今日は川島重行さんのお葬式だった。駅からちょっと遠い斎場だったこともあって、浦安の友人が車を出してくれた。
もう亡くなってはいたけれど、川島さんに会って、お礼を言うことができた。野崎です、なんとか一人で音楽の仕事を続けていくことができました、本当にありがとうございました、と。
そして、思い出した。川島さんは釣りが大好きだったこと。だから釣った魚の写真をよく会社で見せてもらっていた。
「のざぼうも釣りに行くか!」とか言ってくれて、私も「行きたい、行きたい」と言っていたのだけれど、さすがに早朝(4時とかです)は無理ということで、それは一度も具体化しなかった。
川島さんのお棺に入れられていたのは、川島さんが作った数々の名盤ではなく、会社でよく見せてくれていた釣った魚の写真集だった。
まだ写真がプリントだった時代。よくあるポケットアルバムに誇らしげに入っていた魚の写真。そのポケットアルバムと一緒に川島さんは天に登っていった。
会場にはデヴィット・マシューズさん(通称デイヴちゃん。川島さんはカワちゃんと呼ばれていた)もお見えになっていた。
キングレコード洋楽部時代、来日アーティストといえば、私たち洋楽部にはマシューズさんしかいなかった。私が仕事で一緒になった最初の「外タレさん」はマシューズさんだった。マシューズさんは、いつもの青い帽子を被り、とてもお元気そうだった。
そうだ、マシューズさんが最近出たという「徹子の部屋」見なくっちゃ。どこかで見れるかなぁ。
ご葬儀のあとは、車を出してくれた友人と、今回の葬儀のことを知らせてくれた友人も一緒にランチをした。浦安だったので、アサリ丼。浦安には「あっさり君」というご当地キャラがいる。写真はこちら。
アサリ丼は美味しかった。天気もすごくよくって、観光気分。写真はこちら。
で、女3人で話をして、なんか不謹慎かもだけど、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごした。キングレコード時代の自分を思い出す。
「のざぼうは、そういえばお茶とか運んでたもんね」とか「灰皿掃除させられたよね」とか、今では考えられないことを次々と思い出し、若いころの自分は本当に可愛かったなぁと思った。いや、見た目じゃなくて、その頑張りが(笑)。
それにしても、川島さんが作ったジャズ。 今、聴いても、めちゃくちゃかっこいい!
川島さんにルナサの『LIVE IN KYOTO』や、ヴェーセンの『LIVE IN JAPAN』を聴いてもらいたかったなぁ。あれは、すべて川島さんを真似して、私が作ったアルバムです!!
いや、私の場合単なるエクゼ・プロデューサー。お金出して段取り整えただけ。音楽はミュージシャンたちが自分で作りました。川島さんみたいにアーティストにディレクションして、アーティストと同等に音楽には関わってないんです。でも、私は少しでも川島さんに近づきたかったんです。