2019年5月29日水曜日

短期集中連載「ワールド・オブ・マズルカ・フェスティバルをたずねて」 ヤヌシュ・プルシノフスキが牽引する農村マズルカ・リバイバル 1

まだ肌寒い2017年4月半ば、ポーランドの首都ワルシャワにやってきた。この地を代表するフィドル奏者にしてマルチ・インストルメンタリスト&シンガー、音楽プロデューサーのヤヌシュ・プルシノフスキが主宰する「ワールド・オブ・マズルカ・フェスティバル」の視察のためだ。ショパンはこの国に生まれ、現役時代のほとんどをフランスで過ごしたが、彼の心はいつも祖国ポーランドにあった。彼が書いたたくさんのポロネーズやマズルカのインスピレーションの源が、農村の伝統音楽家たちが演奏する「農村マズルカ」であり、現在この「農村マズルカ」を取りまくユニークなムーヴメントは、ヤヌシュたちの献身的な努力によりワルシャワで熱い盛り上がりを見せている。多くのヨーロッパで70年代に見られたフォーク・リバイバルが、現在2010年代のワルシャワで起こりつつあるのだ。 

ご存知のとおりポーランドの伝統音楽はショパンを始めとするクラシックの巨匠たちだけでなく、他の国の音楽にも大きな影響を与えてきた。ポーランドの伝統音楽が北欧に渡り「ポルスカ」になった。例えば日本でも人気のあるスウェーデンの伝統音楽グループ、ヴェーセンが演奏する楽曲のほぼ90%は「ポルスカ」だ。戦争中フランスへ逃げて来た音楽家たちが祖国を思い「ポロネーズ」を作った。チェコ経由の「ポルカ」はアイルランドの伝統音楽、特に西の半島の先で頻繁に演奏されるようになった。またその影響は遠く南米の「マズルカ・クレオール」などにも発見することができる。 日本で知られているポーランド民謡というと「森へ行きましょう」や「踊ろう、楽しいポーレチケ」あたりだろうか。

ワールド・ミュージック・ファンには、BBCの強力なバックアップのもと世に紹介され、来日もしたワルシャワ・ビレッジ・バンドが記憶に新しいかもしれない。またユダヤ系、ロシア系のショウ的な要素の濃いいくつかのグループも活躍しており、それらがポーランドの伝統音楽として国外に受け止められることは過去にも多くあった。だが、現在ワルシャワを中心に起こっているこのフォーク・リバイバル・ムーヴメントは、それらとはまったく種類が異なる物だ。

そしてこのムーヴメントを牽引しているのが、これから紹介するヤヌシュ・プロシノフスキだ。 私がヤヌシュの音楽に最初に触れたのは2015年、とあるノルウェーのフェスティバルであった。100組を超える出演者が並ぶ中、集められた全世界のワールド・ミュージックの関係者の間で一番人気があったのが、ヤヌシュのバンドだ。しかし後から調べてみれば実はヤヌシュたちのこの活動は、その数年前からこの界隈では相当注目されていたようだ。2011年にはすでに英国の名門fROOTS誌が農村マズルカと彼らの動向を3ページに渡って特集。ヤヌシュのバンドは2012年、2013年とワールド・ミュージックの国際見本市WOMEXに2年連続で出演し、2013年には英国のSONGLINESが付録のサンプラーCDと一緒に彼等が牽引する農村マズルカのムーヴメントを大フィーチャーしていたのだから。

私が訪ねたヤヌシュが主宰する「ワールド・オブ・マズルカ・フェスティバル」には、ハラール・ハウゴーやノルディック・トゥリーなど国際的なアーティストも参加したことがあるようだが、基本的にはポーランド、そしてロシア、ベラルーシ、ウクライナ、バルト三国などの周辺国に住む「本物の」農村伝統音楽家たちを紹介する1週間のフェスティバルである。

月曜日から金曜日までは、町の図書館のホールを利用して行なわれ、キャパは約300名程度だろうか。それでも会場後方は立ち見のお客で溢れるくらいの大盛況。客層はこのテの音楽のイベントにしては異様に若い。(通常この類いの音楽は文化センター的なところで催され、客の年齢層は圧倒的に高いのが特徴なのだ)そしてその多くが自らも演奏するプレイヤーたちのようだ。ホールの階段やロビーでは、楽器を持った若者たちによる自由なセッションがあちこちで始まっていた。 週末になると会場は、町の外れの要塞のような大きな建物に移され、ここで2,000人以上の人たちが朝まで踊り狂うという狂乱のダンス・コンサートが催される。そして昼間はたくさんのワークショップが催され、ヨーロッパ中から楽器を持った若者達が、農村の音楽家たちに教えを得るために集まるのだ。

いずれも特徴的なのは、必ず本物の「農村の音楽家」たちがきちんとフィーチャーされている、ということ。ハンガリーのダンス・ハウス運動と同様、オリジナルに当たることは、ここのフォーク・リバイバルにおいて大変重要視されている。農村の音楽家たちはかなり高齢で(90歳くらい?)、その音楽は荒っぽくステージのためのエンタテイメントではありえない。しかしながらそんな彼らの横には必ず若いミュージシャンが寄り添い、彼らのステージ運びを手伝う。

それはワークショップでも同じだった。農村の音楽家たちは人に音楽を教える言葉を持たないのだろう。模範演奏はしてみせるのであるが、それを言葉で解説し指導を加えるのは常に都会のミュージシャンである若い先生だった。 最終日土曜日には、このフェスティバルの最大の見どころのである楽器フェアが行なわれる。とにかくものすごい楽器の量で、出展者は100社(者)にも及ぶという。



夜はダンス・コンサートの会場になるこの会場は、戦争中は要塞として使われていたというドーム状の建物で、その中に多くのテーブルが並べられ、ところ狭しと楽器が並ぶ。 素晴らしいのは、どれも触って体験できること。そして子供が触っても怒られないこと。実は自身も子供が5人もいるというヤヌシュは子供の伝統音楽教育にもたいへん力をいれていて、奥さんと一緒に子供向けの伝統音楽のCDやDVDを何枚もリリースしている。子供はコンサート会場でもワークショップの場でも、ものすごく優遇されていて、要塞会場の別の小部屋では50人くらいの子供が集められて子供向けのリズムやダンス、歌のワークショップなどが行なわれていた。 

そして夜はいよいよこのフェスティバルの大フィナーレ、朝5時まで行なわれるという大ダンス・コンサートだ。30組ほどのバンドが30分くらいずつ次々と演奏し観客のダンスを盛り上げる。当然のことながらヤヌシュたちのカルテットは一番盛り上がりを見せたのだが、彼らが特にトリをつとめるとか長く演奏するといった事もなく決まりの30分で演奏を終了すると、次のグループへと演奏のバトンを渡した。その間もヤヌシュはプレゼンターとして次のバンドを紹介したり、セッティングを手伝ったりと大変な忙しさだ。

なおヤヌシュたちの後には、今、ヨーロッパのフェスティバルシーンでもっとも話題のカペラ・マリシュフというトリオも登場した。こちらはタトラ山脈の田舎から出て来たゴリゴリの伝統音楽親子で、最近ヨーロッパ大陸のあちこちのフェスティバルで引っ張りだこである。彼らはワルシャワのムーヴメントとはまったく違う純粋培養の音楽で、楽器職人のお父さんと息子、娘という編成。いわゆる持って生まれた者だけが演奏できる、選ばれた者たちによる音楽だ。こちらはあくまで個人の才能だ。

一方で、ヤヌシュたちが牽引する、現在ワルシャワのリバイバル・シーンを支えているのは、都会で生活するミュージシャンたち。つまりこの音楽を自ら選んで集まった人たち、というところが重要だ。現在東京でも多くのケルトや北欧の伝統音楽を演奏するバンドやプレイヤーが急増しているが、現在伝統音楽シーンをささえているのは、農村に住む音楽家ではない。こういう「自分から好きな音楽を選び取って行動した人たち」なのである。ヤヌシュは、そのリーダー的、シンボル的存在だ。ヤヌシュいわく「今までずっと世界中の伝統音楽を聞き、それらを演奏してきた」「でも一番素晴らしい音楽が自分の住んでいる場所、半径100km圏内に存在していたんだ」「最後の最後にそれを見つけた」 「それはすでに自分の中に存在していたものでもあった。再発見だ」

SONGLINESの特集記事でも指摘されていたことなのだが、現在ワルシャワで起きているこのフォーク・リバイバルは70年代のハンガリーのダンス・ハウス運動を連想させる。70年代、ムジカーシュのメンバーなどを輩出した、やはり都会のインテリ層のミュージシャンたちによって牽引されたコマーシャリズムとは一切かけ離れたフォーク・リバイバルだ。

ヤヌシュは言う「農村マズルカを、そのまま演奏することが重要なんだ。なるべくオリジナルに近い形で、注意深く“フォーク・ショウ”にはならないように注意する」「そして僕らはオリジナルに触れて、直接学ぶことをもっとも重要視している」 

このシリーズの第2回はこちらで読めます。 
このシリーズの第3回はこちらで読めます。









<ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ来日公演>
6月8日(土)武蔵野文化会館小ホール SOLD OUT
6月9日(日)北とぴあポーランド&ショパン祭 with 高橋多佳子
6月11日(火)名古屋 宗次ホール
6月12日(水)安来 アルテピア
6月13日(木)神戸 100BANホール
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