ちょっと前にこんなブログを書いていたのだが、今までアップせずにいたら、似たような記事を素晴らしい文章で書いてる記事を発見したので、紹介します。
で、以下が、ちょっと前に、私が書いてアップしてなかったブログ(笑)
小室哲哉さん引退かぁ… こういう華やかな人というのは、華やかだった時は「けっ」と思うのだが、引退されると、なんだかものすごくガックリくる。
音楽業界とはつくづくこういう人たちが回していたのだなと思う。いくら文化度が高いとか見栄をきったところでウチみたいな小さな事務所が音楽業界全体に貢献してる量なんて、たかが知れてる。ウチみたいな音楽にかかわってくれていることで食べてけてる人は私以外は誰1人としていやしない。みんな何かしらメジャーな仕事をこなしつつ、余力でウチみたいな小さな音楽を応援してくれているだけなのだ。小室さんみたいな人たちが音楽業界という大車輪を回し、媒体に広告を打ったりしてくれるから、その媒体さんが発行され、そしてその片隅にちょこんと私たちのものも載せてもらえる。小室さんみたいな人たちのCDが売れて駅前の一等地の家賃をカバーしてもらえるから、私たちのCDもちょこんと置いてもらえる。音楽業界というのは、そういう所なのだ。こういう人たちが、あんな風にボロボロになって引退していく姿を見るにつけ、私たちの失意は計り知れない。
彼の音楽を良いと思ったことは一度もないのだが(とか言うと、今や現場で一番頑張っている30〜40代の皆さんに超ひんしゅくをかいそうだが、本当だからしょうがない。ごめんなさい)でも、多くの人に彼が「才能ある」と評価されていたのは知っている。彼のスキャンダル後だったか、ドミューンだったっけ、それこそ流血しながら延々キーボードを弾いている小室さんの姿を見て、そんな私でも「あぁ,この人は本当に音楽が好きなのだな」と思ったものだ。一度だけ生で接したことがあるのだが、その時は「なんかオドオドして変な人だな…」と思った。それはあのスキャンダルの後のずいぶん最近の話だ。記者会見で見る彼の印象と変わらなかった。
小室さんみたいな、なんというか明暗がくっきりしている人たちはそして同時に、好きな音楽だけしていられるという、私たちの貧乏ながらもささやかな優越感を満たしてくれる存在でもあった。(あくまでめげない勘違い勝ち組のオレ…/笑)でも、よく知らないのに何か言ったりするのは恰好悪いので黙っていようかと思ったけど、今の自分の気持ちを整理しておきたくて書いておくことにする。
今回のことで、いろんな人がいろんなことを考えたと思う。多くの人が文春を批判しているが、文春は単に文春の仕事とその役割を果たしているだけだ。そしてDマガジンやワイドショーが週刊誌のネタを買うという、そっちにビジネスモデルが意向していく業界の流れというのもある。彼らはそれが仕事なのだ。下世話な仕事をすることが。そしてたまに政治スキャンダルなどかっこいいネタも提供してくれる事もある。そういう存在なのだ、文春は。
だから読者はDマガジンのクリック数が文春を潤しているという事実を知るべきだ。知らないからといって、それに加担したら知らない間に自分もそういう「悪いこと」を応援している結果になる。
ここで一番良くないのは、自分に取材する筋肉がないのに、日和見主義であっちへふらふら、こっちへふらふらというテレビ媒体や大手媒体だ。こういう人たちは、いったいどういう意志を持ってメディアを運営しているんだろうか。プライドも何もあったもんじゃない。
…みたいなことを書いていたのだが、こちらの記事が圧倒的に分りやすいので、読んでみてください(笑)
しかし世の中、変わらないものかね。文春なんて、オレが若い頃はおっさんが読む本…もしくは「オレはそのへんのおっさん以上に働いてます」アピールに働きマン女子が読むものだった。こっそり電車の中で読んでたのにね…。で、家に帰る頃にはゴミ箱行き。そういう雑誌だった。それがこんな風にメディアの中心に存在するようになるのでは、なんか筋が違っている。というか、人間いうのは、そもそもそういう下世話なものなんだなというのを浮き彫りにしてしまったのだろう。文春とかいって、ほんとはコソコソ読むものなのだ。
「怒るのは当事者(家族やCMスポンサーなど)だけでいい」「公に出てきて釈明しない人はたくさんいる。加計孝太郎氏や安倍昭恵氏など」「なぜ超・公人の佐川国税庁長官は就任会見をしないのか。大竹まこと氏の会見はそこまで考えて行ったのでは?」超共感。https://t.co/96U9prOBpm— 野崎洋子 (@mplantyoko) 2018年2月6日
で、以下が、ちょっと前に、私が書いてアップしてなかったブログ(笑)
小室哲哉さん引退かぁ… こういう華やかな人というのは、華やかだった時は「けっ」と思うのだが、引退されると、なんだかものすごくガックリくる。
音楽業界とはつくづくこういう人たちが回していたのだなと思う。いくら文化度が高いとか見栄をきったところでウチみたいな小さな事務所が音楽業界全体に貢献してる量なんて、たかが知れてる。ウチみたいな音楽にかかわってくれていることで食べてけてる人は私以外は誰1人としていやしない。みんな何かしらメジャーな仕事をこなしつつ、余力でウチみたいな小さな音楽を応援してくれているだけなのだ。小室さんみたいな人たちが音楽業界という大車輪を回し、媒体に広告を打ったりしてくれるから、その媒体さんが発行され、そしてその片隅にちょこんと私たちのものも載せてもらえる。小室さんみたいな人たちのCDが売れて駅前の一等地の家賃をカバーしてもらえるから、私たちのCDもちょこんと置いてもらえる。音楽業界というのは、そういう所なのだ。こういう人たちが、あんな風にボロボロになって引退していく姿を見るにつけ、私たちの失意は計り知れない。
彼の音楽を良いと思ったことは一度もないのだが(とか言うと、今や現場で一番頑張っている30〜40代の皆さんに超ひんしゅくをかいそうだが、本当だからしょうがない。ごめんなさい)でも、多くの人に彼が「才能ある」と評価されていたのは知っている。彼のスキャンダル後だったか、ドミューンだったっけ、それこそ流血しながら延々キーボードを弾いている小室さんの姿を見て、そんな私でも「あぁ,この人は本当に音楽が好きなのだな」と思ったものだ。一度だけ生で接したことがあるのだが、その時は「なんかオドオドして変な人だな…」と思った。それはあのスキャンダルの後のずいぶん最近の話だ。記者会見で見る彼の印象と変わらなかった。
小室さんみたいな、なんというか明暗がくっきりしている人たちはそして同時に、好きな音楽だけしていられるという、私たちの貧乏ながらもささやかな優越感を満たしてくれる存在でもあった。(あくまでめげない勘違い勝ち組のオレ…/笑)でも、よく知らないのに何か言ったりするのは恰好悪いので黙っていようかと思ったけど、今の自分の気持ちを整理しておきたくて書いておくことにする。
今回のことで、いろんな人がいろんなことを考えたと思う。多くの人が文春を批判しているが、文春は単に文春の仕事とその役割を果たしているだけだ。そしてDマガジンやワイドショーが週刊誌のネタを買うという、そっちにビジネスモデルが意向していく業界の流れというのもある。彼らはそれが仕事なのだ。下世話な仕事をすることが。そしてたまに政治スキャンダルなどかっこいいネタも提供してくれる事もある。そういう存在なのだ、文春は。
だから読者はDマガジンのクリック数が文春を潤しているという事実を知るべきだ。知らないからといって、それに加担したら知らない間に自分もそういう「悪いこと」を応援している結果になる。
ここで一番良くないのは、自分に取材する筋肉がないのに、日和見主義であっちへふらふら、こっちへふらふらというテレビ媒体や大手媒体だ。こういう人たちは、いったいどういう意志を持ってメディアを運営しているんだろうか。プライドも何もあったもんじゃない。
…みたいなことを書いていたのだが、こちらの記事が圧倒的に分りやすいので、読んでみてください(笑)
しかし世の中、変わらないものかね。文春なんて、オレが若い頃はおっさんが読む本…もしくは「オレはそのへんのおっさん以上に働いてます」アピールに働きマン女子が読むものだった。こっそり電車の中で読んでたのにね…。で、家に帰る頃にはゴミ箱行き。そういう雑誌だった。それがこんな風にメディアの中心に存在するようになるのでは、なんか筋が違っている。というか、人間いうのは、そもそもそういう下世話なものなんだなというのを浮き彫りにしてしまったのだろう。文春とかいって、ほんとはコソコソ読むものなのだ。