「でもそれはもう最悪のタイミングだった。ちょうど結婚したばかりで子供は幼く、まだ家を買ったばかりでローンが残っていたし…そんな中で僕は“よし、仕事をやめよう”と思ったのさ。家に子供がいて不可能だったから別に部屋を借りて曲を作った。それが“ハード・ステーション”になった」
まさにCrazy Dreams! 96年のLater with Joolsから。はぁ〜♥ かっこいい!
もっともこのアルバムのヒットは確定されていた。Crazy Dreamsが先行シングルになってすでに1位になったりしていたからだ。発売前に充分アイルランド国内をエレクトリック・バンドを従えてツアーもしていた。ポールはウインドミル・レーン・スタジオにヒュー・マーフィをプロデューサーに迎え(やっぱりジェリー・ラファティーを意識してるよね)このアルバムを制作。アルバムは熱狂的にアイルランドの市場に受け入れられる。
本当にこのアルバムは大傑作だ。今でもポールの代表作といわれる作品がたくさん並んでいる。タイトル曲なんて、ホント大好き!
でも実は私が好きなのはこういう静かめの曲だったりもする。本当にいい。なんていうか、すべてがいいんだ、このアルバムは!
“Dancer in the fire”が大好きで、以前リクエストにしたのはここにも書いたことがあるけど、音源が見つけられなかった。まぁ、皆さんCDを手に入れて、ぜひ聞いてください! ポールは日本に来たあと大きなUKツアーをやるのだけど、そのタイトルは“Dancer in the fire”ツアーらしい。うふふ。ポールもこの曲の良さにやっと気づいたか?! 確かこの曲はモデルがいるって聞いたことがある。資料をさぐったけど、どうしても見つけられなかった。
これなんかも…うっとり…先日ウチのFacebook Pageでポールのリクエスト大会をやったら、この曲が1位だった。ちょっと意外。トラッドものが来ると思ったから。お客さん本当に分かってる!
そして、もちろんこの映像も大好き。かっちょいーーーーーーーーーーーーーーーー! やっぱりポールはソロがいい。バンドもいいんだけど、なんかポール以外の音を聴きたくないんだよな。ホントにホントに、ホントにかっこいい。
もちろん“Welcome Here Kind Stranger”は世紀の大傑作だが、私はどっちかしか無人島にもっていけないと言われたら、こっちのアルバムを持っていくな…。
そしてこのアルバムがどうやらポールをマック・ノップラーやらそのヘンの人脈につなぐこととなったようだ。再びRTEのインタビューより。
「この作品を聞いたマーク・ノップラーがものすごく気にいってくれてね。当時ダイアーストレイツは一番大きなバンドだった。そして自分のマネジメントに僕をマネージするように、とまで言ってくれたんだよね。そしてこれが僕をアイルランドから外の世界へ連れ出してくれるきっかけになった。今でもとても感謝している。そして他の人たちに作品を取り上げてもらえるきっかけとなった。ちょうどティナの復活のあとのアルバムを彼がプロデュースしたんだよね。そのときに曲は何かないかと聞かれて、作品を取り上げてもらえた」
「ちょうどこのころエリック・クラプトンにも出会った。82年くらいかな。きっかけは、彼のバンドのアルバート・リーがアイルランド音楽が大好きな人でね。その人がクラプトンに僕の音楽を紹介してくれたんだ。彼がダブリンで公演をやる時に、オープニングをやらないかと誘われた。会場はスタジアムだった」
「でも僕はちょうどその前の年に自分のヘッドライナーでスタジアム公演を実現させていたので、うーん、前座かぁ!と思ったんだよ。でも、まぁよく考えろよ、ポール。あのクラプトンが言ってきてくれてんだぞ…って事で、その話を引き受けたんだ。3日間、前座をやった。彼とマネジメントは当時、キルデアにお城を所有してたんだけど、公演が終わるとそこにみんなを呼んでくれてね。そこで今度ヨーロッパを40日間ツアーをするんだけど、一緒にまわらないか、と言われたのさ。前座をやることで(open stage)、自分のキャリアにおいて素晴らしいきっかけ(open world)を掴んだのさ」
「僕のキャリアにおいて、たくさんのことがオファーされ、僕が受けるかどうか戸惑うこともたくさんあった。でも実際やってみると、いろんな扉がひらいてね。それはまるで魔法みたいな感じだったと言えるだろう」