昨日スペイン料理屋でいただいた マッシュルーム |
それにしても「ブルーズ」「レッド・ゼペリン」とか「ピーター・ゲイブリエル」「リチャード・トンプスン」あたりは、今、どっちが主流のカタカナだったっけ…?
日本人の英語がひどいという件は一理ある。しかしその前に英語そのものが話せない、というのは大問題だ。先日もなんで他のアジアの人は英語がとても上手なのに日本人は駄目なんだろう?という話題になった。若い世代の方が、明らかにそうなんだから戦争うんぬんは関係ないようにも思える。先日行った台湾でも若い子はみんな英語が上手だったなー。話せない人いないし…。加えて良い仕事についているアジアのインテリたちは、みんなホントに英語がネイティブなみ! そして一方日本は、といえば…よく日本人が着ている英語Tシャツの件が取りざたされるが、それよりももっと恥ずかしいのは建物の名前。特に個人が付けたと思われるマンションの名前には目を覆いたくなるものが多い。
私も英語については、ちゃんとした教育を受けたこともなく発音がひどいので、おそらくピーターさんの前で他のミュージシャンと話をしている時、ピーターさんは耳を塞ぎたくなっていることだろうと想像する。すみません…私はいまだにRとLの発音を使い分けられません。(でも語学において大事なのは発音よりもイントネーションだと思う。このへんの話はまた後で)
でも私自身の考え方を恐れず書いておくと、日本人が英語をしゃべれないのは大問題だが、究極的には… 発音はインド英語とかみたいな感じでもいいんじゃないか、と思ってしまう。ピーターさんたちのこういう考え方って、インテリの英国人のものではあるかも…。実際ピーターさんだけではなくて、オックスフォード……いやオクスフォード大出身のスチュワート……いや、スチュウット・アトキンさんも同じ事を言ってらっしゃる。スチュウットさんは有名な日本在住の英国人ナレーターで、TVとかCMとかでそのお声を聞くことが多い。スチュウットさんも、自分の名前は絶対にスチュワートと書かせない。(でもやっぱりスチュウットで検索すると出て来るのはアトキンさんだけなんだよね。私が知っているだけでもスチュウットさんはこのスチュウット・キャンペーンを30年以上も続けてらっしゃるのだが、それにしても定着しない)
もちろんある程度努力して現地の発音をなるべく忠実にカタカナで再現するのは必要だが、そのあとは情報が正しく通じれば大きな問題ではないのではないか…と。今や英語は恐ろしいほど多くの人が使っている。それを思えば全体におけるネイティブの割合なんて、今やほんの少しだ。
加えてこちとらそのミュージシャンと運命を共にする責任があるのだから、日本人に覚えてもらいやすいよう、ある程度平易にしないといけないという責任もあったりする。(学者みたいな職業だったらまた別のスタンスもあると思うが、あくまで「覚えてもらわなきゃいけない」商業ベースだからね)
もちろん「だからこっちが勝手に付けるぞ、文句を言うな」という気は毛頭ないが、日本語カナカナ名を発表したとたん、前からファンだったという人からあれこれ批判が出るのも「洋楽仕事ある、ある」の1つだ。一応、私などは以前からファンだった方に敬意を表するために、正式発表する前になにか言ってきそうな方面には事前に「これでいいですか?」と「お伺い」を取っておく、という作戦をとることが多い。確認したんだから、後から文句言うなよ、と。
そういや25年くらい前、ドロレス・ケーンだか、ドロレス・キーンだかが話題になったことがあった。ナンシー・グリフィスに「アイルランドの声」とまで言われたドロレス。でも今、振り返れば、わたしを含め多くの関係者が覚えている事といえば、彼女の日本におけるキャリアにおいて、誰が一番協力的だったかという事だけだ。私にとってはそっちの方がよっぽど重要で、そもそも名前の表記以前に、ドロレスが有名になってくれなくては、まったく意味がない。
1つ、ルナサのキリアン・ヴァレリーとの会話で印象的だったエピソードを書いておこう。なんのタイトルだか忘れたが、その日、私は曲タイをなぜかキリアンにしつこくメールで確認をしていた。キリアンと話していた、ということは、この案件はルナサではなく彼のソロアルバムのことだったのかもしれない。そしたら彼のメールの返事にこんな答えが書かれていたのだ。「君のその質問はすごく興味深い。なぜならどう読むかは、読む人の出身地で決まるからだ」と。
キリアンのメールは目ウロコだった。そうかー こんな風に考えてるんだ、アイルランド人は! おもしろいよね。というのも、私たちは地名や人名など一生懸命なんとかオリジナルの音を日本のカタカナにキャプチャーしようと必死で努力してきたからだ。もちろんすでに英語圏にいる彼らと日本語圏にいる私たちとでは事情が違うだろう… が、呼ばれる本人にしてみたら、こんな感覚なのだった。これはなんだか目ウロコだった。
そして、ちょっと気をつけてみれば、ルナサの連中ではTyrone州をティローンと言うのはTyrone出身のトレヴァーだけ。ケヴィンもショーンも、みんなタイローンと言う。なので私もタイローンと呼ぶ。
もっと言えばアメリカ出身のデニス・カヒルは、生まれたシカゴでは「ケイヒル」だが、アイルランドではみんな「カヒル」と呼ぶ。なのでウチもカヒルにした。でも、絶対にあれこれ言われるだろうなというのを予想していたので、初期のヘイズ&カヒルのホームページのトップには「カヒル」に対する言い訳をしばらく載せていた。アイルランドではこう呼ばれているから、こっちにしたんですよ、と。
お客さんは2,500円くらいのCDを買ってくれたり、6,000円くらいのコンサートチケットを買ってくれるわけだから、有り難いアドバイスはやはり拝聴しないといけない。そんなに言うならオレたちの生活全部面倒みてよ、と、オレは言わないよ(笑)。自分はそういう事をすべて飲みこんだ上で、この音楽プロデューサー業についているのである。それを私も自覚しないといけない。あれこれ気にしていては、なに1つ進めることは出来ない。というか、何1つ名付けることすら出来ない。
それほど多くの分母をかかえていないウチですらこれである。きっと大きなレコード会社さんとか大変だろうな。だいたい英語以外のスペイン語とかフランス語の出来る人たちとか、もっとすごそう。名前1つとっても、何か言われることを覚悟して発表しないといけない。こっちは言い訳や説明してるとキリがないし、なにか言われるたびにひるんでいては、仕事自体が立ち行かない。もちろん正しく呼ぶことは大事だが、どちらが重要かと言われれば、そのアーティストを何と呼ぶかではなく、そのアーティストと何を実行するかなのである。
なので、申し訳ないけど、私をふくめて、みんな時間がないんで、どうか私を信頼してくれませんか?としか言えないのが現状なのだ。皆さんには、野崎の事なんだから、なんらかの裏付けがあってこう表記しているに違いない、と信じてもらうしかない。それがお互い一番合理的な結論ではないだろうか。私だっていい加減な気持ちでカタカナ名を付けたことは一度もない。その程度には、そろそろ信用してもらえないだろうか、と。もちろん私だって間違うし、間違いの方が多いくらいだ。だいたいフルックだってもしかしたらフルークの方が近いかもしれない… ヴェーセンだって英語圏の連中と話をする時はヴァッセンと言わないと通じない。それに…
あとは、まぁ、大らかに、ってところでしょうか。外国人だってタカミネ・ギターをタカマインと呼ぶし、イッセイ・ミケヤはイッセイ・ミヤキーって言わないと彼らに通じないし「酒」は英語しゃべってる時は、サキーって言わないと、やっぱりヘンだ。
ま、この件、結論はでないよね。ただ言える事は自分は自分のスタイルでいく。それだけだ。
この映像にあるような素敵な英語が自然に話せるようになりたいと思っている。めっちゃいいよー、これー
<メモ>
アイルランドの英語表現
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