なつかしいなー このTシャツ。たぶん10年くらい前、震災の時に作ったもの。
しかし長引いてますね、コロナ。音楽業界、大変な状況になっています。私に出来ることは何かを、私もずっと考えてきました。
……いや、それは嘘だな。正直、当初は新型インフルみたいなもんだろと私は甘くみてました。3月には久しぶりにアイルランドに行き、ポール・ブレイディやメアリー・ブラックのコンサートに行こうと張り切っていたのです。でも、それはキャンセルになってしまった。…というか、行くのを自主的にやめたら、結果行こうと思ってた公演はすべてキャンセルとなったので、まぁ、行かなくて良かったというか、そういう結論になったのでした。病気してて、ずっと海外行けてなかったから、すごく楽しみにしてたんだけど…
そして3月25日の都知事の会見から明らかにフェーズが変わった。そして緊急事態宣言。
でも、どんどんこういう状況が広まる中、それでも私は「まぁ、ウチはどうせ夏は公演ないし、ケルト市は秋にやるとして、5月のバルトロメイ・ビットマンの来日は飛んじゃったけど、そもそもあの公演は利益があるんだかないんだかみたいな公演だったから、まぁ、仕方ない」くらいの気持ちでいました。約1年半以上もの間、この1週間スケジュールを押さえていたマティアスとクレメンスには本当に申し訳ないことをしました。でも2国間の移動がNGになったんだから、もうしょうがないですよね。
ウチも痛かったですよ。ケルト市はすぐ延期を決定して、大きな痛手はなかったものの、バルトロメイ・ビットマンについては、今の時点でも戻ってきていない彼らの国際航空券代(チェロ席含め合計35万くらい)、そして無駄になってしまったチラシの印刷代、チケットの印刷代など戻ってきてない経費も多く、もうひたすら痛かった。そしてそのチケットの払い戻しにかかる手数料も。そうそう、チラシのデザイン代というのもあったけど、すでに作業が完了しているデザイナーさんにギャラを払うのは当然だし、このデザインは次回の来日にそのまま転用するから問題ないとして… それでもとにかくすべてが痛かった。
それでも、私は「まぁしかたないかな」と構えていました。ウチみたいな小さな事務所があたふたしても出来ることは、たかがしれてる。なにせ世界中、全ての国の人がこの危機に直面しているんだし、自分だけの問題ではない。そうこうしているうちに、誰か大手に勤務している頭のいい人が良いアイディア出してくれるだろう、とのんびり構えていればいいいや、と思っていました。これは世界をひっくりかえすような大きな出来事で、私個人がバタバタしてもしょうがないのだから…
そして「どこどこがコンサートをやった」「キャンセルした」という話を聞きつけては、そこが会場にどんな対策をほどこしたか、どんな告知文を出したかなどを今後の参考にしようとメモってたりしていたのです。
しかしそんな呑気な私にとっても、空気が大きく変わったのが、ヴェーセンの秋のアメリカ・ツアーがすっ飛んだ時です。
私はね、まぁ、一人だし、給料払わなきゃいけない従業員がいるわけではないから1年や2年くらいは、どうにでもなります。でもヴェーセンには家族がいる。年に2本あるアメリカツアーは彼らの一番重要な収入源。それが飛んでしまった。これは相当にやばい、彼らをなんとか助けなくちゃ。私はいよいよ真剣に考え始めました。これではコロナ禍が終わる前にバンドが終わってしまう、と。
そして私の仕事も、まだ発表前だったツアーすらキャンセルになりだしました。秋に某大手のプロモーターさんと一緒に計画していた大きなツアーが飛んだんです。これは正直痛かった。
このツアー、企画そのものが、ものすごく大きかったので構想3年、準備2年みたいな状況だったんです。アーティストのスケジュールも2年くらい前からがっつり1ケ月分、押さえていた。それがポーンと飛んでしまった。これは痛い。しかも自分はいいんだけど、アーティストにキャンセル料を払うことすらできない。これはかなり申し訳なかった。特にリーダー格のプロデューサーには、ツアーメンバーの選択から交渉、すでにかなり動いてもらっていましたから、彼には本当に悪いことをした、と私も非常に落ち込みました。
そうこうしている中、同業仲間たちはみんなあれこれ確固たる信念のもと、それぞれ動き始めました。みんなすごい。CDのキャンペーンをはったり、配信を企画したり皆すごく頑張っている。みんな頑張っている。偉い。これは、私も指をくわえてみているだけじゃだめだ… と私もいよいよ真剣に考え始めたのです。私も何かやらなくちゃいけない、と。
そしてこんなに時間がかかってしまった。でもやらなくちゃ。やるなら「今」だ。もうボケボケしてられない。
そして考えついたのが、とある企画なんですが、それについて発表前に少しずつ皆さんにそこに考えがいたるまでの過程をお話しできたらと思って、このブログを書いています。
まずね、音楽の、コンサートの意味ってなんだろう、ってのを、すごく考えました。しかもわざわざ海外からミュージシャンを呼んでまでやるコンサートってなんだろう、って。コンサートがもたらしてくれるものってなんだろう、って。
そして、5月11日には、自分のブログで「これからのコンサート事業はこうなっていくかも」と言う文章を書いている。ここ。ここには消毒液を用意する、終演後のサイン会は中止…みたいなことがごちゃごちゃ書いてあります。今、読むと笑っちゃうようなことも。
ところがその4日後には、そういう具体的な対策とか、そういうことを素人の私が専門家に相談もせずぐちゃぐちゃ考えているのはまったく意味がなくて、そうじゃなくて、音楽をシェアする喜びをお客さんと分かち合うにはどうしたらいいのか、まったく新しい方法を、音楽の存在意義から考えていかないと考えを改めたのが、このブログ。 だんだんいつものバカな自分らしくなってきました(笑)
6月には、木村元さんの本を読み、これまた音楽って何か、コンサートという体験って何が特別なのかをすごく考えた。その感想はここ。この本はめっちゃ素晴らしいので、本当に皆さんにおすすめです。少しずつ音楽と、音楽体験っていうのが何ものなのか、自分の中で固まってきました。
そして、その次はこんな記事をだいぶ前ですが、ネット上で発見し、そうか、木村さんの言ってた演者とリスナー、そして音楽との三角形ってこういうことなんだと、ますます理解が深まりました。これが7月11日のこと。
ここ激同!!「オールスタンディングのライブは群衆の中の孤独のような感覚がある。自分の内面にどんどん入って、ステージのアーティストと繋がるような感覚。その感覚こそが音楽の本質で、フェスって野原でみんなが集まってウェーイ!という軽いイメージがあるが、あれは実は「本質ではない」のでは」 https://t.co/EnAGPDk6OP
— 野崎洋子 (@mplantyoko) July 11, 2020
そして私のワイルドな思考は、しかしながらまったく違う方向へと飛躍していくことになったのです。(続きは明日!)