ドーナル・ラニーのドキュメンタリー『IN TIME』

ドーナル・ラニーのドキュメンタリー。アイルランド映画祭で上映されました。

まぁ、なんというか、90年代のキラキラした彼をご存知の方には、見るのがつらいドキュメンタリーだったかもしれません。

以下はドーナルのことをよく知っている人のための、ちょっとマニアックな解説ブログです。初心者向けは、またあらためて書きます!! ちょっと待っててください。

96年以来、私もドーナルのことを多くの人に知ってもらいたい、彼の音楽を聞いてほしい、という気持ちは私もずっと変わりません。

でも、まぁ、この作品にいろいろ言いたいことがある人は多いでしょう。この作品、制作はヌーラ・オコナーとフィリップ・キングですから、ドーナルとはもう90年代、いや、その前から一緒にアイルランド音楽シーンを作ってきたといっても過言ではない黄金のチームではあるのです。

ヌーラとフィリップは、テレビドキュメンタリーの制作プロダクション SOUTH WIND BLOWSを牽引しています。彼らのサイトに行けばわかりますが、面白いドキュメンタリーがたくさんある、すごいチームなんです。

彼らの初期の作品としては、こちらがあげられます。BBCやRTEで流れた「Bringing it all back home」というアイルランド音楽のドキュメンタリー。 当時は確か彼らの会社もHummingbird Productionsとかいう名前だった。(彼ら二人に、もう一人経営者がいたと思う)

このTVシリーズ、音楽監督はもちろんドーナル・ラニー。たしか1990年の制作。


それと、下記の映像も彼らの手がけたTVシリーズ。SULTという。同名のサントラもありました。ドーナル率いるハウスバンドにゲストが乗っかって演奏を届けるというもの。

この年、TG4というアイルランド語のテレビ局が開局。アイルランドは本格的にアイルランド語の復興に力をいれはじめます。SULTは、そんなTG4の看板音楽番組。

ドーナルは自分のアイルランド語は下手くそだから恥ずかしんだと言いつつも、一所懸命アイルランド語のMCもこなしていました。

ヴァン・モリソン、かっこいい!!! 明らかに彼のベストパフォーマンス!

この時にドーナルから聞いたエピソードがすごくって、ドーナルたちは朝からスタジオで待機。ドキドキしながらヴァンを待っていたそうです。もちろん御大が何時に来るかはわからない。

でもって曲もヴァンは事前に決めない。俺の曲くらい、みんな知ってるだろ。マイクの前にたたないと曲は決められないんだ…と言ったかどうか(笑)

それにしてもこのすごいヴァンを見てください。 

4:30ごろには超レアなスマイルも。ヴァンが演奏中に笑ってるのがすごい。さらに6分くらいのところでは、バックコーラスしてるメアリー・ブラックに向かって「おっ、今のナイスだな」と明らかに喜んでいる!?

他にも、これはうんと最近の映像ですが、アイルランドのヒギンズ大統領(当時)が英国に行った時に行われた音楽の一大イベント@ロイヤルアルバートホールでのドキュメンタリーとか。

これもいつだったかフルで番組を見たな。iPlayerのどっかに転がっているかもです。ドーナルもバンドを率いてかっこいいですよ。

 

あとこちらはOTHER VOICEというディングルでシューティングされた音楽テレビ番組シリーズ。これも、彼らの手によるものです。 こちらはThe Gloamingのライブ映像。

ちなみにThe Gloamingのドキュメンタリー(1時間くらいの長さがあったように記憶しています)も、彼らは制作しています。

 

これなんか、懐かしい。ほんと何度も見たよなぁ。もうアイルランド中がダミアン・ライス一色だった時期のOTHER VOICES。

そして、ドーナル、具合悪くなる直前に計画されたボシー・バンドの再結成。(しかしミホールのいないボシーなんて…という声もあり。こちらは本格活動再始動の前にドーナルの病気でプロジェクトは頓挫しちゃった)

 

まぁ、そんなふうにこの映像チームはドーナルとは、まぁ、もう、80年代後半から一心同体のチームなんです。ここが一枚板であることに、私は疑いはない。

ちなみに本作についての監督のインタビューを聞いたのですが、こういったドキュメンタリーにするというのは、ドーナルの意思も強く入っている様子でした。

例えばいわゆるディスコグラフィーを辿るようなものにはしたくなかった、ということ。彼の人間的な部分も表現したかった、と。

ちなみにモノクロでまとめたのは、まず撮影監督が「モノクロにしたい」と言い出したということ。そして監督がポーランドのこちらの映画の監督のファンだったから、だそうですよ。

 

わかる! ポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ。あとニック・ケイヴのモノクロのドキュメンタリーがあり、それに強く影響を受けたというわけではないけど、とも話していました。

あれも思えばニックが息子さんを亡くした時のものじゃなかったっけか。

またモノクロで撮ることによって、なるべく静かなものにしたかった、というのもあるらしいです。なるほどね…。

このドーナルのドキュメンタリー。私がその存在を知ったのは、ゴールウェイのフィルムフェスで上映が決まり、それに伴う宣伝が始まり、トレイラーがネット上で見られるようになったころです。

これが昨年の7月。タイトルが「In Time」なので、ちょっと気になりました。

というのは、その一方でドーナルが具合が悪いことは私はだいぶ前から知っていました。2024年にアイルランドに行った時、ポール・ブレイディに話を聞いていたのです。もう本当にやばい、食べ物を食べれなくなってる、とその時に聞きました。ポールもとても心配していました。

ドキュメンタリーの最後のシーン。ちょっと痛々しいですが、ヌーラは病院からドーナルを連れ出し、撮影し、そしてまた病院に戻すということもしたのだそうです…

そりゃそうだよね。そういう状態なのは見ていてわかります。

話を2024年に戻すと、ポールからその話を聞いてパニクった私は、焦って帰国してから関係者に連絡を取った。それこそピーターさんにも、そのことを話した記憶があります。

みんな覚悟をしておくように、と。今思えば酷い話ですけど。(っていうか、ドーナル持ち直して、本当に良かった!)でも本当に本当に危なかった。

それにしてもドーナル・ラニー。もしかしたらここを読んでいる人の中でも知らない人は多いかもしれません。70年代から続くキラキラした彼の経歴については、また「初心者向けのブログ」として、次の機会に書きます。

とにかくドーナルは、アイルランド音楽の最重要人物といっていい人ですから。

ドーナルがいなかったら、あのバンドもこのバンドもなかった。みんなの大ボスといっていい存在。ドーナルなしでは、アイルランド音楽は語れない。アイルランド音楽がかっこいいものだとしたら、それはドーナルの功績が大きいんです。

そんなドーナルの初来日は96年でした。

この来日ツアーに先駆けドーナルはプロモーションでも来日したのですが、この時、宣伝を担当した私は、本当に死ぬほど頑張りました。

今までで一番頑張ったと言っていいくらい(笑)。プランクトンの川島恵子さんと一緒に、本当に今までで一番頑張った。

とにかくアイルランドの大変なプロデューサーが来日する、と。大新聞を全部インタビュー制覇出来たのは、あの時が初めてだったかもしれない。思い出すのは、ドーナルは朝が弱いから気をつけて、と多くの友人(in アイルランド)に警告を受けていたことです。

ま、この話は、また後で(笑)

ケイト・ブッシュの「アイルランドの女」をはじめとするすごいトラックを集めたCD『コモン・グラウンド 魂の大地』は、EMIから発売になり、ちょっとしたヒットになった(と思う)。

そのころはドーナルの、日本における黄金期で、大好評だった初来日に続き、プランクトンさんはドーナルを97年、98年と続けて招聘したのでした。

特に98年の来日は会場が大きなホールになったので「ドーナル・ラニー・クールフィン」じゃマーケティング上、厳しいかも、となり、「タイトルはケルティック・クリスマスにしよう」となった。プランクトンさん、すごいなぁ、とその時思いました。

ちゃんとたくさんの人に届けることに責任を持つ。私もそういった仕事上のやるべき努力を、プランクトンの川島恵子さんから学びました。

これがいわゆる「ケルクリ」のスタートとなったのでした。この辺の話はいつかプランクトンの川島さんが語ってくれることでしょう。

私は単に現場を手伝っていただけです。でも、本当に素晴らしい経験をさせていただきました。

99年もドーナルはスペインのカルロス・ヌニェスの来日にも同行しました。これも確か「ケルクリ」だったように記憶しています。いずれにも私はプランクトンさんの「お手伝い」ということでツアーについたり、宣伝を手伝ったり、楽しい日々でした。

私は現場を手伝うだけだったのですが、準備やツアーの仕込みに尽力した川島さんの苦労を思うと、今でも涙が出ます。

その後、しばらくドーナルの活動が途絶え、でもモザイクなどを率いての来日はあったんですよね。私は行けなかったんですけど。この辺はソウルフラワーの伊丹さんたちが仕込んでいたので、私は事情はよく知りません。

でも2007年はフェローのこの人のアルバムをドーナルがプロデュースしたり、私にとっても話題はそれなりに続きました。

ちなみにこのアルバムのレコーディングはアイルランドで行われたそうです。バンドも全員アイルランド人。サウンドは典型的ドーナルですね! うちはこのCDをライセンスで発売し、アイヴォールを招聘しました。彼女は北欧の大スターなので、今では考えられないことですが。

ほんとにいい子だったよなぁ、アイヴォ。

2013年には、なんとドーナルはパディ・グラッキンとデュオ来日。これはうちが仕込みました。

いったいどういうきっかけだったのか、正直もう覚えていません。でも確かパディが勤務していたRTEを退職して(彼はスポーツ部の部長だった)時間が自由になったので、遠くにもツアーに行けるようになったとか、そういう理由だったように思います。

ここに多少レポートを載せてあります。(その他、私が書いたドーナルの関連のブログ記事は、このタグで追えます

しかし残念なことに私も記憶がもうあまりないのと、ブログに書けることは非常に限られているため、ブログを読んでも、いったいどういう来日だったのか、自分でもよく思い出せません。このツアーだけではなく、この辺は本当に仕事の記憶も、全ての記憶もあまりない。

とにかく毎日毎日すごく忙しかった。

でも、このツアーは大きなツアーではなかったのですが、楽しかったですね。仙台にチャリティ公演に行ったりして。

アイルランド大使が仙台にまで来てくださり、鉄板焼きをご馳走になったのはよく覚えています。食べ物の記憶!! ニアリー大使。お元気かしら。そういうつまんないことは覚えている!!

でも、そうそう、2013年ですから、まだ震災の傷跡が濃い仙台ではありました。そして仙台から帰ると、私はパディを送って成田空港へ。ドーナルは東京駅からそらちゃんに会いに京都に向かう新幹線に乗せました。それはすごく覚えている。

彼らの公演はすごく良かったので、続けて来日させることも考えたのですが、この時ドーナルに新しいマネージャーがついて、本当に…(以下自粛)

とにかく私はドーナルを続けて呼ぶことは断念しちゃいました。

その後、ドーナルに会ったのは、2017年にアンディと来日した時です。そうこうしている間にパンデミックもあったり。

最後にドーナルに会ったのは横浜のサムズアップの公演でした。(そこにピーターさんがいらっしゃってて、ポーランドの話をしたのを覚えています。その後に招聘したヤヌシュ・プルシノフスキの公演では、本当にお世話になりました)

最近のドーナルといえば、新しいバンドを立ち上げてキックスターターでクラウドファンディングをしていたようですが、これについては出来上がったのかどうかもよく知りません。さっき確認したら、それでも日本から3人の熱心なファンがファンディグしていた。

私はこのクラファンには参加しませんでした。

…と書くとなんか音楽的にドーナルが沈んでるように見えるかもだけど、そんなことはなく、このゾーイ・コンウェイちゃんとマーティンのトリオは、めっちゃスマッシン!(まぁ、ゾーイがしっかりしてるからな…) 

ゾーイは今回のドキュメンタリーでもフィドル弾いてましたね! このトリオは活動はオン・オフあれど、定期的に動いているようです。


それにしても、このドキュメンタリーを見て、色々思うところはありますが、いずれにしてもこのチーム(フィリップとヌーラ)は、ほぼドーナルと一心同体な大親友ですので、これが本人が望んだドキュメンタリーなのは、私は間違いないと確信しています。

思えば息子さんが亡くなった経緯など、アイルランドではかなりセンセーションナルに報道され、その翌年、シネイドも亡くなったので、アイルランドのマスコミはヒステリックになってた。

そんな中、ドーナルがアイルランドの人たちに、息子の死を説明できるチャンスがなかった。

だから、このドキュメンタリーはその答えなのかな…とも私は思いました。わかりません。私もこの件についてはドーナルや関係者にも直接話を聞いていないから。

なおヌーラによるとテレビではなく映画にしてくれと言ったのはドーナルだったそうです。(ご存知あのチームは、映画でもテレビでも両方やってるすぐれたチームですから)

でもって、ご存知の通り、ドーナルはその後、奇跡的に回復し、テレビで元気な姿を見せていました。

ただその時のドーナルは、インタビューシーンではニコニコしていたものの声はガラガラに枯れていたし、演奏シーンもネットには上がらなかったので、どうだったのか実態はわかりません。そのことはブログにもレポートを書きました

そしてさらに時間がたって、ご存知の方も多いと思うのですが、今年の1月になってだいぶ回復したドーナルに、スペシャルな賞が授与されたんです。下記はその時のLATE LATE SHOWからのワンシーン。これが今年の1月です。出演者には日本の豊田耕三さんの姿も。(ここにその番組のレポートを書いています

そう、ドーナルは奇跡的に復活。ゾーイのfbにも元気な写真が上がっていました


そして先日のシャロン・シャノンのドキュメンタリーでもエンディングで元気な姿を見せてくれています。シャロンの番組についてはここにまとめました

あと山口洋さん(HEAT WAVE)が、ブログでこの映画のことを紹介してくれた。よかったらリンク先で読んでください。山口さんは、ドーナルの音楽を日本に広めるのにたくさん協力してくれたし、ドーナルがプライベートで大変な時期にも側にいてくれた人です。


あと会場でちらっと紹介した伊丹そらさん主演の映画はこちらです。今週末から東京はイメージフォーラムにて。PEAKEND。 

トークの時にお約束したプレイリストは、ちょっと待っててください。今日は実は早朝から学校イベントなので。このブログは、事前に準備していたブログなんです。

本当にご来場くださった皆さん、ありがとうございました。

さて、本作、トークでピーターさんが話していた通り、秋のピーターさんの音楽映画祭で…かかるかも?! また詳細はご案内していきます。

◎1996年からかかげてきたTHE MUSIC PLANTの看板は2025年12月にて下ろし、公式サイトは近日中にアーカイブ化予定。自分の主催公演や招聘はもうやりませんが、2026年も若干の雇われ案件があるので、そちらはゆっくりとやっていきます。

◎よく聞かれるので、ここに載せておこう。最近観た中でベストな映画はこれベストな本はこれです。

◎現在CDの販売は終了してますが、書籍はあいかわらず販売中。アイルランド名盤ガイド。楽曲への配信のリンク(Spotify)や、来日時のインタビュー、エッセイなど充実の内容。ポール・ブレイディ、メアリー・ブラック、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの3冊です。こちらへどうぞ。

ちなみにポール・ブレイディのこの作品はドーナル・ラニーのプロデュース。メアリー・ブラックの作品はドーナルのムーヴィング・ハーツ時代の盟友デクラン・シノットのプロデュースで、ドーナルはキーボードで数曲参加しています。

◎神保町すずらん通りのパサージュにてケルト書房という棚を運営しております。ケルト関係の書籍や友人の書籍などを販売中。こちらへどうぞ。

◎最近、こんな応援記事を書きました。ぺッテリ・サリオラの来日記念盤@Intoxicate

ピーター・バラカン Presents 未来へのプレイリスト 毎週金曜日 ETVにて22:30から放送中。6月いっぱいまで続きます。

◎ケルティッククリスマス2026、発表になりました。今年はアルタンとソーラスが来日。詳細は公式サイトへ。

◎あいかわらず無印良品BGMの仕事はしております。この4月27日より昨年録音にかかわったデンマーク編が配信スタートしております。良かったら、聴いてください。店頭ではすでにその2週間くらい前から流れているようですが、結構まだBGM29のスコットランドもたくさん流れますね(のざき調査による)。

 

◎パンデミック後くらいから作曲家:日向敏文さんのお手伝いしております。昨年の6月25日に新作「the Dark Night Rhapsodies」がリリースされました。こちらが特設ページ(Sony Music Labels)。アナログ盤と、ピアノ小品集の楽譜は日向さんのサイトで通販中


◎その日向さんは、91年の大ヒットドラマ『東京ラブ・ストーリー』のサントラを手掛けていたわけですが、そちらが35周年記念のリイシューされることになりました。詳細はこちら。 最新インタビューをotonanoにて連載中! 

◎さらに今まで配信されていなかった『アナザー・グラフィティ』『妹よ』『陽のあたる場所』『愛という名のもとに』『ええにょぼ』も3月25日より配信スタートしております

◎また「Two Menuets」がこの5月25日よりGucciのキャンペーン「The Original Sinner」で使用されています。改めて聞くと良い曲!  Gucciのキャンペーンサイトはこちら