ロビン・ヒッチコック on シド・バレット

 



ロビン・ヒッチコックがシド・バレットの誕生日に書いたエッセイがすごくよかったので、ここに転載します。


シド・バレット:消えゆくもの
シドの77歳の誕生日に思うこと...。
ボブ・ディランが現代で最も「綿密に調査されたミュージシャン」であるならば、シド・バレットは「最も追求されたミュージシャン」の一人であるに違いない。1972年2月、彼が社会から姿を消すとすぐに、彼のファンである犬たちが追いかけてきた。

僕もそうした犬たちの一人だった。ソフトボーイズのファーストEPに収録されている「The Face of Death」を聴けば、僕がいかにシド・バレットにどっぷりと漬かっていたかがわかるだろう。

この曲は、シド自身のことではなく、ケンブリッジの街に出没する、絶望感あふれる表情の地元住民のことを歌っているのだと思う人もいた。
その男は、牛乳瓶がたくさん並んだ部屋に一人で住んでいて、糖尿病のために自分でインスリンを注射していた。
狭い、寒い路地裏では噂はすぐに広まる。腹にパンチを食らったように彼はゆっくり歩き、革ジャンを着ていた。彼の名前はアーサーだったと思う。
数年前、ヒルズ・ロードにある彼の古い実家で、バレット本人を訪ねたことがある。幸いなことに、彼は外出していた。しかし、彼はもうシドとは呼ばれていないようだった。

僕は恥ずかしさでピンク色に染まり、恐怖で胃が締め付けられるような気持ちで玄関先に立っていた。僕が成りたかったモノである男に実際に会うのはとても怖かったが、彼に会いたいという衝動は僕の不安よりも強かったのだ。

僕は郊外にある立派な家のドアベルを鳴らした。すぐに若い学生の下宿人が出てきた。僕は自分の使命を説明したが、彼女は驚いた様子もなく「そうですか、ちょっと待ってください。Bさん」と階段を上って叫ぶ。「ロジャー、いる?」
ロジャーとは誰なのだろう? 僕は「実はシドを探しているんです」と説明しようとしたが、そこにトカゲのようなオーラを放ちながら、プリントのワンピースを着た、落ち着いた雰囲気の女性が、僕のいる方向に向かって階段を下りてきた。

彼女は僕を見て驚く様子もない。どうやらシドのファンである巡礼者たちは、いつもこのドアに群がっているらしかった。このシルバーの髪の女性は、僕の母の叔母に似ている。

おそらくバレット夫人に違いない......。
「あ、いえ、残念ですが、彼は今ロンドンにいるんですよ。何かロジャーに会いたいことがあったのですか?」
「あ、あの、その......いえ、その…」僕は慌てふためいて、息が荒くなった。勇気を出して彼らの家にお邪魔したことは嬉しかったが(僕は筋金入りのファンだった)、僕が探し求めている本人が実際にはそこにいなかったことにいささか安堵した。

「彼はロンドンにいるんですか?」
「そうです」
「彼は...ええと...レコードを作ってるんですか?」

バレット夫人は首をかしげながら言った、「彼はレコードを作っていると思います、はい...」と。
もういいや、と僕は逃げ出した。シドの本名はロジャーで、ずっとロジャーだったんだ。
バレットのニュースを探せば探すほど、情報はみるみるうちに少なくなっていった。シド(あるいはロジャー?)が子供の頃の家の地下室に住んでいて、ピンク・フロイドのレコードを間違った速度で再生して大笑いしているという噂は、あの家から出てきたものだ。

彼はまた地元のジャム・セッションで演奏している姿も目撃されている。チョコレートケーキを食べる姿も。しかし、彼は姿を消した。
1970年代に入ると、シド・バレットは本当にもういないのだということがますます明らかになった。

シド・バレットがアビーロード・スタジオの昔のバンドを訪ねた時、バンドはシド・バレットへのトリビュート曲「Shine On, You Crazy Diamond」を完成させたところだった。しばらくの間、誰も変わり果てた彼のことをシドだと分からなかった。

シドは痩せていて、ハンサムで悪魔のような人物であった。ロジャーは太っていて、ハゲで、眉毛もなかった。

あの日、ロジャーが立ち寄ったのは、もう昔の自分は終わったということを主張するためだったのだろうか。
彼は、レコードを作るためにやって来たのではない。彼をレコーディング・スタジオに呼び戻す試みが何度か行われたが、最終的にテープが表面化したとき、それはインスピレーションに欠ける12小節の羅列であることが判明した。それはカオスですらなく、ただただ退屈なものだった。
バレットにはもう歌はないのだ。それでも彼は、印税がなくなるまでギターを買い続けた。僕たちファンがそうであるように、彼もまた、自分がまだゲームを続けていると信じたかったのだろう。
ミュージシャンのシドは、宿主であるロジャーというサボテンに一瞬だけ咲いた花であった。シドがいなくなった身体は、以前のように美大生に戻ってしまった。ロジャーはケンブリッジの母親の家に戻り、最後の30年ほどを絵に費やした。そして、それらをすべて燃やしたらしい。

一方、僕は、ケンブリッジのアート・ロック・バンド、ソフト・ボーイズで、消え去ったヒーローを再活性化することに全力を注いでいた。もちろん、アート・ロックになれるのは死後だけだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやロキシー・ミュージックのように。

ソフト・ボーイズの活動中は、僕たちも含めて誰もソフトボーイズをどうカテゴライズしていいか分からなかったので、事実上、僕らは市場に出ることはできず、音楽業界もすぐに僕らを見限った。

僕たちは、音楽業界が私たちを売り出すことに協力すらしなかったけど、僕たちの数少ない明確な目印は、僕がシド・バレットにとても似た声を出していたことだった。

僕たちは、彼の貴重な未発表曲のひとつである「Vegetable Man」を録音した。この曲はバレットを崇拝する人たちを魅了しつづけ、僕は長い間その一人だったのだ。
僕はアイデンティティの問題を抱えているのかもしれない。自分自身を近くから観察してみると、僕たちみんな、実はいったい何者なのか?と思う。

もう存在したくない人(バレット)と、他の誰かでありたい人(僕)を加えれば、その全体像がわかるだろう。僕が知っていることといったら、もしとある音楽が好きなら、できるだけその音楽に近づこうとする、それだけだ。

自分が影響を受けたものを吸収するのか、それとも単にその影響をアピールし続けるかということではない。私は自分が聴きたいと思う音楽を書き、演奏するだけだ。

時々、ジョン・カーペンターの映画『シング』のクリーチャーのように、自分が吸収したものすべての合成金属であるかのように感じることがある。ある人が僕のことをロック界のピーター・セラーズと表現していた。もっとひどい褒め言葉をもらったこともあるよ......。
ロジャー・バレットは、彼が誰であろうとも、彼の崇拝者たちが自分たちのファンタジーを投影できる真っ白なキャンバスになったのだ。

彼は崇拝者であるファンのために存在するようになったのだ。彼自身のためではなく…

彼は、郊外の裏通りで、できるだけ目立たないように暮らしていた。彼の住所はとっくの昔に噂になっており、何人かは買い物に行く途中や街をサイクリングする途中で、しつこく彼を見張っていた。

そういう奴らは、まだシドを、あるいはシドの痕跡を探していた。曇りの日の午後、紐のついたベストを着たロジャー・バレットかどうかもわからない映像を見たことがある。

僕は1980年代初めまでケンブリッジに住んでいたので、街の中心で彼と何度もすれ違った可能性もある。でもそれを知る由もなかった。
結局のところ、自分が何者であるかということと、自分の崇拝者たちが自分がどんな人であってほしいかということの間には、大きなギャップがあるということなのだ。

自分は、自分の崇拝者たちが想像するような偉大なものではないと考えるようにしている。確かに「本当にそうだったら、素晴らしい」。でも現実の自分は、寂れた大通りを歩く、ただの老いた肉の塊なのだ。

ある精神病のビートルズ・ファンは、ジョン・レノンを世界から奪うことを選んだ。なぜなら、ジョンはもはやそのファンが想像していたような人物ではなくなってしまったと彼は感じたから。そういうことだ。

アーティストとして、僕の最高の部分は僕が生み出す芸術なのだ。僕はシドが残してくれた音楽に心から感謝しているし、ロジャーに出会わなかったことに心から感謝している。
ロビン・ヒッチコック
2023年1月6日 www.DeepL.com/Translator(無料版)にお手伝いいただき、ざっくり訳しました。


PS
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