『うつ病 九段』コミック版を読みました



「うつ」なぜか知らないけど、ふとしたことから思い立ち、この本の漫画版を買った。Kindleにて。漫画は電子書籍で買うのが、私の習慣なのだ。そしてKindleの中こそ、積読がやばい… 

で、この本。結論から言うと不思議な世界だったが、なんとなく「うつ」というのが理解できたような気になれた。いや、実際は全然理解していないんだろうが… そんなことは幻想なのだろうが。それでもこういう世界を知ることは勉強になる。

散歩が体によいと聞いて、外に出るも、意識をしないと足が動かない。必死で出歩く様子や…

起き上がるのもすごい苦労で、少しずつ少しずつ自分を説得してなんとか起き上がる。
つらすぎる…

それでも少しずつ、少しずつ前進していく。それにしても「うつ」って本当に大変な病気だ。体の機能的な不調より心の不調(もっとも「うつ」は心の病気でないと最近は定義されている)の方がつらいと思う。そして復活するのにも時間がかかる。焦ってはいけないと思いつつ、焦ってしまう。少しずつ、行っては戻り行っては戻りを繰り返しつつ…なのだ。

私も2011年の震災のあと崩れに崩れた部屋をずっと片づけられなかったことがあって、それもあとから思えば「うつ」の症状だったのかなと思ったりしていたのだが、いや、この本を読んだら、「うつ」はそんな軽いもんじゃないなと改めて思い直した。病気で入院していたときも放射線治療は何週間もあって長くて、退屈で、なにも考えないようにしていたんだけど、あの時も、気がつくとずっと一日中ゲームをしてしまったり…。大好きな本もまったく読めなくて、あれも今思えば、軽い「うつ症状」だったのかもしれないとも思っていたが、いやいやそんな甘いもんじゃない。

本当の「うつ」はもっとハードなんだな、とこの本を読んでしきりに思う。本当に治るまでに時間がかかるし、本当にしんどそうだ。でも著者は、ちょっと厳しい、でもしっかり者のお兄さんや奥さんにささえられ、少しずつだが回復の道へ向かっていく。

私にも「うつ持ち」の友人が何人かいるが、とある友達は、アポを土壇場でキャンセルしたことに私がちょっとした嫌味を言ったことをえらく根に持ち、そのことがあってからずいぶんたったあと「鬱っていうのはそもそも起き上がれなくなったりするんだ」みたいなことについて文句を言われた。そのときは、そんなことよく覚えてるよなぁと思ったし、話題もまったく違うところから入り、そこに矛先が行ったので、彼女にとっては、それがもう巨大なイシューとなって「野崎に次に会ったときはこれを言わなくちゃ」くと、ずっと思っていたのだろうということが想像できた。加えて、それはすごく言いにくい、ということも自覚していたのだろう。それを想像すると、今でこそとても気の毒になった。というか、そういうことをずっと覚えていて頭にいれている彼女だからこそ「うつ」になったとも言えるのかも。もっとも当時(20年くらい前)に「うつ」に対して世間が理解があったかというとやっぱり違う。一方で世間はいろいろ厳しい。私もアポ(特に遊びのアポ)をドタキャンするのは相手にとって大変失礼なことであるという信念があった。(ちなみに仕事のアポはペナルティがあるからいい。遊びのアポはペナルティがないから返って守らないといけない、というのは私の持論である)

あと、よく「うつ」の人には「がんばって」と言ってはいけない、と聞くが、この著者によると友達や親しい人が軽く言う分には気にならなかった、という。で、言われて嬉しかったのは「みんな、待ってますよ」って言葉だったらしい。うん、いいね、「待ってますよ!」。

人を慰めよう、励まそうっていうのは、なかなかに難しい。というか、それを実現できると思ったりすること自体が、思い上がりじゃないかとも思う。自分も病気になって改めて分かったのだが、結局は本人の問題でしかない。それ以上悩んでも抱えてもあまり意味がない。

先日も奥様を急になくされた友人とランチしたんだけど、彼がすごく良い料理用の包丁を買ったんだ、と話すのを聞いてものすごく安心した。結局はそういうもんだ。彼の奥さんが急に亡くなって半年。ちょうど会う前に本屋に行ったので、料理の本を買っていってプレゼントしたのでタイミングもよかった。これが「ひとりだと、もう全然料理もしやしない」と落ち込んでいる相手にプレゼントしたとしたら、そういったプレゼントも逆効果だったかもしれない。そんな風に人の力になることは難しい。っていうか、何度も書くけど、そもそも人の力になれるって思うことこそ、思い上がりもはなはだしい。結局人は自分の力ででしか復活できないのかもしれない。

それにしても著者の表現がとても具体的でわかりやすく、「うつ」を擬似体験できる本であることは確かだ。身近に「うつ」で悩んでいる人がいる人は一度読んでみるといいかも。