これが74年のArthur McBride。「Oh me and my cousin, one Arthur McBride as we went a-walking down by the sea-side. 僕と僕のいとこのアーサー・マクブライドは海辺を散歩していた」I had a first cousin called Arthur McBrideと歌いだすヴァージョンもあるそうですが、曲のナレーターもいとこも両方アーサー・マクブライドという名前の設定なのだという解釈が広く認知されているようです。ま、伝統歌だから、どのようにでも解釈できるよね。のちにポールがボブ・ディランもポールにギターを教わり録音した名曲であります。その、ディランにギターを教えたエピソードなどは、またのちほど。これはポール27歳のときの演奏。
St Columb'sを卒業したお坊ちゃんたちは(笑)、通常北アイルランド1の名門校Queen's College(ベルファースト)に行くのが普通なのですが、たまたまポールが卒業した年はアートを希望した学生が多く、ポールはSt Columb'sにもう1年残るか、もしくはUCD(ダブリン)に行くかどちらか選択をせまられ、ダブリンに行くことを決意したのだそうです。まぁ、どちらに行っても超名門校であることに間違いはないですが。
あまりのかっこよさにしびれまくったポールは、そこで出演していたバンドに「僕は北アイルランドからやってきたんだ、すごく上手いんだよ」と必死に自分を売り込む。バンドは「なんだこいつ」と思いながらも、しつこく迫るポールにBrendan Bonassというギタリストが「じゃあ土曜日にアングルジー・テニス・クラブでやるから、その時、オーデイションをしてやるよ」と声をかけてくれたらしい。ここでチャック・ベリーのギターなどを披露してみせたら、無事合格。これが The Inmates、そしてThe Kultというグループ。そしておそらく65年の4月頃、Rootzgroopというグループに加入。66年の夏にはすでにメロディメーカーあたりは、このグループを「アイルランドでもっとも伸び盛りのバンド」と評していたらしいから、すでにこの頃からポールにとって音楽はお遊びの域を超えたものになっていたのかもしれません。いずれにしてポールは、ダブリンに来て初めて「もしかしたら音楽で食べていけるかも」と思ったのだそうです。