元プランクトン、元トムズ・キャビン、元ヒルストーンの石坂元さんが亡くなりました。わたしもまだ詳細は知りません。詳しく状況を知っている人、ぜひご連絡ください。
ただ闘病されていたのは知っていたんだけど、こちらから連絡を取ることをしなかった。だって、きっと大丈夫、また会えると信じてたから。
それに私は生還しちゃったから、闘病している人に会って、妙に自分の武勇伝語っちゃうのもなぁと思っていた。いや、違うな。なんなんだろう。照れ臭かったのかもしれない。
それにしても石坂くんとは、たくさんツアーをした。でも写真を探してみたら、意外と一緒の写真は少なかった。というか、fbが始まる前の私の写真はすべてどっかに行っちゃてるからなぁ。どっかさがせば、たくさん出てくるかもしれない。
それにしてもツアーで、一緒に多くの時間を過ごしたよね。正直、石坂くんの仕事のやり方にはまったく同意できないところもたくさんあったし、わたしとは仕事のスタイルがだいぶ違っていた。
たぶん石坂くんは私をスクエアすぎる年寄りと思ってたかもしれないけれど、私はその場にいるだけで優しい空気を作れる石坂くんのことをとても尊敬していたのでした。っていうか、そういうのこそ、生まれ持ったもので、努力ではどうにもならない。そんな才能を持った奴でした。
実際、あなた以上にこの仕事向いている奴はいなかったと思うよ、石坂くん!!!
まったくもぉ! 先輩より先に逝くんじゃないよ。
でも、いったいいくつだったんだろう。下手すると50になってないんじゃないかな。
とにかくまだ全然若かったし、お子さんもいるから、きっと一番怒っているのは石坂くんだよね。ごめんよ。それにしても… もう一度会いたかったよなぁ。
スペインと日本を行ったり来たりで闘病生活大変だったと思う。だから、今はゆっくり休んでね。R.I.P.
はぁ… つらい。
今日はとあるお誘いでプラハのオーケストラを聞きに出かけたのだけど、1部がドヴォルザークのチェロの協奏曲で、チェロの佐藤晴真さんがアンコールで「鳥の歌」(カザルス)を弾いたのがグッときた。
石坂くんは、バルセロナに半分住んでいた。カザルスのカタルーニャ!! カタルーニャの心の叫びだ。泣けた。鳥は飛び立つ。石坂くんも旅立った。
最後の写真はこの動画の撮影の時のもの。恵比寿にて。
一緒に過ごした時間は宝物。
PS
石坂くん追悼大会
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