Tributes are being paid to John Dunford – @SharonShannon99's manager, a crucial contributor to @WaterboysMusic's Fisherman's Blues, and a key member of the Irish music community since the '70s – who died over the weekendhttps://t.co/z6pS42KAJv
— Hot Press (@hotpress) November 20, 2023
この投稿笑った。この写真(ウォーターボーイズのアルバム)の背後で、シャロンを支えているのがジョンだそうです。
One of the soundest fellas you'd ever be lucky to meet. John Dunford 🥹
— Annie West (@anniewestdotcom) November 19, 2023
My favourite photo of John, holding on to Sharon and propping Steve up with his head for this @WaterboysMusic photo pic.twitter.com/dSFS6k6u0H
しかしジョンったら、まだきっと若かったと思うのです。
特に2000年の前半、ウチでは本当にCDがよく売れていたので、シャロンの事務所からも私はかなりたくさんのCDを買っていた。
正直なことを言うと、ジョンは、私にとっては最高のビジネス相手とは言えなかった。向こうも私のことを面倒くさいやつだと思っていたかもしれないけどね。亡くなった人には悪いけど、私は死んでても生きてても人の評価を変えないようにと思っている。
でも、こう言っちゃなんだけど、私は一時は本当に、すっごーいたくさんCDをシャロンの事務所から輸入し、すごい大金をシャロンの事務所に払っていた。
正直ジョンとの仕事はやりにくかったし、プランクトンさんが招聘したシャロンのツアーを手伝っていても、要求が多く面倒くさいやつだなぁと思うこともしばしばだった。
シャロンはジョンがマネージャーじゃなかったら、もっと世界的なアーティストになれていたのかもしれないのになと思ったこともあった。あくまで個人の意見ですが。
今でも忘れないのは、ドーナル・ラニーのバンドのメンバーとしてシャロン・シャノンが初来日するからといって、レコード会社のバンダイさんとベスト盤をリリースすべく私があれこれ詰めていた時のこと。
原盤保有者のグレープヴァインレーベルはいくらこちらが連絡してもなしのつぶて。ジョンもジョンで適当なことを言いながら私のことを全然助けてくれず、あの交渉は本当に難航したのだった。
その時、思った。アイルランド人は田舎者だからライセンスのことがわからないのだ、と。シンプルに輸出入で説得しないとダメだ、と。
とはいえ苦労のすえにそのバンダイからのCDは無事リリースされ、結構売れたのでした。苦労した私は印税の1%ももらわず(いや、もらったとしても2万円くらいだったに違いないのだが)ただのボランティア。あの時の恨みは根深いよ、ジョン(笑)。
それにしても当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったグレープヴァインのS(こいつは業界から完全に消えた)、そしてP(こいつもアイルランド音楽業界からは消えた。今はハワイ在住で、今でもへんな音楽を私に売り込んでくる!)。最悪の親父トリオだった(爆)。
その後はとにかく輸入ベースで、何度も言うけど私はジョンの事務所からはCDを本当にたくさん買ったしたくさん送金もした。
とはいえ普段の窓口は、ジョンではなく、だいたいは彼の娘、次女のハンナが私の相手をしてくれていた。ハンナはジョンよりもずっと仕事が出来る子で、彼女には本当にお世話になった。
懐かしいよなぁ。
何はともあれ、ジョンは一緒にいて最高に楽しい人であったことは確かで、いつもギャハギャハ笑わせてくれたし、非常にチャーミングな人でもあった。ジョン、二人でテンプルバーで食べたバッファローウイングが忘れられないよ。あれは本当に美味かった。店の名前忘れたけど。
特にシャロンの最後から2番目のツアーでは、持ち前のわがままな要求をされることもなく、あまりにジョンがおとなしく温厚で何も言ってこなかったから、私はすっかり拍子抜けしたほどだった。みんな大人になったのかな(笑)
(いっぽう、最後の2018年のケルクリのツアーには、私は病気でほとんど参加できなかった。あれ? あれは2019年だったか?)
しかしジョンがいなくなるなんて、シャロンにとってはとても大きなことだ。彼女はジョンがいなくなったことを理由に音楽活動やめちゃうんじゃないか?と心配にさえなる。
このアルバム、本当にたくさん売れたよなぁ。4、5000枚くらい行ったかも。ジョンのオフィスにも本当にお世話になった。いい時代だった。いや、もちろん精一杯仕事してきたのだから、後悔はまったくないのだけど…
ところでこんなの見つけちゃった! ヨーヨー・マの「Mouth of Tobique」楽しい!!