もうすぐ上陸、リサ・ハニガン! 2


「カレッジに行って最初の日にダミアンに会ったわ。最初に新入生歓迎ウィークに」「パブで言葉を交わした。彼については何も知らなかったんだけど、そのうちに“この歌を歌う女性シンガーが必要なんだ”と呼ばれてCelbridgeにある彼の家へ行った。どうやってレコーディングするのかもよく知らなかった。でもすっごく楽しくて、彼がどんどん歌のパートやギターを弾く場所を与えていってくれたの」

「最初の公演はダブリンのウィーランズだった。一緒に歌いはじめて1ケ月くらいのころだった。もう最高に緊張していた。私はデニムのスカートをはいていったんだけど、ベルトをしてそこに親指をいれてリラックスするふりをしていた。でも本当にすごく緊張した。まるで最初のデートみたいに」

そうこうしているうちに名作「O」の制作に突入し、リサはカレッジを中退することになる。

「カレッジは2年しか行かなかった。続けていくことはできなかった。アルバムの制作にすべてをついやし、それは2年かかった」

「ダミアンのことを一晩の成功ととらえる人は多いけど、そんなことはなかった。ちょうどタイミングよくフレイムスの前座をやることになって、あれが効果があったのだと思う。そのあとアメリカや他の国にもツアーし、世界的な成功となったのだけど、私はダミアンのバック歌手としていろんなものを目撃した。ツアー、テレビショー、フェスティバル、そして人々の注目。私はダミアンのバック歌手として見られていたし、実際そうだった」

「自分一人でやってみたいという気持ちはあったけど、まだ若かったし。私は自分をソングライターというよりシンガーとして自分を見ている。ギターもひけないしピアノも弾けないし、ソングライティングに関しては自信がなかった。私はどちらかというとシンガーだと思う。曲も書けるシンガー」

「ダミアンとツアーしているときにはじめて曲を書いた。最初のラインはいつも簡単に出てくる。でも、それをちゃんとまとめて歌にしたのは、結局ダミアンと分かれた後だった。2007年3月、6年のダミアンとのパートナーシップの解消とともに、曲をちゃんとまとめてバンドを作ろう、と思った」

「そして『Sea Sew』を自分のレーベルから発売した。こんな明るいアルバムになると持ってなかった人が多いみたいね(笑)ダミアンのバイブはいつも暗いものだったから。でもこのアルバムは幸せで元気のでるアルバムよ」

そしてリサは完全に注目のまとになる。「フロントにたつようになって、ダミアンがどんなプレッシャーの下にいたのかが理解できるようになった。前にたつようになったら自分の責任だもの。私は自分でマイクに向かってしゃべるということが出来なかったの。バンドに向かって“はい、誰かしゃべって〜”って最初は言ってた。最近になってやっと上手くしゃべれるようになったのよ」

リサの曲はアイルランドで大ヒットとなる。シングルはラジオでたくさんオンエアーされるようになり、ホットプレス誌の読者投票で1位を獲得。(このヘンは私もリアルタイムで覚えてますよー)2009年には英国のもっとも権威あるアワード、マーキュリーアワードにノミネート。とにかくものすごい成功となる。

「トランペットを使ったりする。変わった楽器を使うのが好きなのよね。シェイカーとか、ハーモニウムも。なんといっても私はギターが上手じゃない。ハーモニウムなら一つの手でなんとかなるでしょ。これがぴったりあっているの。これで私の人見知りが隠せるわ(笑)」

と、どこまでも謙虚なリサですが、その後、ジェイソン・ムラーズの北米ツアーのオープニングを担当。過酷なツアーでしたが、これが成功し2009年にアルバムはAOTにライセンスされることになります。

『Sea Sew』のアートワークはすべて彼女と彼女のお母さんの手縫いなのだそうです。可愛いですよね〜。



リサ・ハニガン&ジョー・ヘンリーのツアー,詳細はこちら! そしてバックでやってくるジョン・スミスの単独公演はこちら。リサも遊びに来てくれるかな〜?