いや〜、しかし終ってみれば、結構大変だったフランス祭。本当にご来場くださった皆さん、協力くださった皆さん、スタッフのみんな、ありがとうございました。おかげさまで大盛況のうちに幕を閉じることができました。ありがとうございました。
しかし今まではこういったコンサートだけではない同時多発イベントみたいな文化祭イベントを、「招聘もの」の1週間くらいのツアーの中で外国から来たミュージシャンとやっていたと思うと、まったくもって信じられない。これ1日だけやるのだって超大変なのに!
北とぴあさんとこの企画を計画したのが、だいたい1年3ケ月くらい前の話。2012年の「フィンランド祭」、そして昨年の「ケルト祭」が毎回好評で、また企画書出さなくちゃ、みたいな状態になっていたんです。ところが、招聘されたアーティストでやるとなると、もう疲れ方がハンパじゃない… というか、この公演1本だけで呼ぶ予算はまったく出ないので、ちゃんと全体のツアーを作らないといけない。そんなのもうこの老体には無理!
…なんて思ってたら、朝日新聞にのったこんな記事から「ケルト」の次は「フランス」はどうだという話になったのでした。
そこで思わずパトリックのことが頭をよぎりました。パトリックは浦安在住。そもそも英国志向の私はフランスは得意な国ではなかった。でも私とパトリックとはもう長い付き合いだし、特にマネージャーである奥さまの宮崎さんとは大の仲良しなのだった。パトリックなら、いろいろ協力してくれるに違いない、と。
「もう来日ものでこれを続けるのは無理だ。パトリックに頼もう。パトリックなら北区のお客さんが喜んでくれるスタンダードをたくさん歌えるだろうし…」と。そしてすぐにこれをパトリックと宮崎さんに相談し、今回の実現にいたったわけです。
それにしても直前になって中西俊博さんの出演が決まったり、シャンソン教室にはドミニク・シャニョン先生来ちゃうし、もうパトリックの東京/フランス人脈の凄さにはビックリ。いや〜、本当にすごい。コンサートも本当に良かった。なんかパトリックがMCで話す、フランチ・ポップスまめ知識みたいな話がいいんですよね。
例えば「マイ・ウェイ」は本当はフランスの曲で、みんなアメリカの曲だと思っているけど、クロード・フランソワって人が書いたんだ、とか。ポール・アンカが英語の歌詞をシナトラの復活にかけて、まったくフランス語の原曲とはべつに書いてしまったので、みんなポジティブな歌だと思っているけど、本当は違う。「朝起きると、奥さんはまだ寝てて起きてこない、いつものように」みたいな曲なんだよ、と言う解説に会場大爆笑。それにしてもパトリック、日本在住20年以上たっても日本語があまり上達していないのが、いい!(笑)
あと「サントワ・マミー」は越路吹雪さん独自のヒットだという話。アダモが学生時代に書いた曲だったそうでフランスではほんとど知っている人はいない。でもアダモは日本に来ると必ず歌う日本では非常によく知られた曲。それは越路吹雪さんによるところが大きい。フランス人は越路さんに感謝しないといけない。越路さんはフランスの音楽の大変なプロモーターだった。というのも、日本ではシャンソンのカバーのヒットが出ても、あまり「この曲はフランスの曲です」って、きちんと紹介してくれる人がいなかった(例:ミスター・サマータイムとか)。なのに越路吹雪さんはいつもきちんと紹介してくれていた、と。なるほど。
そして今回もカフェ&マルシェでは、いろんな業者の人にお世話になりました。実際、こういうイベントって、売れるかどうかの保障はないんですよ。それでも皆さん、実店舗を閉めたりバイトを確保したりして出展してくれる。そしてポジティブな気持ちでイベントにあたってくれる。ホントに感謝です。こういう皆さんによって、こういうコンサートはなりたっている。特にカフェ部門とパン部門で北区の皆さんにお世話になれたのは、ホントに良かった。なんとかこの企画が地元を巻き込みながら続いていけばなぁ、とホントに思います。
コンサートの前の週にやった料理教室もシャンソン教室もすごく良かったね〜。感動的なのは、なんとシャンソン教室に参加したお客さんの何人かがコンサートの最後にステージにあがって「オー・シャンゼリゼ」をパトリックと一緒に歌ってくれたこと。
これ実は突発的に思いついたんです。前の週のシャンソン教室で、講座の終わりの方でパトリックが生徒さんたちの何人かを教室の前に出して代表でマイクを持たせて歌わせた。「歌いたい人はいませんか〜」って。シャイな(笑)私は心の中で「えーーーっ、そんなのあり?」と思った。私だったら結構ビビちゃって,絶対にそういうのには参加できないんだけど、この時、何人かが積極的に前に出て、フランス語でちゃんと歌ってくれたんですよね。これには結構びっくり。これは、すごい。みんな、やるなぁ。これだったら、コンサート当日もお客さん、ステージに呼んじゃったらどうかしら。
というわけで、まずは宮崎さんに相談したら「パトリックは、そういうの好きだと思う」とのこと。そこでエンジニアの小林さんにも確認「僕は大丈夫ですよ」と。ホールの担当の方にも確認「いいですね、是非」と…。うん、やった。こういうの結構難しいんです。スタッフにへそまげられちゃったらアウトですから。実際ホールのレギュレーションがきつくてNGな小屋はあるんです。で、開演直前、パトリックと宮崎さんにステージの袖で伝えました。「もしやりたかったら許可は取れているから」と。
そんなわけで、アンコールで最後の曲になった時、ステージからパトリックがお客さんに声をかけたら、多少時間はかかったものの、なんとけっこうな人数の人がステージにあがってくれた。足の悪いおばあちゃんも上がって来た時には、とっても感動した。そして、皆さん、ちゃんと先週使った歌詞カードもちゃんと持ってきてたのが笑えた。すごいなぁ! 皆さん、実はやる気満々だったんじゃないか? いや、ホントすばらしい。
コンサートや音楽の楽しさは、音楽マニアだけのものじゃない、ってのをパトリックと宮崎さんと北区のお客さんに学びましたね。いや〜いい公演だったなぁ。
そして…今回も小人数体制/低ギャランティで手伝ってくれたメイン・スタッフの2人に感謝。あとボランティアしてくれた友人にも… 北区文化振興財団のMさんにも本当にお世話になりました。前の担当のI川さんがのぞきに来てくれたのは嬉しかったなー。
いやはや皆さんの協力なくしては、こういう複雑で同時多発的な企画は実現出来ませんわ。これ代理店がしきったら300万とか取るんだろうなぁ(と空に向って言ってみる/笑)。
というわけで無事終了いたしました、北とぴあフランス祭。これで実はTHE MUSIC PLANT、年内の主催公演はありません。一番近々で完全に確定しているのは来年の5月。1月のイスモ・アランコはあくまでお手伝いですしね。で、招聘ものは来年の10月までない予定。当分は人の公演の手伝いをしたり、あれこれ企画を練る時間をいただきます。とはいえ先日も某所からメールが来て、年内にもしかすると1本来日が決まっちゃいそうな案件もあるので、あまり悠長に構えていられないんですけどね…。果たしてどうなることやら…。
それにしても疲れた! とりあえず再来年に向けて企画書、頑張ろう〜っっ。皆さん、ありがとうございました。
北とぴあ企画、来年はインドで計画されています。誰が出るかは…お楽しみに!
しかし今まではこういったコンサートだけではない同時多発イベントみたいな文化祭イベントを、「招聘もの」の1週間くらいのツアーの中で外国から来たミュージシャンとやっていたと思うと、まったくもって信じられない。これ1日だけやるのだって超大変なのに!
北とぴあさんとこの企画を計画したのが、だいたい1年3ケ月くらい前の話。2012年の「フィンランド祭」、そして昨年の「ケルト祭」が毎回好評で、また企画書出さなくちゃ、みたいな状態になっていたんです。ところが、招聘されたアーティストでやるとなると、もう疲れ方がハンパじゃない… というか、この公演1本だけで呼ぶ予算はまったく出ないので、ちゃんと全体のツアーを作らないといけない。そんなのもうこの老体には無理!
…なんて思ってたら、朝日新聞にのったこんな記事から「ケルト」の次は「フランス」はどうだという話になったのでした。
そこで思わずパトリックのことが頭をよぎりました。パトリックは浦安在住。そもそも英国志向の私はフランスは得意な国ではなかった。でも私とパトリックとはもう長い付き合いだし、特にマネージャーである奥さまの宮崎さんとは大の仲良しなのだった。パトリックなら、いろいろ協力してくれるに違いない、と。
「もう来日ものでこれを続けるのは無理だ。パトリックに頼もう。パトリックなら北区のお客さんが喜んでくれるスタンダードをたくさん歌えるだろうし…」と。そしてすぐにこれをパトリックと宮崎さんに相談し、今回の実現にいたったわけです。
それにしても直前になって中西俊博さんの出演が決まったり、シャンソン教室にはドミニク・シャニョン先生来ちゃうし、もうパトリックの東京/フランス人脈の凄さにはビックリ。いや〜、本当にすごい。コンサートも本当に良かった。なんかパトリックがMCで話す、フランチ・ポップスまめ知識みたいな話がいいんですよね。
例えば「マイ・ウェイ」は本当はフランスの曲で、みんなアメリカの曲だと思っているけど、クロード・フランソワって人が書いたんだ、とか。ポール・アンカが英語の歌詞をシナトラの復活にかけて、まったくフランス語の原曲とはべつに書いてしまったので、みんなポジティブな歌だと思っているけど、本当は違う。「朝起きると、奥さんはまだ寝てて起きてこない、いつものように」みたいな曲なんだよ、と言う解説に会場大爆笑。それにしてもパトリック、日本在住20年以上たっても日本語があまり上達していないのが、いい!(笑)
あと「サントワ・マミー」は越路吹雪さん独自のヒットだという話。アダモが学生時代に書いた曲だったそうでフランスではほんとど知っている人はいない。でもアダモは日本に来ると必ず歌う日本では非常によく知られた曲。それは越路吹雪さんによるところが大きい。フランス人は越路さんに感謝しないといけない。越路さんはフランスの音楽の大変なプロモーターだった。というのも、日本ではシャンソンのカバーのヒットが出ても、あまり「この曲はフランスの曲です」って、きちんと紹介してくれる人がいなかった(例:ミスター・サマータイムとか)。なのに越路吹雪さんはいつもきちんと紹介してくれていた、と。なるほど。
そして今回もカフェ&マルシェでは、いろんな業者の人にお世話になりました。実際、こういうイベントって、売れるかどうかの保障はないんですよ。それでも皆さん、実店舗を閉めたりバイトを確保したりして出展してくれる。そしてポジティブな気持ちでイベントにあたってくれる。ホントに感謝です。こういう皆さんによって、こういうコンサートはなりたっている。特にカフェ部門とパン部門で北区の皆さんにお世話になれたのは、ホントに良かった。なんとかこの企画が地元を巻き込みながら続いていけばなぁ、とホントに思います。
コンサートの前の週にやった料理教室もシャンソン教室もすごく良かったね〜。感動的なのは、なんとシャンソン教室に参加したお客さんの何人かがコンサートの最後にステージにあがって「オー・シャンゼリゼ」をパトリックと一緒に歌ってくれたこと。
これ実は突発的に思いついたんです。前の週のシャンソン教室で、講座の終わりの方でパトリックが生徒さんたちの何人かを教室の前に出して代表でマイクを持たせて歌わせた。「歌いたい人はいませんか〜」って。シャイな(笑)私は心の中で「えーーーっ、そんなのあり?」と思った。私だったら結構ビビちゃって,絶対にそういうのには参加できないんだけど、この時、何人かが積極的に前に出て、フランス語でちゃんと歌ってくれたんですよね。これには結構びっくり。これは、すごい。みんな、やるなぁ。これだったら、コンサート当日もお客さん、ステージに呼んじゃったらどうかしら。
というわけで、まずは宮崎さんに相談したら「パトリックは、そういうの好きだと思う」とのこと。そこでエンジニアの小林さんにも確認「僕は大丈夫ですよ」と。ホールの担当の方にも確認「いいですね、是非」と…。うん、やった。こういうの結構難しいんです。スタッフにへそまげられちゃったらアウトですから。実際ホールのレギュレーションがきつくてNGな小屋はあるんです。で、開演直前、パトリックと宮崎さんにステージの袖で伝えました。「もしやりたかったら許可は取れているから」と。
そんなわけで、アンコールで最後の曲になった時、ステージからパトリックがお客さんに声をかけたら、多少時間はかかったものの、なんとけっこうな人数の人がステージにあがってくれた。足の悪いおばあちゃんも上がって来た時には、とっても感動した。そして、皆さん、ちゃんと先週使った歌詞カードもちゃんと持ってきてたのが笑えた。すごいなぁ! 皆さん、実はやる気満々だったんじゃないか? いや、ホントすばらしい。
コンサートや音楽の楽しさは、音楽マニアだけのものじゃない、ってのをパトリックと宮崎さんと北区のお客さんに学びましたね。いや〜いい公演だったなぁ。
そして…今回も小人数体制/低ギャランティで手伝ってくれたメイン・スタッフの2人に感謝。あとボランティアしてくれた友人にも… 北区文化振興財団のMさんにも本当にお世話になりました。前の担当のI川さんがのぞきに来てくれたのは嬉しかったなー。
いやはや皆さんの協力なくしては、こういう複雑で同時多発的な企画は実現出来ませんわ。これ代理店がしきったら300万とか取るんだろうなぁ(と空に向って言ってみる/笑)。
というわけで無事終了いたしました、北とぴあフランス祭。これで実はTHE MUSIC PLANT、年内の主催公演はありません。一番近々で完全に確定しているのは来年の5月。1月のイスモ・アランコはあくまでお手伝いですしね。で、招聘ものは来年の10月までない予定。当分は人の公演の手伝いをしたり、あれこれ企画を練る時間をいただきます。とはいえ先日も某所からメールが来て、年内にもしかすると1本来日が決まっちゃいそうな案件もあるので、あまり悠長に構えていられないんですけどね…。果たしてどうなることやら…。
それにしても疲れた! とりあえず再来年に向けて企画書、頑張ろう〜っっ。皆さん、ありがとうございました。
北とぴあ企画、来年はインドで計画されています。誰が出るかは…お楽しみに!