なんかものすごいものを読んだ! 小田実『何でも見てやろう』

 


50年前の大ベストセラーだそうだが、私は今の今まで読んだことがなかった。

何でこの本を読み始めたかというと、ちょっと前に読んだ秋山訓子さんの『女は「政治」に向かないの?』に載っていた、辻元清美さん(61歳)、そして小池百合子さん(69歳)が「影響を受けた一冊」としてあげていたのがこの本だったからだ。まったく性格の違うように見える女性政治家たちが、こぞってあげる一冊。いったいどんなもんだか読んでみたくなった。

結論から言うと、なんかパンチがあるものが読みたくなったらおすすめの一冊。当時、この一冊が若者たちに大きな影響を与え、世界を放浪するバックパッカーをたくさん生み出したのだという。

この本、私ももっと若い時に読みたかったなぁ。そしたら私も「世界を見てやろう」という気になって、もっと旅することに積極的でいられたかもしれない。

若い頃の私は英国に憧れ、英国に行くことしか考えてなかった。どうしたら英国に行けるのか、住めるのかということばかり考えていた。別に他の文化圏に興味があったわけではない。単に英米のポップスが好きで、思いかえせば単なる憧れだ。だから貧乏旅行するまでの気持ちはさらさらなかった。

著者はハーバードに留学のあと二年かけて貧乏旅行で世界を回る。行った国は22ヶ国。とにかく痛快で、最初のアメリカの部分は面白さ楽しさばかりが目をひいたが、それが中東、アジアと続くとどんどん変化していく。とにかく何を語るにしてもするどすぎて、唸らざるを得ない。

何度も書くがもっと若い頃に読みたかったわ…この本。まだこの頃の世界は戦争は終わったばかりで日本は復活のパワーに満ちていたのだろうと思う。

最初に訪れたアメリカにおける日本のZENブームとか、ゲイのカップルの話とか、とにかくうなずくことが多い。アメリカのインテリ族の悲しさとか、人種差別問題とか…

例えば諸外国の日本ブームにはトンチンカンなことも多いけど、たんなるワイワイガヤガヤさと言って片付けてしまえない、と著者は解く。我々の西洋理解も似たようなもんじゃないか、と。

でも100年前の日本には、「そういったものを必要としている条件、そいつを内部に取り入れようとする集団意志のようなものがあった」「そして今のアメリカ社会にも、その二つが確固として存在しているように見える」と。

「この社会は何かを求めて必死になっている」と。

他にもゲイのカップルの話題とか、いちいちこの著者はするどい。そして、ひとつひとつがきちんと「自分はどう思うか」という視点が書かれていて、そこがいいんだよね。

なんだろう、それは間違いだいう他人の指摘を恐れず、まだこれを書いた時、著者は相当若かったと思うのだけど、堂々と自分の思うことを書いているのがすごいと思う。っていうか、逆に歳とっちゃったらこういうものは書けないのかもしれない。

アイルランドも登場して、ズーズー弁英語の国とか言われている(笑)。よくある丸山薫の「あいるらんどのような田舎へ行こう」をあげ、ジョイスをこれまたするどく紹介している。アイルランドは、ほんの6ページ程度の登場なんだけど、やはり印象的だ。

あと印象に残った箇所。「無銭旅行を連日つづけていると、もうあらゆることがどうでもよくなってくる」というくだり…。

「外国に住むことの最大の魅力(また危険)は、自分がその外国の社会に何ら責任がない、そこでは何をしてもよい、あるいは逆に何もしなくてもよい、すくなくとも自分の行為なりに心理的制御を感じなくてすむ、ということだが、無銭旅行の場合は、そいつがもっとも端的なかたちで出てくる」

「何が起っても、ハハンとすませる神経ができてくる。金がなくたって、まぁ明日になれば何とかなるさ、ですますことができるようになる。つまり、その日暮らしの精神状態におちいる」

「私の言う「まぁなんとかなるやろ」が最悪のかたちをとるに至る」「これが要するに、コジキの精神なのであろう」

誤解なきよう。その場所にしっかり根を下ろし、日本と海外とをつなぐ仕事をしっかりしている人はこの例には当てはまらない。彼の言う「住む」は「旅する」ということだと理解してほしい。

でもこの貧乏旅していて、もうどうでも良くなる感覚はすごくわかる気がする。この社会とつながっていない感じ。社会に責任のない感じ。

一方で日本にいて、定住の場があったとしても、そういう気持ちに陥ることはありうるかもしれない。貧乏とはそういうことなのだ、と。

また欧米人と一緒に旅をしていて中東の貧しい子供たちを彼らがみる目が「無機物を見る眼であった。動物を見る眼でさえない」というするどい指摘とか…

「いわば、そこらにころがっている岩のかけらか何かを見る、いや、もっと適切に言おう、彼らのまえにぼんやりと立っている子供たちは、彼らにとって一つの透明な空気であった」とか…

世界が変わっていく「1代目、2代目、3代目」の話とか。自分がいわゆる「小国」の国民でよかった、と思うくだりとか。

「また自分たちには徴兵制をもたないこと、これもまたうれしいこと」とも著者は書く。徴兵制。確かに私が初めてヨーロッパに行った84年だか85年だかでも、まだまだ徴兵制が多かった。

そうそう、特にギリシャに関する記述は、50代後半の私が今年初めてギリシャに行って考えたこととすごく似ていて、新しい場所に出かけることは自分を若く保つ秘訣なのかも…とちょっと思ったのだった。

私にとってのギリシャは『遠い太鼓』のイメージがすごく強かったのだけど、今思えば『遠い太鼓』とか読んでる場合じゃなかった。こっちを読んでから行けばよかった。

あと最後日本に戻ってきたむすび部分で語られている…日本のこともするどい。日本人の勤勉さ、忙しさ、それを総括する異常なエネルギーに感嘆しているところとか…

時代は戦争が終わったばかりで、それでもぐんぐん復活していく日本にいて、もしかしたら著者は明るい未来を感じていたと思うのだ。でも、そのあとのするどい指摘がすごい。

「ただ、惜しいことに、これは誰もが言うことだが、そのエネルギーに方向がないのだ。そしてラッシュ・アワーの電車のなかでのように、異常なエネルギーが、どれほど無目的に、無駄に消費されてしまっていることか」と。

この感じは確かにちょっと外国に数日行ってきて、帰国した私もたびたび感じることだ。日本は人口が多くて、なんかガヤガヤどやどやしていて、経済力も(失ったとはいえ)そこそこあるけど、方向性や意志が感じられない。

これはちょっとお正月に載せた(実際に書いたのはだいぶ前だが)私のブログにつながるような気もしている。そして今や日本はその「エネルギー」さえ失ってしまっているのかもしれない。

私が買った文庫本の最後のあとがきには本人のものが61年のもの、67年のもの、71年のものとづづいている。私が買った文庫本ヴァージョンは79年に出て、その後2020年4月20日に、48刷を記録している。すごいな…

アマゾンの書評を見てみると、沢木耕太郎の『深夜特急』と比べられているのが面白い。あっちも私は未読なんだけど、面白いんだろうか。沢木耕太郎は2冊くらい読んだけど、どちらもあまりピンと来なかったので、その後、全然読んでいない。

というわけで、この本はプラチナ入り。私は本は読み終わるとプラチナ入りしないものはとっとと人にあげてしまうかBOOK OFF行きになるのだが、こいつはずっと持っていることに決めた。

というわけで時々読み返したいプラチナ本の棚に収めることにしよう。うーん、やっぱり世界は面白いな。