがいつも暇していると思ってもらっちゃこまる。

彼女の場合、あれはゆるやかな自殺だったんだと思う。自分の人生を思い通りに描けなくて、彼女はゆるやかに自殺していったんだと解釈している。冷たいようだが、彼女は私の好きなタイプの人間ではなかった。死んだからといって褒めたり、持ち上げたりする必要もないと思っている。

この本に出てくるお兄さんも同じパターンだと思う。子供のころのメニューが決められないエピソードなど、めちゃくちゃ変だし、極端で、明らかに異常だし、今なら、すぐさま検査とかするべき症例だと思うけど、まったくそれがなされていない。本人も直そうという気がない。

絶対にしっかり治療やカウンセリングを受けながら生きていくことも可能だったのに違いないのに、それをうまくコントロールできなかったんだろう、あっという目に自滅。こういうパターンあるよなぁ。例えば糖尿病とか、生活習慣病で自滅しちゃう。

広い意味での自殺だ。

でも、このテの本、私はあんまり好きではないんだよな。こういう本は、他人の家の内側を知りたいという興味で思わず買ってしまったりもするけれど。

こういう本を読むなら、もっと自分の人生に何かを与えてもらえるような、そういう内容の本を読みたいと思ってしまう私は独善的なんだろうか。

私はこの本から何か学ぶべきことは私は少なくとも見つけられなかった…というと突き放しすぎか。

こういう本、他にもあったよなぁ。世間では「すごいすごい」と評価が高く、だから私も買って読んだけど、全然ピンとこなかったノンフィクション。あれも女性が書いてた。

タイトルはここには書かないが、その彼女も、ものすごく文章うまいし、めちゃくちゃ売れてて、すごい、すごいって絶賛されていて、友人などからも勧められて読んでみたけれど、全然わたしはダメだった。

確かにすごいなぁとは思ったけれど、そういう本をたくさん読もうという気にはなれないんだよね。一方で、こういうヘヴィな内容をいわゆる一つの読書体験としてエンタテイメント消費しちゃうのは、絶対に違うと思うし。

…あぁ、それか。自分で書いてて思った。こういう体験をエンタメとして消費しちゃうのが嫌なんだ。確かにこういう本は売れるけど。

まぁ、著者との相性なのか。

というか、世の中には読むべきすごい本がいっぱいありすぎて時間が足りない。とりあえず一冊読み終わったわけで、次を読もう、次を! 

なんかパンチがあるフィクションでも行っとくか…と積読の山をチェック。