「マーケットは作っていかなくちゃ」若者に怒られる編

この前、こんなブログを書いたのだが、「マーケットは作っていかなくちゃ」と若者に言われた時、わたしたちはドキッとする。というのも音楽業界、わたしたちの世代がさぼってきたツケを今、同じ業界で働く若いものたちが払わされているということをわたしたちが強く自覚しているからだ。

グレタさんの件も同じだ。今、すごく話題になっているようだけど、環境問題なんてまさに大人がさぼってきた分のツケを子供が負わされている。

クーリエジャポンに「グレタみたいな言い方をしても世界は動かないよ」みたいな記事が載っていたらしいけど(すみません、有料記事ですべてを読んではいません)わたし自身はといえば、とにかくこういう写真をゴミ箱のそばに貼ってる。少なくとも私にたいしては彼女の強烈なスピーチは効果があったと思う。


確かに褒められて変われるタイプの人もいるかもしれない。おだてられて動く人もいるかもしれない。でも地球の疲弊化がさけばれて、もう何年もたつが何も変わっちゃいないのは、これまでの生温いやり方がすべて間違っているからなのだ。ここでグレタさんに怒られても、わたしたちは何も言えない。すみません、サボってました、としか…。

是枝監督の描く子供たちもそうだ。映画の中の子供たちは自然体で、しかもこちらに冷ややかな目を向けてくる。わたしたちは思う。すみません、サボってました、と。

世界にはいろんな意見が必要だ。怒る人となだめる人、あらゆるやり方があっていいと思う。そしておそらくそれらを吹っ飛ばし、有無を言わさず変革を遂げさせる圧倒的な効果があるのは、おそらく経済の力だということもわたしたちは暗に知っている。今、環境問題は先にやった方がお金かかっちゃって負けみたいなことになっているけれど、おそらく… おそらく頭のいい誰ががすごいアイディアと研究のもと、すごいやり方を発見して、すべてをひっくり返してくれるんじゃないか、と。それを願うしかないようにも思える。

…とか言ってる時点で甘いよね。それこそグレタさんに怒られちゃう。自分は自分の出来ることをやっていかねばならない、と彼女の写真を見ると思う。昨日頼んだCoco壱のデリバリーカレーのプラスティック容器を捨てながら、ごめんよ、と思う。本当になんとかしないと。はぁ、全然なおってないな、わたしも。

日本のメディアが彼女を「グレタさん」って「さん付け」で呼ぶ感じがすごくいい。これからもメディアは彼女をたくさん取り上げてほしい。

PS
そうそう、ケルト市の時「地球環境に優しく。エコバックの利用にご協力ください」とか書いて、グレタさんのこの写真を貼っておこう!と提案したら、若いもんに「ちょっと言葉がきついですよね」と反対された。なのでやめておいた。でもケルト好きのお客さんならわかってもらえるかな?