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2018年11月17日土曜日

アレック・フィン(デ・ダナン)R.I.P.


デ・ダナンのアレック・フィンがなくなったそうだ。アレックはイギリス生まれなんだけど、アイルランドに移住しゴールウェイ郊外のお城に住んでいた。一度ゴールウェイにデ・ダナンをたずねたことがあった。たぶん91年くらい。すごく寒い日。あれはどういう経緯だったのか、今では思い出せないが、みんなでメアリー・ブラックのコンサートを見にいった。今,思い出せば,超贅沢な時間だった。

デ・ダナン関係者、いろんな人の話を聞くにつけ、エキセントリックで偏屈なフランキーをなだめ、デ・ダナンをまとめていたのはアレックだったのではないかと私は思っている。最近はデ・ダナンの名前をフランキーがアレック抜きで使いはじめて揉めていたようだったが… あれの決着はついていたのだろうか。

とはいえ、90年代半ばになって若いバンドがメキメキ出てきたころには、私もすっかり疎遠になってしまい、アレックに最後に会ったのは横浜のWOMADの時か… もう30年くらい前。あの時、キングレコードのスタッフとみんなで飲みに行き、キングのディレクターがみんなから2,000円だったか多少会費を徴集したのを見て怒っていたのはフランキー(笑)だった。「レコ社はミュージシャンにご馳走するもんだ」と。WOMADに対するグチもすごかった。アレックはそれを必死でなだめてたっけ。今となっては懐かしい。


モーラ・オコンネルの元気な歌がいい。

そしてある意味タイムリーなこれ。こういうユーモア感覚はデ・ダナン独自のもの。




かっこいいねぇ…





音楽ジャーナリストの大谷隆之さんのご紹介してらした、これも最高に素敵。

しかし今、新しいアイルランド音楽ファンの人たちはデ・ダナンとか知らないんじゃないかしら。ユーモアと、アメリカ人が持つアイルランドへのノスタルジーを受け止めてくれる営業バンドの感覚とすごいプレイヤーたちが揃った奇跡のグループだった。

2018年11月13日火曜日

ONTOMO書きました〜 ケルティック・クリスマス/アルタン来日もうすぐ〜



アイリッシュ・シチュー是非皆さんも作ってみてください。私もしょっちゅう作っています。レシピはここに載せました。



ケルティック・クリスマスでお会いしましょう〜

2018年11月9日金曜日

ライコー・フェリックス、田中泯さんとの公演終了! 終ったのがまだ信じられない…









自分では写真全然撮らなかったので、フェリックスのマネージャーが撮った(らしい)写真や動画をアップ(笑)

いやはや本当にすごい公演でした。何も言うことはありません。たぶん、こんな公演はもう一生出来ないだろうな。

最後、泯さんはマイクを持って「彼は僕の古い友人だからよろしく」って紹介してくれて、ホントに嬉しかった。しかもシャイであんまりサイン会とかやらないフェリックスを励ましてサイン会まで引っ張りだしてくれて、ご自分もCDにサインとかしてくれっちゃったりして(すごい!)、ホントにホントにホントに一流の人ってこうなんだ、って思った。

泯さん、二人でフェリックスの自宅の馬小屋であわせた話もしてらしたな… それはもう「踊らずにはいられない」「音楽を演奏せずにはいられない」者たちの美しい共演。馬しか見ていない(聞いていない)二人の姿。それが東京の豊洲のステージにやってきた。

フェリックス、ホントにしゃべらないんですよ。でもそんな彼だから音楽があるだなぁ、って思う。なんかの映画で「音楽とは」「言葉をもたないもののためのもの」という話があったけど、そんなことを思い出す。 あの音楽に彼の生きているすべてが行っちゃったんだね。すごすぎるよ。

泯さんの踊りは軽やかで、しかし力強い。あのパワーはホント泯さんだけの物だ。左右の手足がまるで生き物のように動き、音楽を奏でているようだ。今回の公演が決まってPlan bに何度か足を運んだが、その世界には毎回本当に圧倒される。こちらもすごい集中力でのぞむせいか、あの踊りを見ていると完全にトリップできるんだよなぁ。あのトリップ感がまた味わいたくて、またPlan bに行ってしまうかもしれない。(あと泯さんは近々こういう公演もあります。是非!!)


ライコー・フェリックスが来日したということもすごいと思うけど、田中泯さんみたいなすごい方との共演とか言って、私も正直ビビリまくりました。最初、泯さんのホームページにメールする時、すっごいドキドキした。でも返ってきた一声は「ライコーは、私たちの古い友人です」 うううううううう、泣ける。泣けるよ。そうなんだよね、だってフェリックスが19の時から一緒にやってるんだから。一流の人ってこういう事なんだ、自然体で全然威張ったりしないんだって思った。本当に本当に勉強になりました。泯さん、石原さん、本当にありがとうございました。

現場を切り盛りしてくれたT山他、スタッフのみんな。PA小林さん、照明小宮さん、豊洲文化センターの皆さん、本当にありがとうございました。

次、またこんな公演を作ることが出来るんだろうか。分らないけど、とにかく次の公演まで今日はこの成功に酔ってしまおう。ご来場くださった皆さん、本当にありがとうございました。

2018年11月7日水曜日

ライコー・フェリックス、到着しております!



家族とうつってる写真しか撮れなかったので、写真はナシね。

明日の公演は、おそらく神様が私にくれた最高の幸運だ。やばすぎる… 頑張ります。あともう少しで当日精算、しめきります。当日精算希望の方は、あと1時間以内にこちらへ。

でも当日券もだす予定です。気になるようであれば、私のTwitterを参照ください。是非ご来場くださいね。


2018年11月6日火曜日

ライコー・フェリックス、いよいよ来日

ライコー・フェリックス、資料少ない… いろんな意味で大変ですわ、プロモーションするの。

ほぼ唯一といえる英語の字幕が入ったインタビューがこれ。そもそもインタビュー嫌いらしく、あんまり取材というものをやって来なかったらしい(マネ談)



これも観念的なことが多く、いい事言ってるけど,資料にはならない。でも一応紹介しておく…

「成功したからもういいや、って事は全然ない」
「演奏がいやになることはまったくない。これからもそうだろう。演奏することは大好きだ」
「コンサートの回数は減らして行くだろう。家で弾いているのが好きだから…。別に自分の音楽はお客のためのものではないんだ」

「(セルビアの)Topolyaというところで生まれてすぐGunarasというところに移った。そこはハンガリー人しか住んでいなかった。あちこち引っ越して小学校を卒業したのはKishegyesというところだ。そこに住んでずっと農作業をしていた」
 「引っ越しが多かったのは母親の都合さ。そういう人生だった。別にそれが嫌でもなかった。両親は二人とも学校の先生で、父親とは長く一緒には住んでいなかった。彼は数学の先生で母親は文学。実際、両親からは多くを得たと思う。父親はクラシックな芸術が大好きな人でイタリアの絵画とかオペラが好きだった」
「子供の頃、自分と違う世界に連れて行ってくれる音楽をたくさん聞けたことは本当に良かったと思う」
「(両親との音楽体験は具体的に、と聞かれて)トルコの音楽を母親と一緒に聞いていたのを記憶している。コチシュ・ゾルターンのレコードさ。次は父親と彼が大好きな“カルメン”を聞いたり…」
「家族に楽器演奏者はいない。ただひいおじいちゃんの1人はアコーディオン奏者でパブで演奏していたらしい。 おじいちゃんの1人は結婚式でサックスなどを演奏していたけど、プロだったのは、このアコ奏者のひいおじいちゃんだけだ。実際には会ったこともないけどね」
 「初めて都会に出たのは、中学校に入って、Szabadkaという街に住んだ時だ。でも田舎での暮らしが僕の人生を決定づけたと思う」「ウォークマンのカセットで音楽を聴きながら羊をながめていた記憶がある。あの音楽から僕は多くを学んだ」

「(自分の奏法が他の人と違うことに気づいていましたか?という質問に)分らない。最初は自分も他の人たちと同じやり方で演奏していると思っていた。他とは違うと気づいたのは最近のことさ。ずっと長くそう考えてきた… でも最近は自分と考えの似た音楽家たちと出会う事も多い。自分でもよく分らないけど、これでいいんじゃないかな…」
 「(ブタペストの音楽学校を離れましたよね、それについては?)すでに自分の曲を書いていたしコンサートで演奏もしていたからね。長い公演で1時間以上も1人でヴァイオリンを弾いた。16歳くらいの時さ」
 「そんなに大きな公演じゃなかったけど、来た人は気に入ってくれたと思う。特にその後、何も起こらなかったけど、それはいいのさ。自分の音楽を作りたいって僕は分っていたから」
「当時の曲を今でも演奏する。あまり変化していないよ。ソロコンサートとかで、当時のまま演奏するのが好きなんだ。ここのところいろんな共演が多かったから、もっと今後はソロコンサートをやっていきたいと思っている」
「1人でステージに立つのは好きだ。何でも自由にできるから。それが辛い時もあるけど。その辛さはバンドと演奏する時とはまったく異なるものだ」

「近所の子供が僕が5歳くらいの時にピアノを習い始めて,僕も演奏したいって思ったけど、出来なかった。今でもピアノは弾けない。ピアニストとの共演は好きだけど」
「村に住んでいた時、ツィテラと恋に落ちてね。学校での成績が良かったのがきっかけだったんだけど…。すぐチューニングがくるうから早く弾く事を覚えて、それが好きだった」
「でも結局ヴァイオリンが自分のメイン楽器になった。ツィトラは今でも好きだけど、ヴァイオリンがメイン。ツィテラは時々」「ツィテラを演奏している時は、まだピアノが頭の中にある」
「ツィテラのおかげでたくさんの民族音楽を聴くようになった。あとクラシックの音楽も大好き。ただこのふたつを同時に実現するとしたらヴァイオリンだった。またそれ以外の何か別の音楽につなげるとしても、やはりヴァイオリンだろう。ヴァイオリンなら、さらに多くのことが出来るような気がする。ありとあらゆるものを超えた普遍的な楽器だと思う」
「ツィテラも面白い楽器だ。インドでも中国でも似たような楽器が存在する」
「ツィテラとヴァイオリンの技術はまったくミックスできないものだとは言えない。例えば僕の右手は弓を持っているけど、ツィテラを演奏している時のような動きをするし、聞く人によってはそれが新鮮だと感じることがあるらしい」「パガニーニもギターのテクニックをヴァイオリンに取り入れたらしいし」

「楽器の限界を押し進めて行くことにも興味がある。ツィテラのベースの弦をオクターブ下げているんだが、これによってよりメロウなサウンドを得ることができる。ヴァイオリンはそこまで変化させてはいないけど、これは古いハンガリーの楽器であれこれ改良してある。使いすぎちゃったからペイントしなおしたりとか…。いっときは完全に壊れちゃったこともあって、それを再構築してもらったりとか。リペアは何度もしてもらっていて、どちらの楽器にもとても満足している」

「エレクトリック・ヴァイオリンには興味がない。ギターがアコースティックからエレキに変わることとはまた違う変化がある。僕は樹木で出来たヴァイオリンが好きだ」
「トランペットヴァイオリンを使ったこともあるよ。古い楽器で、とても興味深い」
「最初に手にしたヴァイオリンをまだ使っているけど、今は安いものから高いものまでたくさんのヴァイオリンを持っている。プロジェクトごとにあれこれ試して、最高峰まで行って、また最初のものに戻った…という感じ」

「歌ものにも挑戦してみたいんだけど、長い歌が覚えられない。El Cavilloみたいな短いやつならいけるけど。それに子供向けのCDを作ってみたいとも思うし… でもそうなると“誰がうたうんだ”となって、僕は歌詞を忘れるし」
「演奏がはじまると歌詞なんて覚えてられないんだよ。でも短いやつならできるかも」
「分かんない。いつか歌うかも…」(と、草をむしる/萌え〜w)
「 (言葉とは音楽ほど自由になれないって事ね、との質問に)子供のころ詩を書いてみたことはあるけど… そういう気分にはなれない」

「いろんな事に活動を広げて行くのは自分の意志だけではない。いろんなところからオファーもある。オファーを断ることは滅多にないよ。時々断るけど…。例えば映画に出演しないかという話がくるんだけど、断ってる。僕は音楽がやりたいから」
「ステージ上でもステージの外でも共感できる人と一緒にやれないとベストではない」
 「ソロでやるのは自分の作った音楽を自由に演奏できるから良い」
「オーケストラの為の曲を書いてみたい、ということもあるけど、楽譜をよむ人たちのための作曲は、僕より上手くできる人はもっといる。僕がやるべきことは木の下にすわってヴァイオリンを弾くことさ」

インタビュー嫌いだということがなかなか実感できるインタビューでした(笑)

そして、このタイミングで、こんな映像届いた。ウマとの共演! ジンガロかいっっ?!(笑)すごいな。



泯さんとの共演はこの映像以来かな? 7年ぶり。(映像ではフィドルではなくツィテラを弾いてます)


"Táncos vagyok és földműves" from magyarnarancs.hu on Vimeo.

踊っていないと、音楽を演奏していないと狂気の淵に落ちてしまいそうな繊細な芸術家たちの共演。すごすぎる。なんでこの公演、ウチで出来ることになったんだっけ? もう経緯が思い出せないわ… 

チケットまだあります。明日の夜24時まで当日精算を受け付けます。こちらへ。


2018年11月5日月曜日

テリエ『トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ』出演〜内容がめっちゃ良い!


ものすごく内容が良いので、是非聞いてみてください。今週末まで聞けます。みどりさんのお話はもちろん、染谷さんの通訳も完璧! なんというか、通訳が入っているストレスがまったくない。M藤Dの編集も神技。なんというか、すごい番組だよなぁ…。

「氷の楽器はどんどん溶けちゃうので生まれたての赤ちゃんみたいに大事に扱わないといけないんだ」

「僕がもとめているのは“響き”なんだ。パーカションニストとしてラッキーなのは自分がもとめている音を作り出せること」「これがピアニストだったら、こうはいかない」「僕はなんでもアリ」「そこがパーカショニストの楽しいところ」

(みどりさんの「今の時代は視覚的なものが伝える情報が非常に多いと思うのですが、音が伝える物についてはテリエさんはどう思いますか?」という質問に対して)「自分の表現というのは抽象的なものに留めておきたいな、というのはあって、そこは僕の音楽を聞いた人たちが自分たちの想像力を持って【この楽器が来たところは、いったいどういう場所なんだろう】って想像してほしいという思いもあるんですね」

「心に何か残る表現を続けていきたい。誰も価値を見いださないものの中に価値を見いだすということに力をそそぎたい。例えば今鳴らした、東京の砂の音。箱にはいったただの砂なんだよ」

「そもそも氷の音楽をはじめたきっかけも… ノルウェーだから雪も氷もイヤというほどあるし、現地の人はみんなそれを見飽きてるんだ。でも僕としては【何で!? だってこんなに素晴らしいものなんだよ】と言う事を表現していきたい」

こちらはスタジオでのテリエの様子。

しかしノルウェー人、おそるべし… 
テリエについては、こちらを参考にしてください。

さすがノルウェー盤。高い…でもいいですよ、このCD。